第二百三十話
「最後はこいつだ」
「指揮官だな」
ライアンが焚いた薬の煙は地下牢中に充満している。
レウ・レルさんたち騎士団も、ここを管理している看守たちも、キア・マスまでもが地下牢から退避していた。
「新薬の効果はあった。問題はこの煙の処理だな」
大気すら消失させる『びぃむ』をぶっ放せば、煙も消える。でも、煙と一緒に地下牢の壁も天井も消しちゃうけどな。
「相棒、どうにか出来ないか?」
「ニィ!」
無理を言っているのは承知。でも、相棒ならば可能かもしれないと考えたのだ。
だが、返された答えは存外に良好。
相棒は二本の触手の先端を開口タイプに変化させた。
そして、そこら中に漂う煙を吸収していく。
これは……『収納』なのか? 少なくとも『捕食』ではないだろう。
「煙が晴れていく」
「他の牢にも影響があると思うのだけど、それはどうするんだ?」
「そんなものは知ったこっちゃない。何にせよ、牢に入れられるような真似をしているんだ。気にするだけ、無駄だろ?」
ライアンはムリア騎士との交渉に立ち会ってなかったから知らないだろうが、ムリアの女性騎士を扇動していたジャガル出身の帝国民が牢に入れられていたはず。彼らにも当然罪はあるのだが、それもまた強要されたものである。
この薬、本当に大丈夫なんだろうな?
「ニィ!」
「相棒、よくやった!」
「薬は効かなくても、煙たかったからな。助かるぜ!
じゃ、こいつを叩き起こして、最後にしよう」
ライアンの眼は、黒目の部分が真っ赤に充血していた。
他人の記憶を覗き見るという行為の対価にしたら軽いのかもしれないが、それでも十分な対価を支払っていると思える。
黒と赤。
警告色? それとも罪と罰の色?
「……うぅぅ」
「早く起きろ、クソ野郎!」
呻く指揮官にライアンの蹴りが入る。
如何に短い脚から放たれる蹴りであろうとも、ライアンには汎用スキル『剛脚』がある。目覚めようとしている指揮官が、今度は永遠の眠りに誘われかねない。
「落ち着け、ライアン」
「このクソ野郎が開拓村を幾つ潰したと思ってんだ?」
それは記憶を覗き見たライアンでしか理解できない。
俺はライアンの解説を聞いていただけで、全てを把握しているわけではない。
「しかもほぼ皆殺し。生かしていたのは幼い子供のみ。死んだ開拓民は戻らないにしても、子供はどうにか見つけ出してやりたい!」
「だから! そいつは貴重な情報源になる。手荒な真似はよせ!」
大事な証人をここで失う愚は冒せない。
四十三名いた野盗の中で、ウィヴと同様に強制労働させられていた者たちは十八名にものぼる。半数以上は指揮官に従う野盗だった。
ウィヴの言う犠牲者も盗賊生活が長いものだと二十年以上、ウィヴともう一人は新参で三年というところだった。
「すまねぇ、他人の感情に流された」
「無理すんなよ」
「記憶を覗いていると感情がそちらに同調してしまってな……」
ライアンは他人の記憶を覗き見る。その代償は明らかに危険だ。
ライアン自身の感情とは別に、覗き見た被害者の感情を再現してしまっていた。
「うぅぅ……」
「起きたか? 煙を吸い込んでいるから、こんなものだろ」
「気を付けろよ」
「ああ」
転がったままの指揮官の頭を両手で固定して、ライアンは瞳を合わせた。
こいつで最後。後はライアンを十分に休ませてやりたい。
「……盗賊団、草原の鷹。強盗団、禿鷹。
このクソ野郎と弟は東国連合の諜報部隊出身だ。子供はヘルド王国経由で、東国連合に引き渡されている」
「よく耳にするけど、東国連合って?」
西の商業都市国家ジャガルに関しては以前説明を受けたことがある。
東国連合というキーワードも偶に聞くのだけど、説明を受けたことはない。
西のジャガルと対照的に、東に位置するというのは俺にも分かるけどな。
「東国連合は……バームズ教、アンバームズ教会の総本山がある地域のことを指すが、正式名称ではない。現在も幾つかの国が乱立していると言われているが、帝国の成り立ち以前から紛争が止まない、危険な地域とされている。
十年も同じ国があり続けることが無いという、戦乱渦巻く地域のことだ」
指揮官から眼を離したライアンの解説を聞いて、俺の脳内を皇帝陛下の言葉が過る。
バームズ教とアンバームズ教会は、サイトウさんをこの世界へ呼び出した連中だ。そして、俺もまた無関係ではない。
ヘルド王国に渡ったアンバームズ教会はバームズ教と名を変え、ヘルド王国の国教になったという話を聞いている。
その総本山ともなれば、サイトウさんや俺にとっては敵も同然だ。
「ヘルドに移った連中は、ユニークスキル持ちを悪魔の貶める分派だ。アンバームズ教会はユニークスキル持ちを悪魔とは断じていない。代わりに、人族至上主義を掲げている。開拓村の子供たちは商品として、東国連合に連れ去られたと考えられる」
「商品?」
「労働力や性的嗜好を満たす目的の……奴隷だな」
奴隷……。
俺もヘルド王国では、そうなる可能性があった。
当初、あのクソ王子は俺を戦争の道具にしようとしていたからな。ユニークスキル持ちと知って、処刑されそうになったけどさ。
「この際だから話しておく、か」
「なにを?」
「東国連合が人族至上主義を掲げる理由、そのひとつをだ」
「うぅぅぅ……」
小さく呻く指揮官の側頭部に蹴りを見舞ったライアンが、珍しく真面目な表情を見せた。




