第二百七十四話
日本の四季のような秋らしさを全く感じることなく、秋が終わる。
そう思えるほど、今朝の冷え込みは厳しかった。早々に土壁としておいて良かったと、自らの決断を褒め称えたい。
俺は南関東育ちで暑さにはある程度慣れによる抵抗力はあっても、寒さにはめっぽう弱い。更に現在地は大陸に於ける北方であるため、それが極寒と呼べる程であることは語るまでもないだろう。
今も天蓋さながらに広がる雲の色彩は灰色。雷雲ほどの黒さはないものの、どんよりとした雲のそれは心身共に沈み込みそうな、そんな色合いだ。
「ミジェナちゃん、寒くないかい?」
「ん、タロシェルと同じように呼ぶ」
俺の質問に答えてくれないミジェナちゃんは何故か不機嫌そうな表情をするのみ。まあ、言いたいことは理解できたが。
要は「ちゃん」付けをやめろということだろう。
「ミジェナ、寒くない?」
「ん、あったかい」
今度の質問にミジェナは素直に答えてくれた。
俺が寒さに極端に弱いこともあり、俺自身用とミジェナ向けに相棒が『収納』していた毛皮を加工してコートモドキを作った。いや、急遽、俺がでっちあげた。
袖も何もない、服の上から被るだけのコートモドキは、万能接着剤たる黒いあんちくしょう体液で毛皮を筒状に接着しただけのもの。どちらかというとマントに近いのではないだろうか?
自前で毛皮を持つガヌの分は作っていない。だから――
「兄ちゃん。寒い!」
「いや、お前には立派な毛皮があるだろう?」
「ボクの毛は短いし、皮も薄いの!」
夏場こそ若干ゴワゴワしていたガヌの毛皮は、ここ最近の寒さで冬毛に生え変わっている。その冬毛の毛足は夏毛に比べると多少だが長く柔らかいため、保温性がありそうなものなのだが。
本人としてはそんなことは一切関係なく、寒いと主張する。
「そういうのは自分で用意してこいよ」
「姉ちゃんが平気だって聞かなかったんだよ」
俺たちは既に拠点を発ち、開拓予定地である丘を目指す道半ば。
相棒の右触手は雨を防ぐための傘となっており、左触手はミジェナとガヌを抱えているため、毛皮等を取り出すのは難しい状態にあった。
何せ、相棒の触手はまだ二本しか生えていないのだ。だから、出発前に俺は着替えと手拭を十分に詰め込んだ肩掛け鞄を久しぶりに、自らの肩に掛けている。
また、ミジェナやガヌを一旦地面に降ろすという選択肢は初めからない。
草原を彩る草々の丈は彼女らよりも高く、この寒さの中でも枯れることなく茂っている。それが雨で濡れているために、降ろしてしまうと彼女らが濡れてしまう。
しかも、地面はほぼ泥濘と呼んでよい状態。草々の根が蔓延っているため、そう深くもないのだが油断すると滑って転びかねない。
ガヌは多少なら問題なさそうだが、幼いミジェナはそうもいかないだろう。
移動中であるため、一度でも濡れてしまうと吸水の悪い手拭だけでは完全に拭うことも出来ず、この寒さの中では着替えることも不可能に近い。
なので、少し工夫してみる。
「相棒、ガヌたちを乗せたまま、ちょっと先っぽをこっちに伸ばして……そうそう、俺の替えのコートを頂戴。ほれ、ガヌ」
「ありがとう、兄ちゃん」
「あらあら、温かそうな外套ですこと。勇者様、わたくしにはございませんの?」
「いやぁ、毛皮の大半は寝床に使っていまして、もう在庫がないのですよ」
嘘じゃない。実際に元々俺に割り振られていた小屋に住むタロシェルとリグダールさん、養蜂小屋のライアンに貸しているため、在庫が逼迫している。
あとはミジェナ向けの替えとなるコートモドキの一着を残すのみである。
「すまぬ、勇者殿。ゼッタ、無理を言うでない。それに何なのだ、その妙な言葉遣いは?」
「あなた、なんてことを仰いますの! わたくしは至って普段通りですわよ?」
相棒の傘の内部には居なかったはずの、濡れ鼠と化したダリ・ウルマム夫妻。
相棒は気付いていたのか不明だが、俺は全く気配を感じなかった。
そのパム・ゼッタさんを含め、一昨日に師匠が伝えた面子以外にも多少人数が増している。理由は不明だ。
こちらに頭を下げ「本当にすまぬ」と言い残したダリ・ウルマム卿は、夫人を引き摺るように離れていく。この寒さと雨を凌ぎたい気持ちは十二分に理解でき、俺としても若干の申し訳なさが募る。
「儂はカツトシ殿の傍で上半身だけでも濡れないのが救いだの」
「お爺ちゃんは一応だけど年寄りだしね」
今回、ガヌの保護者兼指南役としてアグニの爺さんが参加しているのだが、何故かその傍らにはミモザさんの姿までもがある。
斥候役をこなせる人員は多いに越したことはなく、パム・ゼッタさん程には意味が分からなくもないが、不思議なことに当初予定されていない女性の参加者が異様に増えている。
「それでも腰から下は濡れますからね。カットス君も冷えないよう、気を付けてください。あと少しですから」
「はい、師匠」
まあ、さすがにミラさんの姿は無い。また、そこそこ活発なリスラの姿もない。
リスラが参加すると保護下にあるサリアちゃんが付いて来そうで、諦めたとかなんとかミモザさんから伝え聞いてはいる。
ミラさんは元よりこういった行動には向いておらず、参加していないことは何も不思議ではない。
「寒い、寒い、寒い。失敗した、無理して付いてくるんじゃなかった」
「アランも、なんで来たの?」
「何かまたカットスが美味しいものを調達するんじゃないかって、皆興味津々なんだ。僕もこの前は匂いだけで我慢したんだ。もし次があるなら参加しない選択肢は無いよ。でもこの寒さは予想外にも程がある」
「あ~、なるほどね」
女性の参加者が多い理由はそれか。
でも、ただ丘の状態を見に行くだけなのに、そんなこと期待されてもな。
「ノルデで魔王様にご紹介したシーサーペントの討伐依頼は、ここよりも上流にある川港での依頼ですよ」
「え? 川なのにシーとはまた汎用スキル『通訳』のポンコツ加減が浮き彫りに?」
「いえ、あれは産卵のために海から川を上ってくるんですよ。ねえ、お爺ちゃん」
「う、うむ。卵から孵ると川から海に下り成長しての、繁殖時期になると川を遡上してくるのだ」
川を遡上とは、鮭みたいなもんか?
しかしサーペントというなら、蛇だよな? 海蛇?
今にして思えば、蟹とすっぽんを捕獲した時は随分と不用意に河原に近付いていたものだ。もし危険があれば相棒が対応していただろうが、それでも俺本人が気を付けていないとな。黒いワイバーンで犯した失態を繰り返すわけにはいかない。
本当に気を付けよう。
「それでですね。川の氾濫で陸に打ち上げられる魚などがいると聞いたことがあるのです」
「それか! 皆、それが狙いなんだな!」
「この泥濘では農耕馬なら多少平気でしょうが、やはり水場をものともしないホバースケイルが望ましい。ですがあれは一個大隊分も賄えない頭数しか育成されていないと聞きます。馬車では重量がありすぎて車輪等が恐らく持たないでしょうし、戦車では積載量に難がありますからね。荷物持ちがどうしても必要だったのですよ」
相棒は師匠が以前語ったように、空間魔術の上位互換とされる時空間魔術を修めているという懸念がある。実際に、相棒の『収納』はその分野であるらしいのだ。
だからといって、師匠! それはあまりに身も蓋もない理由ではないですか!




