第二百五十六話
「リグダールさん、リグダールさん! このカップを洗ってから、この液体をこの程度注いでおいてください。俺はその間に、蒸し器の準備をしますんで」
「あ、はい。カップを洗って、その液を注ぐのですね。わかりました」
パム・ゼッタ夫人に緊張していたリグダールさんに、プリン液をカップへと注いでおくようにお願いする。
ガヌも器用な方だけどサラダボールには注ぎ口が無く大きいこともあって扱い難く、リスラに頼むなど以ての外。パム・ゼッタ夫人にお願いするなど恐れ多くもあり、消去法でどうしても彼にお願いするしかなかった。
そうして俺は鍋の大きさを再度確認し、鍋の側で台になるものを得ようと動きだす。木材でも何でもいいが、カップを安定して置ける何かをえる必要がある。出来れば、鉄材が好ましいのだけど。
それらを得るには建築現場に向かうことが最適と俺は考え、少し前まで寝ていた一番先に建てられた小屋の付近を目指すことにした。
「ローゲンさん。この石の端材、貰っても?」
「何に使うか知らねえが、好きにしナ!」
建築現場を周囲を見渡すと、鍋底に置くのに手頃な大きさの石材を発見。小屋の土台に使ったと思われる石材の欠片だ。どうやら上の方に筋を入れてはハンマーか何かでぶっ叩いて割ったような表面をしている。元の石材の大きさを考慮しても、単なる余りではないように見えたので、ローゲンさんに一応の確認を取った。
「相棒これを。石はこれで良いとして……次はロギンさんの所か」
「ニィ!」
「兄貴なら向こうで鍛冶場を据えているゾ」
「ありがとうございます。行ってみますよ」
俺の独り言を聞きつけたローゲンさんがロギンさんの居場所を教えてもらえた。鍛冶場を設置しているというのなら、それこそベストなタイミングだ。
そういや、ロギンさんは給湯器の本体となるパイプ部分の作成を任せれているのだったな。
ローゲンさんが設置しているという鍛冶場にやってきた。ここでもキンコンカンコンと何かを叩く音がひっきりなしに聞こえてくる。
屋根もない石造りの建物というか、今のところは壁と炉くらいしか存在しない工房内にはロギンさんと手伝いと思われる開拓団員の男性二名の姿があるだけ。
炉には既に火が入っている。屋根が無く風通しも良いというのにすこぶる暑い。そんな中、俺は作業の邪魔にならないように使えそうなものを物色を開始する。
曲げ加工用の三本ローラーに似た器具を扱い、器用に板を曲げていく開拓団員の二名。こんな器具を導入したのは、きっとサイトウさんなんだろうな。っと、その横には鉄板が何枚も積み重なっている。
「おはようございます、ロギンさん」
「おう、魔王さん。ぶっ倒れたと聞いたが元気そうだナ」
「ああ、毎度のことなのでもう慣れましたけどね。それで、そこにある鉄板を二枚頂けないかと思いまして……出来たら一枚は半分くらいの大きさで」
「あれカ? 一二枚なら構わねえダロ。今、半分に切るから待ってナ」
ロギンさんはいとも簡単に言い放つ。しかし、俺が兄貴の作業で知っている、鉄板の切断に使えそうな器具は見当たらない。一体どうやって切断するつもりなのか?
「半分てぇとはこの辺りだナ!」
持ち出したのは壁の傍に置いてあった木製の角材。幅というか太さは五センチ角程で長さは五十センチくらい。綺麗な物ではなく、焼け焦げた跡が見られる。
ロギンさんは、その角材を一枚だけずらした鉄板の半分となる位置に当てた。
そして徐に角材の側面に右手を添えた。
――ブシュウゥゥゥ!
ああ、なるほど。魔術か。
形は違えど、兄貴がガスでい鉄板の溶断をしていた姿と重なる。ロギンさんの姿に、兄貴の影が重なるように思えた。兄貴は俺よりも背が高く、がっしりとした体格だから似ても似つかないのだけど。
「ヤスリ掛けちまうから待ってロ。まだ熱いから触るなヨ!」
ロギンさんはそう言うと試作品か常備品かは不明だが、給湯器から水を放出して鉄板を冷却。溶断した切り口にささっとヤスリを掛けた。
兄貴もそうだったけど、綺麗に切るとスラグは簡単に取り除けるらしい。俺が試しにやらせてもらった時など、グチャグチャになって大変だったからな……。
「ほい、お待たせダ。今度は何をつくるか知らねえが、期待してるゼ!」
「ご期待に沿えるよう頑張りますよ。昼飯には間に合うか微妙ですが、夕飯には何とか」
「そうカ。お前ら美味い晩飯のためにひと踏ん張りダ!」
「親方ぁ、まだ昼にもなってませんゼ?」
「うるせイ!」
余計な気合が入ってしまったロギンさん。
作業に従事している二名には少し申し訳なくもあり、軽く頭を下げて陳謝しておく。
切断してもらった鉄板とそのままの鉄板も相棒に預ける。必要なブツが容易に手に入ったため、煮炊き場へと向かう足取りも軽い。
ロギンさんの下で働く二名の犠牲者のためにも、間に合うなら昼食、遅くとも夕食にはシチューを出せるように仕込まなければ。肉にも野菜も、まだ一切手を出していないんだけどな!
「おかえりなさい、魔王様。これでよろしいのでしょうか?」
「ああ、はい。十分です。今から蒸し器をセッティングするんで……相棒、まずは石を甕の手前に置いて」
「ニィ!」
コトリ、と地面に置かれた石の端材。煮炊き場に備え付けの根菜用のタワシで洗い、甕に貯められている水で濯ぐ。最後は給湯器を使い、新しい水で洗い流してからテーブルの上に載せる。大小二枚の鉄板も同様だ。
鍋の中に突っ込む以上は綺麗でないと困る。
「カップを十個も並べるので、鍋はこのサイズにします。洗った石を鍋に置いて、その上に小さい方の鉄板を。そして水でもいいんですが、手順を短縮するために給湯器から一番熱いお湯を注いで、鉄板の上にカップを並べていきましょう」
「なるほど、このようにですね?」
「はい、全部お願いします」
朝食時の残り火が燻っている竈に鍋を据え、リグダールさんに分かり易く説明しながら蒸し器のセッティングした。
「並べ終わったら、蓋をするんですが。相棒、布を」
「ニィ!」
相棒が持っているのは戦車の座席に用いたり、穴あきクッションを作った余りの布。この布は非常に薄く、手拭いの代わりとするには十分である。
この布は元々そう汚くはないので軽く給湯器の温めのお湯で濯き、硬く絞るだけでいい。
「この布をこうして巻き付けて蓋をします。では、竈の火を起こしましょう」
「はい」
開拓団の調理担当は原則、鍋に蓋をして料理をしない。煮炊きする時にちゃんと処理が行き届いていない肉を料理することも多いらしく、嫌な匂いが料理に沁み込んでしまうのを避けているそうだ。
だから、蓋をする料理というのはかなり珍しい部類であると思われる。現にリグダールさんもパム・ゼッタ夫人も珍し気な表情だ。
リスラとガヌはあれだ。基本的に料理に携わることがなかったり、その機会が少なかったりするから、そこまでの知識がないのだろう。
「火を点けたら、暫く放置します。出来ているかどうかの見分け方は、あとで教えますから。で、悪いんだがガヌ。サリアちゃんとタロシェルの様子を見てきてくれ」
「うん、遅いもんね!」
うちは兄貴がプリンを作る際は容器に丼を使っていた。そのため、ティーカップのサイズでの蒸し時間が不明だ。それに、そもそも日時計しかない世界で、三十分とか四十分とか一時間という細かく刻んだ時間の定義が理解されない。秒など以ての外だ。
だから、出来上がりは適当に串でも刺して、固まっているのを確認するしか方法がない。いや、まあ、それが一番確実なんだけど……。
「――あ、勇者様! こちらにいらっしゃったのですね」
「ん? キア・マス」
ガヌをサリアちゃんとタロシェルの迎えに送り出したところで、キア・マスが息を切らせて走り込んできた。
いつも冷静沈着なキア・マスらしくない。そんな様子が気に掛かる。




