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第二百八十三話

 先日のウェンデル河の氾濫領域を視察した。

 その結果を踏まえた会議というよりも報告会が今現在開かれている。

 場所は居住区内ではあるが、なぜかパン焼き小屋が指定されていた。


「氾濫域は予想以上に広大でした。拓いたところで雨期の度に呑み込まれてしまうのなら無駄以外の何物でもないでしょう」


「うむ。仮拠点としたこの地を本格的に開拓することを提案したい。村長ミラ殿、如何か?」


「父上がそう仰るのなら氾濫域の開拓は無理なのでしょう。私はウルマム将軍の案に賛成します」


 この狭い小屋に集う面子の中で真面目に会議に参加しているのは、師匠とダリ・ウルマム卿とミラさんとリスラだけ。

 政治的な会議での発言権がほぼ与えられていない俺と師匠から参加要請に従っただけのライアンは、居場所なく竈を囲うように座っている。

 俺たちよりも更に居た堪れない立場な、本来このパン焼き小屋の住人であるタロシェルとリグダールさんも同じように竈を囲っている。

 また、そんな男たちの背後には呼ばれてもいないくせに強引に小屋に入って来た母娘の姿もある。パム・ゼッタさんとキア・マスだ。


「魔王は名前だけでも一応代表だから分からなくもないが……俺、なんで呼ばれたんだ?」


「だいたい、なんでこの小屋でやるの?」


「それはこの小屋が居住区内で最も暖かいからですよ。タロシェルくん」


「最初こそ土壁仕様の小屋が少なかったのは確かですが、今ならほとんどの小屋が土壁ですよね」


 このパン焼き小屋は最初俺割り当ての小屋だったことから、寒さ対策に天井と壁に土を塗ってある。この時点でリスラは俺たちを真似て、自身の住む小屋の壁に土を塗っている。

 その後、ライアンとアグニの爺さんが蜂を連れ帰ったために養蜂小屋へ移り住むことになり、養蜂小屋の天井と壁にも土を塗りつけたのだ。

 アグニの爺さんはその少し後に催したすっぽん鍋試食会で土壁の保温力を目の当たりにして、ミモザさんと暮らす小屋を土壁にしたと聞いた。

 両者の近隣住民もそれを真似た。だから今となっては土壁の小屋は、それほど珍しい存在ではなかった。

 まあ、全てが全て土壁にしたわけではないのだが。


「キア、うちも土壁になさいな。火を焚いても焚いても隙間風で寒いのよ」


「母さまは哨戒任務のローテーション間隔が長いのですから、ご自分でやられてはどうですか? わたくしも父さまも多忙を極めているのです」


 多忙を極めている奴がこんな所で油を売っているはずがないのだが、この母娘喧嘩に加わるのは危険と誰も止めようとすらしない。俺はもちろん、義理の息子であるライアンまでもが体ごと視線を逸らす。

 ミラさんの居る所ではライアンはあくまでも孤児院出身者であり、キア・マスもパム・ゼッタさんもダリ・ウルマム卿も、そして師匠までもが赤の他人なのだ。


「タロシェルくん、その一口だけ、いえ、一舐めだけでも!」


「キア、そのようなはしたない真似は許しません。是非わたくしめに」


 今日はタロシェルに蜂蜜を少しだけ与えていた。

 それこそ以前に女王蜂から提供された蜂蜜を入れていた木製の筒に湯を注いだだけのもの。それもタロシェルの料理の発想に期待してのことだったのだが、食い意地の張ったこの母娘の目に留まってしまったのが運の尽き。

 そも、この母娘はそれが主目的なのだろう。会議で何か珍しい食べ物の提供があるのではないかと、目論んだに違いない。


「もう無いよ」


「うっ。勇者様、蜂蜜の量産は可能なのでしょうか?」


「蜂たちの担当はライアンだから、俺じゃないから」


「夏の雨期の直前辺りに、草原の一部で蜜が多く採れる花が咲くだろうという話だ」


 視察の折に俺が引率した働き蜂の二匹が女王蜂へと報告した。女王蜂はその内容を吟味した後、ライアンへと告げていた。

 告げたといっても言葉が喋れるわけではないので、ライアンの魔人の瞳で聞き出したが正解だろう。


「春頃には幼虫が成長して働き蜂も増えるらしい。あいつらの食料分を差し引いてもそれなりの量は確保できるとは聞いているが、それがどれほどであるのか俺には想像もつかん」


「働き蜂が増えるなら今の養蜂小屋では小さすぎるだろ。とりあえずは視察で使った小屋を置くとしても、対応策を練らないと」


「ああ、そんなことも言っていたな」


「それは一大事ですわ! 勇者様のお持ちになっている小屋を置くだけでなく、新たに大きな建物を用意しなければなりませんわね」


 南口の辺りにはまだ土地は余っており、小屋を二つ置く程度のスペースは十分にある。問題はそれで足りるかどうか。

 俺とライアンにとっては単なる会話でしかないのだが、両の拳を強く握り演説するかのようなパム・ゼッタさんの勢いが止まらない。


「わたくしもレッドハニービーと仲良くなりたいですわ! そうすれば、その好で蜂蜜を分けて戴けるかもしれませんわね」


「あいつらはシギュルーみたいに種族的な天敵でないのなら、殺気でも当てない限りは別に気にもしないぞ。サリア以外の子供たちがいい例えだろう」


 俺も最初はそのデカさ故に驚いたけど、別段警戒はしていなかった。したところで俺自身ではどうにもならないのと、何かあっても相棒が対応してくれると信じていたからだけど。

 師匠たちのように警戒心を強く抱いた開拓団員たちは、それが蜂たちの警戒心を刺激してしまったのだろう。ライアンの言うように、無邪気な子供たちやラビに蜂たちは一切の警戒を示してはいないのだから、とても分かり易くはある。


「わたくしも夫や娘と暮らす今の小屋を出て、そちらで暮らしまますわ!」


「世話も必要だから助かるといえば助かるが、まずあいつらの判断を仰がないとマズい」


「そ、そうですわね。冬の間は今のまま留まるとしましょう」


 ライアンはそれとなくお茶を濁す形でパム・ゼッタさんの主張を退けた。

 世話と言っても、室温を保つために竈の火を管理するのと砂糖水を与えるだけなのだ。時折、手伝いに訪れるタロシェルやリグダールさん、アグニの爺さんが居れば不足はない。そこに今はミジェナが加わっているのだ。これ以上増えても、逆に困る。

 ましてや、ライアンの義理の母となるパム・ゼッタさんが近隣に存在しては、様々な実験と称した料理や工作の妨げとなりかねなかった。

 俺としては、二段ベッドでライアンとミジェナが同衾していることがバレるのが、最もマズい事柄のようにも思えてならないが。


「兄ちゃん、焼けた! と思う」


「おお、サクふわっぽいな。食ってみよう」


 パンの焼ける何とも言い難い、いい香りが小屋中に広がる。

 養蜂小屋で昨晩仕込んでおいた生地を持ち込み、会議が始まる直前に薪オーブンに放り込んでおいたパンが焼き上がった。

 仕込みの段階でもの凄く手間が掛かっているこのパンはにはそれだけの価値があった。


「「……」」


「魔王様、これは…………何とも言えませんね」


「上手くできて良かった」


「ライアン様、一口」


「わたくしにも!」


 会議が始まる直前に雪崩れ込んできた母娘の分は最初から用意していない。ついでに言えば、会議参加者四名の分も用意していない。

 元々、会議の参加要請を受ける前に仕込んだものであるため、俺とライアン、タロシェルとリグダール以外の分は用意していなかった。タイミング悪く、仕込み終えた後に会議の参加要請を受けているからな。

 今回試作したのはクロワッサン。バターをたっぷりと使い、何層にも重ねたパン生地である。バターが熱で溶け出してしまわないようにと、最も竈から遠く寒い小屋の隅で作り上げた生地である。

 オーブンはこの小屋にしか設置されておらず、焼き上がるにはここに持ち込むほかなかった。

 そこまで生地とバター、苦労を重ねたクロワッサンの出来は素晴らしい。


「生地作ってるのを見た限りじゃ、量産には向かないよな?」


「ああ、バターの使用量が通常とは比較にならないし、暖かい部屋だと生地作りで躓くかもな」


 ライアンが俺に質問する傍らで、タロシェルとリグダールさんはクロワッサンに夢中。物欲しそうな母娘の存在は無視されたまま、食べ進めていた。

 否、どうやら物欲しそうな目線の主は、母娘だけでもないようだ。

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