第二百五十三話
大まかに宅地と農地の区切りを示すのは、簡易に打ち込まれただけの杭に軽くロープを張っただけの目印。
そのロープの内側に、三名のゴブリン族の姿がある。
彼らは偶然にも帝都を訪れていたところ、師匠に請われ雇われたらしい。彼らにとっても開拓するのには適さないとの事情で、開拓予定地手前の草原を一時的な拠点とすることで合意。
そうして、この草原にて耕した土を、本来の開拓予定地へと持ち込む方針に切り替えた。
耕すと言っても、まず表層を覆う草を払わねば、どうにもならないと俺は思うのだが……彼らは別段、その辺を気にしてはいないようにも見える。
「ここを平らにすればいいだか?」
「ええ、排水の溝は勾配を考えないといけませんが、整地の段階でそこまでは求めません。よろしくお願いしますね」
ゴブリン族の皆さんは結成式の段階では四名は居たはずなのだが、いつの間にか三名に減っていた。いや、パレードの時点では三名に減っていたと思う。
ゴブリンさんたちはそれぞれが異なる農具を手に、師匠たちが張ったロープの内側に横一列となり陣取っている。俺から向かって右側は鍬を、中央は鋤を、左側は角スコを。
鋤と鍬に関しては何とも言えないけど、角スコに至っては日曜大工の折に兄貴がよくセメントを捏ねていたものと瓜二つ。日本製の角スコだと言い切っても、不思議ではない形をしていた。
彼らは、そんな角スコや鋤・鍬を無造作に地面へと突き立てる。
すると、どういう原理なのか、地面が……正しくは土がうねり始めた。かと思えば、表層を覆っていたはずの草々は枯れ果て、いつの間にやら整地が完了しているではないか!
戦車を駆っている時も細かな砂利などの凸凹を感じた地面が、今や真っ平らに均されている。草の根や、それこそ石ころが混じることも無く、ただただ土の地面が滑らかに均されているのだ。
「終わっただよ?」
「おおー、これは何という早業。しかも、ここまで綺麗に!」
「おでらにこれを持たせてくれた、神様たちのお陰だでよ」
「……見た目よりも遥かに高度な魔具だ。少し、見せてくれ」
「ダメだでよ。これはおでらの宝物だでな。勝手に見せだらババ様に怒られるだ」
血生臭い逸話のあるゴブリン族にはライアンであっても無理は言えず、一度の拒絶で素直に引き下がった。彼らの癇に障れば、開拓団ごと闇に葬られかねないのだから当然だろう。
相棒に『収納』するという荒業は、その辺りには抵触しなくて助かったが、結構な意味で今更だとも言える。気が付いたのが、今なのだから良い訳のしようもない。
「では、ゴブリンさんたちは引き続き周囲を耕してください。終わり次第、カットス君に回収してもらいましょう。ロギンさんは……給湯器を、ローゲンさんは小屋の建設をお願いします。開拓団員の皆さんは、代表者の指示に従ってください!」
◇
「魔王は排水用の溝を掘ってくれ。深さは俺の背くらいで幅はこのくらい、長さは宅地を区切るロープの端から端まで、十字にな。勾配は中央が膨らんで、四方に流れていくようにだ」
「だってさ、相棒。頼むぞ」
「ニィィ?」
緩やかでも角度をつけていかないと水は流れない。そのくらいは俺でもわかる。でも、わかるという事実と、実際にやるのとでは大違いもいいところだ。
面倒なことは相棒に丸投げが俺のスタンダード。なのだが、相棒の生返事を聞く限りでは、安心もしていられない。
深さが約一メートルの幅が約五十センチの溝。俺と相棒とで先に溝を掘らないと、ローゲンさん率いる開拓団員は建物を建てられないらしい。そんなことなら、ゴブリンさんたちに溝を掘って貰えば良かったのに!
「なんでこんなに深いんだ?」
「帝国は雪が降るからな。雪が積もって下水が溢れても嫌だろ?」
「ああ、うん」
俺は去年帝国の大雪を体験している。
窓の外が一面の雪景色なんて甘っちょろいものではなく、小さな樵小屋だとか猟師小屋だとかが一晩振り続けた雪で埋もれるレベルのドカ雪。
南関東育ちの俺には物珍しくも、それでいて地獄のような経験だった。あれを経験しているから、その対策としてこの深さが必要と言われると納得するほかにない。
中央となる部分に印をつけ、相棒に少しずつ少しずつ地面を齧ってもらいつつ、俺が歩んでいく。十字とはいっても中央から四方向に進む以上、結構な手間だ。
俺がこんなちまちました仕事をしている間に、ライアンは目見当で鉄板を配り始めている。あの鉄板こそが、排水をどうにかするためのスクロールの役目を果たすのだろう。
宅地部分だけではそう広くもないのに、四本の内一本を完成させるだけで一時間は経過している。あくまで、俺の腹時計基準だけど。
「出来た端から水を流して検査しろよ!」
「はいはい、わかりましたよ」
こういう作業をすると左右対称のシンメトリーにでもしないと、俺の気が済まない。ただ、そんな几帳面に考えていると、結局いつまで経っても終わらないのだから困りもだ。
相棒が齧り取った地面を踏みながら、ドケチ魔術『凹』で表面を固める。折角、丁寧に作ったのに崩れられては堪らないからな!
ドケチ魔術『凹』はドケチ魔術『凸』と同様、地面が固いと大して役には立たないのだが、こうして何らかの作業をした後だと普通に踏み固めるよりは幾らかマシ、と言える程度には硬くなる。
「水、流れているな。変な所で留まってもいないようだし……とりあえず、この二本は完成だ」
「魔王さん、一段落したら石材と木材を出してクレ」
「あ、はい」
どうやら、俺が溝を掘るまで建設作業にはいれないのではなく、資材が『収納』されたままで作業に移れなかったらしい。
「どこに置きますか?」
「溝が通らない位置にまとめて出してクレ。資材の運搬は二人一組カ、それ以上で組んで運べヨ。怪我すんじゃねえゾ」
「「おう」」
資材はどれだけ使うかわからない。だから、全部出してしまうことにした。
残りの溝二本を掘れば、宅地は四等分される予定である。その一区画に全部の石材と木材を並べて置く。置くのは相棒なので、俺は適当に指示するだけだけどな。
「何気に俺もライアンに負けず劣らず、仕事量が多くねえか?」
「おう、魔王さん。ブツブツ言ってねえで、早く資材を頼まあ。あのドワーフ、やる気満々なんだよ」
「雨期が来るまでに建てないと、テント暮らしだそうだぜ!」
「雨期が終わったら、すぐに雪だ。テントじゃ潰れちまうよ」
お飾りだ何だと言われながらも馬車馬のように働かされるのが、俺の在り方であるようだ。とはいえ、俺だってあのドカ雪や雨期の豪雨の中、テント生活というのは真っ平御免だ。どう考えても無理があるからな!
「急ぐナ、焦るナ! 怪我すんゾ! しっかり足元を見て歩けヨ!」
「ローゲンさん、鉄は?」
「鉄材は丘の杭打ちに使うだけダ。余計な事、気にスンナ!」
資材を並べ終えても開拓団員の会話に耳を傾けていては、俺に与えられた溝堀りは終わらない。あと二本。そう、あと二本やりきったら休憩にしよう。




