第二百八十五話
「寒い寒い寒い寒い! 義姉さん、待っててば!」
「何よ? 急がないとあの子が泣いているかもしれないじゃない」
◇
帝都に到着したその日に義姉さんと私は宿の手配すら後回しとしたまま、ガヌ君が預けられている孤児院へと向かった。私もガヌ君に会いたいという気持ちはあったが、何より義姉さんが耐えられなかったからだ。
「どういうこと? ガヌが何で開拓団なんかに参加しているの!」
「ですから、ガヌ君は孤児院で預かっておける年齢制限が近いことを気にしていたのです。ガヌ君は自らの意思で開拓団に参加を表明しまして、私たちもガヌ君の境遇はは孤児たちとは異なると何度も説明したのですが納得してはもらえず……」
ガヌ君は自主的に孤児院を去った、と孤児院を預かる老齢のエルフ院長は語った。
母親の留守の間だけ預けられているとはいえ、周囲の孤児たちが自立していくのを眺めていたガヌ君にも自立したいという心が芽生えたのだろう。その気持ちは私にもわかる。
両親を早くに亡くした私は二人の兄に育てられた。
長兄とは十二歳差、次兄とは十歳の差があった。次兄が遠い大きな街の大店に奉公に出てからは、長兄との二人暮らし。
長兄は研究者と冒険者のどっち付かずという仕事を生業としていた。
元々研究者であった兄の研究対象は古代遺跡の様々武具であった。そんな兄は両親を亡くし、研究資金が尽きると護衛を雇い入れる金をケチり始め、自分を鍛えることで護衛を雇うことをやめたらしい。
次兄が季節ごとに仕送りしてくるお金は私の教育に費やされた。
オニング公国の南西にある都市国家、ヴァスティユル王国では学院に通うにも多大なお金が掛かる。国境を越えた先にあるオニング公国では最低限の教育に掛かる費用は、領主様が全額負担してくださるというのに。
私が学院に入学したのは四歳の時。長兄と次兄は私を両親や長兄と同じ研究者にしたかったのだろう。
次兄は私のために奉公に出た。長兄とて研究者とは名ばかりに、ほぼ冒険者稼業に注力しているというのに、私だけがのうのうと学院に通っていることが私自身我慢ならなかった。それでも結局は兄たちの思いを踏みにじることはできず、私は学院には通い続けるしかなかったけど。
だからこそ、ガヌ君の気持ちがわかるというもの。
きっと悔しかったのだろう。自分自身に腹が立ったのだろう。
そう思えば、当時何もできなかった私よりも遥かに立派だ。
まあ、過保護極まりない義姉さんにはわからないようだけど。
◇
「この馬だって潰される直前のをなんとか買い取った仔なの。積雪掻き分けて進むのは大変なんだから! 行くなとは言わないから、安全に着実に進みましょうと頼んでいるの!」
「わかった、わかったわよ」
「私たち元々荷物なんて武具くらいしかないけど、この戦車っていうの安くて助かったわね」
「これも勇者とかいうのが広めたんでしょう?」
「異界の勇者は皇帝陛下より偉いって話だから、余所でそんな言い方しないでね。帝国民に白い目で見られて石投げられるわよ」
私も義姉さんも異界の勇者という存在に馴染みがない。
帝国の歴史には異界の勇者が深く関わっているとはよく耳にするけど、それだけだ。私たちがこれから向かう異界の勇者の開拓団。そこにいる勇者はどんな姿をしているのか? 興味は尽きない。いけない、私も兄さんみたいになってた。
「フェルニアルダートまでなら私たち以外にも、街道を進む無茶な行商人や冒険者がいるから大丈夫だけど。その先はどうするの? 街道も何もかも雪の下なのよ」
「あんた、あたいを何だと思ってんの? この鼻は飾りじゃないのよ」
「でも義姉さんはスキル持ってないでしょ? 南方大陸出身なんだから」
「無くても何とかなってるじゃない。今もこうして生きてる!」
「道案内を雇う? お金はもうほとんど無いけど、あと一人なら詰めれば乗れるでしょ」
「何言ってんの。食料買うんだからね! フェルニアルダートの先は宿場町の間隔が広いのよ? イラウまでの道筋なら覚えてる、安心なさいな」
長兄が義姉さんを連れ帰ったのは、私が五歳の時。
冒険者稼業でオニング公国の港町クルニエに出向いていた長兄が一目惚れしたのだったか、義姉さんが長兄に一目惚れしたのだったか、あまりよく覚えていない。
一緒に暮らすようになって、あれよあれよという内に義姉さんのお腹が膨らんでいった。獣人族の妊娠期間は人族に比べると半分まで行かないまでも短く、ガフちゃんが生まれた。
だから、私とガフちゃんの歳は六歳しか違わない。兄たちよりも歳が近く、ガフちゃんとは本当の姉妹のように育った。
「イラウでガフちゃん拾うから席を空けておかないとダメか」
「あの娘、また大きくなってるわよ、絶対」
「体の大きさは兄さんに似たのかもね」
長兄は背も高く肩幅もまた広い、がっしりとした体つきだった。次兄はどちらかというと細身だったけど、背は高かった。
私は次兄に似て体の線は細い。でもよく骨太だと言われる。そんなところは長兄似なのだろう。
両親がどんな容姿をしていたのか、私は知らない。私が物心つく前に両親は亡くなっているからだ。
どんな仕事をしていた、どんな人柄だったかは兄たちが教えてくれたけど。
「義姉さん。もっとくっ付いて寒い」
「無理言って幌も格安で付けてもらったんだから、風は防げるでしょ」
「義姉さんの毛皮で温まりたいの」
「あたいの毛皮は、そういうのじゃないんだけど」
長兄が亡くなったのは七年前。
義姉さんと共に向かった遺跡探索で、地下遺跡の天井が崩落。それに二人同時に巻き込まれ、義姉さんが片腕と片耳を失いつつも大柄な長兄を引き摺って帰って来たと聞いている。
遺跡近くの宿場町での治療の末、義姉さんだけは何とか助かった。
長兄の怪我は酷く意識が戻らない状態が続いたが、義姉さんは金に糸目をつけず医薬品の投与を望んだ。そこまでしても長兄は一度も意識を取り戻すことなく、息を引き取った。
投与した医薬品は高額なものが多数含まれていたため、多額の借金だけが残されることとなる。
長兄が亡くなる更に半年前には、次兄の遺留品を持った大店の番頭が我が家を訪れていた。商品の仕入れに隣町へと向かった次兄の参加するキャラバンが、盗賊に襲撃されたのだと番頭は語った。
番頭は遺留品と見舞金だと言って結構な額のお金を置いていった。
次兄の仕送りが無くなった我が家は火の車だった。
私とガフちゃんとガヌ君、三人の子供を育てるにはお金が掛かる。
だから、その時になって私は学院を辞めた。そこに後悔は一切ない。決断が遅かったと反省するほどだ。
だが、長兄は違ったらしい。私が学院を辞めたことを心から悔いたようだった。
だから長兄は、崩落の危険があると封鎖されていた遺跡へと赴いたのだろう。
結果、私は長兄をも失ってしまう。
でも、私にはまだ家族がいる。義姉さんとガフちゃんとガヌ君がいる。
「この仔にも馬着を買ってあげないとダメね」
「もうお爺ちゃんだけどね、リドリー」
一昨日、新たに私の家族に加わったのがこのお爺ちゃん馬リドリー。
最高級の馬皮と謂われる農耕馬のコードバンと老齢ゆえに二束三文の食肉にされる一歩手前で私たちと出会った彼。ガヌ君が参加した開拓団を追うと決めた義姉さんの鶴の一声で即購入が決まった。
開拓団が目指す開拓予定地に到着したら、義姉さんと私にガフちゃんも開拓団に参加できないか、交渉したい。
それが叶うなら私は、義姉さんにしつこく言い募られている嫁入りも本気で検討したい。娶ってくださるいい男が居れば、の話だけどさ。




