第二百七十二話
婦人会に開催に向け、ダリ・ウルマム卿夫人パム・ゼッタさんを軸に開拓団の女性たちは動き始めた。意外なのはミラさんが進んで補佐に回ったことだろうか。
俺と相棒も致し方なくではあれど、残す一尾のすっぽんを泥抜きすることになる。
逆に言えば、それだけやっておきさえすれば、お叱りを受ける云われもない訳だ。
鬱陶しく降り続く雨は止むこともないが、大した風もない所為か天上から地面へとただただ落ちていくだけ。地を這う雨水もまた排水溝を伝い、ライアンの敷いた浄水の魔具を通過すれば、あとはお堀へと流れ込むのみであった。
目覚めては糧を喰らい、適度な作業を済ませるだけの日々は少しずつ時を刻んでいった。
「ただいまより開拓団婦人会の開催を宣言します。
勇者様より提供される食事が本日の主題でございます。その味わいや効果を婦人会の外部、男共に漏らさぬよう徹底することが提供の第一条件となっています。皆、その辺りは違えぬよう心得てくださいまし」
「尚、北側五棟の小屋周辺に歩哨を立てています。事前に手配した各班ごと、頃合いを見て交替してください」
結局のところ、会場に指定されたのは拠点の外ではなく、住宅地北部一帯を占める小屋の五棟とその周囲を部外者立ち入り禁止とすることに決まった。
今回の場合、部外者とは開拓団の男性を指し示す。例外は俺と第一回目の食事会参加者たちとなる。
調理を担当するのは俺とタロシェルにリグダールさん。
卓上コンロならぬ囲炉裏じみた床に仮設置された魔具のコンロの保守を担うライアン。
味付けを終え、あとは煮込むのみとなった鍋を運ぶ役目を担うは、アグニの爺さんとドワーフ兄弟。
俺を含む前回の参加者には、労働の対価として鍋を再びつつく権利が与えられていた。そのお陰もあってか彼らは一切の反発すらなく、粛々と婦人会の段取りと役回りに加わっていた。
「コラーッ! あんたら男共は立ち入り禁止だよ! とっとと帰んな」
「魔王さんやアグニ様も男じゃねえか! 旨そうな匂いがしてんのに、なんで俺たちはダメなんだよ?」
「勇者様やアグニ様は婦人会の協力者。お前らとは立場が違うんだよ!」
当然のことながら、開拓団の大半を占める男性陣には不興を買っていた。
中にはダリ・ウルマム卿や師匠の姿も見られる。雨の中だというのに、だ。
彼らのそんな視線や罵声を避けるように、俺たちはただひたすらに労働に従事する。現実逃避ともいう。
「かぁーっ、旨ぇナ! 酒が無いのがちと辛いがナ」
「兄貴、声が大きいゾ」
「そうですよ、親方! こんな美味しいものを隠していたなんて、許せませんよ」
「隠していた訳じゃねえヨ。こいつはちょいと厄介な性質がある料理なんだゼ? だからソニャ、食いすぎるなヨ」
「そんなこと言って、独り占めは許されませんよ!」
ロギンさんの言う厄介な性質はある。が、どのタイミングで打ち明けるべきか?
少なくとも、サリアちゃんとミジェナちゃんが鼻血を噴射する前になんとかしたい。ガヌもだな。
「魔王様、厄介な性質とは如何なものなのですか?」
「カツトシ様、もしや少量の毒でも含んでいるのですか? 子供たちも食べているのですよ?」
「いえ、毒ではありません。どちらかと言えば、薬でしょうか」
「薬、ですか?」
「なので、食べ過ぎると色々と問題があるため、子供たちは控えめにさせましょう。ライアンとタロシェルで実証済みですから」
「二日三日は疲れ知らず、肌艶が良くなるのはオマケみたいなもんだよ」
ミモザさんとリスラの質問に答えていた俺に続いたのはライアン。ミラさんは別の小屋に居るとはいえ、子供の振りをした口調での答えだ。
この小屋は、次に歩哨に立つ者の控室兼協力者に与えられた場所。
婦人会と銘打れた食事会であるため、主催者であるパム・ゼッタさんや補佐役のミラさんは開拓団の御婦人たちの相手をする必要があった。逆に俺たちは協力者としての立場であり、あくまでも脇役でしかないため、ここにしか居場所が無かった。
「で、どうすんだ? ここまで広がってしまうと情報は確実に漏れるぞ」
「食べられるように出来るのは俺だけだし、夫婦や恋人などのパートナーのいる希望者になら提供するということに、したい」
「兄さんみたいな厄介な存在に食わせる訳にはいかないか。そうすると、子供らはどうなるんだ? この味を知って、黙っていられるとは思わんが」
「そもそも、今回の分で捕獲したすっぽんは全て消費されるはず。いずれにしろ、河原に出向かないと捕獲も儘ならないし、増水して荒れ狂う河で捕獲するなんて至難だろう?」
「なるほど。この冬はこれで終いという魂胆か」
だから、この冬を越さない限り、新たにすっぽんを捉えることは不可能だ。
蟹を捕獲していた元軍人や元冒険者であれ、氾濫していると思われる河に近付く愚は冒さないと考えたのだ。
今夜さえ凌げば、このすっぽん鍋騒動には一応の終止符が打たれ、雪解けとなる春先までは安泰であると俺は考えた。
「ああ、そうだ。姫さんも少しにしておけよ。俺もぶっ倒れたくらい、こいつの効能は強力だからな!」
「地竜の腹肉と同等かそれ以上の美味だというのに、その仕打ちは余りにも酷くありませんか?」
「こいつは俺が作る精力剤よりも強力なんだよ! 今夜は確実に眠れなくなることを保証するぞ」
「なんですって……!」
「だから俺もタロシェルも、魔王たちですら少ししか口にしていないだろうが! って、ガヌがぶっ倒れたか。ああなりたいなら、遠慮せず食えばいい」
木製の茶碗の中身を汁まで飲み干したガヌが、座ったまま後ろへと転ぶように白目を剥き、鼻血を噴出して倒れた。ガヌは相変わらずの食いしん坊で、初っ端からがつがつと食っていたからな。
隣に並んで鍋を食していたガフィさんが驚き、ガヌの姿勢を戻そうとしているが、本人は気絶から回復する様子はない。
「おい! ガヌは大丈夫、なんだろうな?」
「大丈夫だ。そのまま寝かせておけ、眠れないよりは幾分かマシだろうぜ」
ライアンはあの晩、気絶したまま回復することは無かった。逆に俺は悶々としたまま朝を迎え、一睡も出来なかったというのに、ライアンはケロリとして清々しい朝を迎えていた。
それを考えれば、ガヌはこのまま寝かせておく方が良いだろう。
徹夜明けの黄色い太陽や黄色い世界を拝むよりは、確かにマシなのだから。
「それなら……お姉ちゃんに食べさせたのは危険なのでは? またカツトシ様が襲われるのではありませんか?」
「あっ……」
「あっ、ああ、大丈夫、だろ? 兄さんの監視がある中で、ミラの暴走も無いと思いたい。それに魔王は養蜂小屋で寝泊まりだ。ミラはあそこには近付けない」
「リスラがミラさんを抑えている間に、俺は養蜂小屋に帰るよ」
「それが最善でしょうね」
ミラさんに襲われるのもまた一興ではあるけれど、師匠の目がある以上はそれだけで済まないのも事実だ。
婦人会がお開きとなるその前に、逃げ出す準備をしておくべきか。
「見てください、殿下。早くも手や腕がつやつやのぷるぷるに!」
「本当です。なるほど、ライアン様の言うように効果は抜群のようです」
「あたいの肉球もぷるんぷるんだよ!」
肌の大半を白い毛に包まれたガフィさんでも、すっぽんの効果が表れているらしい。触れてもいなければ、見えてもいないため、本人の証言でしかないが。
普段からただでさえ肉主体の食事であるというのに、すっぽんの効果が絶大すぎたとも言えた。
ガヌがぶっ倒れた衝撃やライアンが示した効能と忠告は、ミモザさんの感想であっさりと押し流されてしまう。美容に拘りを持つ女性、コラーゲン恐るべし!




