第二百六十六話
「俺がちゃんと手懐けてあるから、あんたの考えているようなことは起きはしない。シギュルーやラビだって今まで問題は起こしていないだろう?」
「如何に将軍閣下の娘婿であろうと、魔物を拠点内に招き入れることは許されません」
ライアンと頑なにライアンの言葉を拒絶し続ける警備担当者の双方を、俺ともう一人の警備担当者で分担し羽交い絞めにしている。
そんなところに、アグニの爺さんが師匠とダリ・ウルマム卿を連れ戻ってきた。
「カットス君。二人は何を揉めているのですか?」
「いや、俺も詳しくは知らないんですよ」
「カドスがここまで拒絶するなど、婿殿は一体何を持ち帰ったというのだ?」
師匠の疑問に俺は答える術を持たない。何故なら、俺もライアンと警備担当者が揉めている原因を特定できていないのだから。
ダリ・ウルマム卿にカドスと呼ばれた頑なな警備担当者は指し示したのは、ライアンが乗り付けた戦車。雨避けの幌の中身に原因となる存在がいるらしい。
「小僧。お二人の判断を仰ぐつもりなら、見てもらうべきであろう」
「ああ。だが、かなり衰弱している。雨晒しになど出来ないぞ」
弱っている? 何が? と疑問に思うものの、まずは雨から戦車を守ることが先決だ。
「相棒。戦車を覆うように、傘を広げてくれ」
「ニィ!」
「おう、すまねえな! んじゃ、見てくれ。但し、刺激は与えるなよ」
ライアンは戦車の荷台を覆っていた幌を畳み、俺たちにその中身を提示して見せた。
「なんと! これではカドスが必要以上に警戒するのも当然であろうな」
「レッドハニービー……のようですが、僕の知るものに比べると明らかに小さいですね。それに、色も異なるような」
戦車の幌に隠されていたのは、蜂の巣と女王蜂とその働き蜂。
以前ライアンから聞いた話とは違う。
働き蜂の体躯はライアンの頭部と変わらない大きさで、俺や他の大人たちの頭部に比べるとやや小さい。女王蜂と思われる個体も働き蜂の二倍の大きさも無く、ライアンの胴体くらいといったところだろう。
そして師匠が疑問に感じたように、レッドハニービーと呼ばれる所以である黒と赤の模様は色が薄く、艶消しの黒とピンクの模様になっていた。
ただ、俺はレッドハニービーを目撃するのは初めてで、色が違うという師匠の言葉を鵜呑みにするしかないのだが……。
「女王蜂と働き蜂。壊れているけど、巣まで持ち帰るなんて」
「奴に襲われて巣が壊されているところに、偶々遭遇したんだよ。そこで魔王に聞いた養蜂というやつを思い出してな。壊れた巣では冬は越せないだろうと、保護した訳だ」
「うむ、確かに遭遇そのものは偶然ではあるのぅ。小僧が妙な薬を焚いたことを除けば、じゃが」
ライアンが奴と言い、指差したのは戦車で牽引していた板に載せられた大型の獣。
それは体躯や面構えからして熊っぽい獣なのだが、耳の後ろ辺りから真横に張り出した角が一対生えている。
但し、その顔の半分は陥没していて原型を留めていない。大方、ライアンかアグニの爺さんの拳をモロに受けたのではないだろうか?
「その仮称レッドハニービーたちは、今現在ライアンの支配下にあるのですか?」
「支配下っていうより、あのラビたちと似たようなもんだな」
「まさか婿殿。そやつらを懐柔したと申すのか?」
「まあ、その表現が一番しっくりくるかな」
スカーフを巻いたラビに関しては、ライアンのあのヤバい薬の影響だと聞いている。そのヤバい薬はテスモーラの地下牢で実験したヤツと同等か、更に改良された薬と思われる。
ライアン曰く、自意識を消失させて洗脳するための薬であったはず。洗脳するのはライアンの魔術に由来するのだろうが……。
「で、さっきも言ったように。こいつらを保護した理由は、魔王が提唱した養蜂というものに必要だからだ」
「またカットス君の発案ですか、なら仕方ありませんね。受け入れましょう」
「とはいえ、拠点内に置く以上は管理する人材は不可欠であろう? それに場所の選定も必要である」
「管理はライアンに一任するほかないでしょう。他者では危険極まりないのですから。そして場所は、ここにしましょうか。多少不便にはなるでしょうが、拠点の出入り口を一つに絞れば警備の手も減らせますし、ね」
俺がライアンの蟲薬魔術のえげつなさを垣間見て、思い付きのまま提案した養蜂は現実味を帯びてきた。
ただ、この先はどうしたものか?
戦車の荷台に積み重なる壊れた巣の破片は、結構な大きさと量がある。それに女王蜂も働き蜂も師匠の知るレッドハニービーに比べれば小さいのだろうが、俺の知る蜂よりも遥かに大きく、テレビで見たような養蜂箱で収まる大きさではなかった。
「カットス君。本来の開拓予定地向けに造られた小屋をひとつ流用しましょうか」
「ふむ。最高級の蜂蜜を人的被害を考慮せず、量産できるとなれば……開拓団の資金源に相応しいでしょうな。それに勇者殿の菓子にも用いることは可能であろう」
「ウルマム殿、それは追々考えましょう。まずは小屋の設置と、ライアンを管理者として任命することが先決です。キア・マス嬢の説得はライアン自身とウルマム殿に委ねます」
「婿殿は私や妻と共に暮らす予定であったが、娘はいっそのこと婿殿に付けてしまうのもありか……、説得など不可能であろうし」
取らぬ狸の皮算用は置くとして、ライアンに心底惚れ込んでいるキア・マスの説得は父親であるダリ・ウルマム卿をしても不可能であるらしい。
哀れキア・マス、ライアンと一緒に蜂と暮らす運命が待っているぞ。
「儂はこれの解体で手が離せぬ。カツトシ殿と小僧は其奴らを早う小屋へと入れてやるが良い」
「相棒、小屋を置く前に溝を掘らないとな。排水溝に繋げよう」
「ニィ!」
ゴブリンさんが居れば直ぐにでも片付きそうな溝堀りは、相棒と俺とでやるしかない。浅い溝の一本くらいなら、魔力が枯渇する心配もないだろう。
「そうだ、これを飲んでおけ。水薬は痛み易いから俺は余り作らないんだが、お前の相棒に預けておけば日持ちもするだろう」
「なにこれ?」
「造血剤だ。水薬だから即効性がある」
ライアンに手渡されたのは、試験管のような瓶に入った黒い液体。いつも丸薬で飲んでいる造血剤は若干赤茶色く、色合いが結構違う。
「すぐ効くなら助かるよ。ありがとう」
木で作られた栓を抜くと、苦そうな匂いがした。
良薬口に苦しとも言うし、今までも丸薬では散々お世話になっているから迷いは無かった。そのまま一思いに飲み下す――
「――苦っ! クソ、マズッ!」
「丸薬に慣れていると、な」
丸薬では黒いあんちくしょうの体液が、この苦さや不味さを覆い隠してくれていたのだと悟る。あれだけ毛嫌いしていた黒いあんちくしょうの体液を、これ程まで渇望する羽目になるとは……。




