第二百五十五話
仮拠点内で今も絶えず鳴り響く音。コンコン、ガンガン、ゴンゴンという何かを叩く音は、雨期を直前に控えた仮拠点の建築ラッシュであることを示唆していた。
開拓団員が一丸となって取り組んでいる最中に、俺にミルクの消費という仕事が割り振られたのは師匠の思いやりだろうか?
子供たちとリスラ、リグダールさんと煮炊き場で取り組む作業は料理しかない。今、子供たちに集めさせた材料が続々と揃いつつある。
子供たちに材料収集を依頼したのには歴とした理由がある。現在開拓団に所属する子供は孤児院から参加したこの子たちしか居らず、俺が直接譲り受けるよりも優遇されるからだ。
最初こそ、勇者様などと持て囃された俺ではあるが、最近は皆も慣れてしまったようでフレンドリーな応対をされることが多い。それ自体は有難いのだが、開拓団の資産の分配となると他の開拓団員に準じる数量以上を獲ることが難しくなっている。
そこで腹黒い案として、子供たちに材料の調達を依頼したのである。
「卵もらってきたんだけど……もしかしたら中身入ってるかもしれないって」
「中身って、まさか……」
「うん、たぶん、そういうこと」
真っ先に戻ってきたガヌが告げた内容に、俺の表情筋が引き攣る。
ガヌの言う中身とは通常の黄身と白身ではない。成長具合はまちまちなれど、孵化前の雛が入っているという意味だ。しかも、その多くは孵化する前に死んでしまった卵で親鳥が温めることを途中で止めるため、無精卵と混ざってしまうことがある。
一応、重さで判別するという術は存在するのだが、それも完璧とは言い難いのが辛い。ここは多少面倒でも、卵だけを他の器に取り分ける必要があるだろう。
「リグダールさん。この中にとりあえず卵を十個割ってください」
「俺はミルクを量らないといけないし」
しれっと、精神的に苦痛を伴いかねない卵割をリグダールさんに任せる。少なくとも俺よりは慣れているであろう、大人なリグダールさんだからこそ任せられる仕事だ。その卵はミルク百ccに一個の割合だったと記憶している。
その間に俺は、ミルクが入った樽からサラダボールに目見当で牛乳パック一本分に当たる一リットルのミルクを注ぐ。日本で用いられる単位の定規もなければ、計量カップも計量スプーンも存在しない。だから、あくまでも目分量だ。
「たぶん、中身入りはコイツです。……ほら、やっぱり入ってました」
「凄い! よくわかりますね」
リグダールさんがこれだと見極めた卵には、ぎっしりとした雛が入っていた。
見ちゃったけど、あれくらい育っているものならそこまで気持ち悪くはない。もっと小さく、雛なのか卵の成分なのか判別できないヤツよりかは遥かにマシだ。
「すまない相棒、砂糖の入った樽と泡立て器も出して」
「ニィ!」
えーと確か、大さじ五杯くらいだったか。この砂糖は甘みが弱いので、ちょっと多めに入れてしまおう。
黒糖と呼ぶほどではなく、薄い茶色の砂糖。ミルクに混ぜていくと、ミルクたっぷりのコーヒー牛乳のような色合いに変わった。
そして割ってもらった卵の紐みたいなヤツを取り除いては、投入。これ自体はかなり栄養価が高いと兄貴が言っていた覚えがあるけど、食感が悪くなるのを避けるためだ。
で、ひたすら混ぜるだけ。
で、プリン液は完成したのだが、器をどうするか迷う。
この煮炊き場にはオーブンは設置されていない。なので、鍋にちょっと細工して蒸すことになるのだが、俺が持っているのはほぼ木製の皿やコップしかない。
蒸す場合、木の匂いがプリンに移ったり、逆にプリンの甘い香りが器に移りそうでな気がする。一応、ガラス製のグラスも幾つかは持っているけど、耐熱仕様であるとは考えにくい。
「リスラ。陶器のカップとかある?」
「帝都にて出立前にカツトシ様にお預けした中にならありますよ」
「いやぁ、目録を失くしちゃってさ。どれが誰の荷物か、見当も付かないんだけど……どうしよう?」
「……うーん。あっ、それなら少しお待ちください。宛てがあります」
リスラはそう言い残すと一目散に、どこかへ駆けて行った。
完成したプリン液の前には、俺とガヌ、リグダールさんの男三人が取り残された。
そういえば、今日はミジェナちゃんの姿を見ていない。
「ガヌ、ミジェナちゃんは?」
「ライアンのとこ」
「ああ、なるほど」
一昨日の師匠の提案、魔法陣の学習目的でライアンに預けられていても不思議ではなかった。俺に教えられるかどうかが甚だしく疑問なので、全てライアンに教わって欲しくもある。
「――カツトシ様、お連れしました」
「勇者様、ご無沙汰しておりますわ。先日頂いたクッキーという菓子は、それはもう美味でしたわ」
「えっ、えーと……こちらこそ、パム・ゼッタ夫人」
リスラが連れてきたご婦人は、ダリ・ウルマム卿の奥さんでキア・マスの母親。一見すると、おっとりした女性のように見えるが時々妙に視線が鋭く、俺は彼女に怖いという印象を持っている。
「それでリスラ、どうして?」
「パム様は目録作りにご協力してくださったとお聞きしています。写しをお持ちしているのではないかと考えまして」
「あら、家財道具の目録ですか。ええ、写しでしたら確かにわたくしが所持しておりますの」
ダリ・ウルマム卿のお家族には開拓団員の家財道具一式の『収納』のお手伝いをしてもらったのは間違いない。ただ、目録の写しなんて、いつの間に作ったんだか?
それに、今、どこから目録を取り出した? キア・マスといい、このご婦人といい、謎が多すぎる! だが、気にはなっても訊かない。キア・マスとはまた別の意味で怖いもの。
「非常に助かります。リスラの荷物は何番か、教えていただけますか?」
「殿下の嫁入り道具ですね。ええと、八十二番ですわね」
「聞いたな、相棒。八十二番だ」
「ニィ!」
相棒が取り出したのは山と積まれた荷物だった。
そういや、嫁入り道具だったんだな。以前聞いたリスラの話では、これでも少数に厳選したと言っていたが……、他の開拓団員の荷物と比べると三倍相当だろう。
「リスラ、お茶のカップを十個くらい借りたいな」
「借りるも何もアタシの資産はカツトシ様の物ですよ? 探しますね」
「あら、まぁ。あの殿下がこんなにも積極的に、見違えますわね。ところで、勇者様。この甘い香りは、また何かお作りになられておりますの?」
「師匠からクリームを取り除いたミルクの消費を考えるようにとのことで、プリンというお菓子とクリームシチューを作ろうかと」
「そのプリンという菓子、わたくしもご相伴に預かってもよろしいかしら?」
「ああ、はい。勿論です」
リスラがガヌを伴って嫁入り道具を漁る中、必然的に俺はパム・ゼッタ夫人の相手をしなけらばならなかった。リグダールさんはダリ・ウルマム卿の奥方と聞いて、カチコチに緊張してしまっているため、宛てになりそうもなかったし。
夫人の持つ目録の写しが無ければ、プリンは完成し得なかった訳だ。それ以前に、このご婦人は怖いので、断ることなど不可能だった。
「カツトシ様、見つけましたわ!」
「うわ、なんか高そう。リスラ、プリンを蒸すんだけど、本当に使ってもいいの?」
「ええ、意味は分かりませんが期待しています!」
「兄ちゃん、早く早く」
「勇者様、わたくしも期待しておりましてよ」
リスラは俺の質問に答えにならない答えを返し、ガヌもパム・ゼッタ夫人もプリンに興味津々であるらしい。そして、リグダールさんはパム・ゼッタ夫人が目の前にいる以上、全く役に立ちそうもなかった。
タロシェルとサリアちゃん、早く戻ってこないかな?




