第二百十九話
ライアンは意識こそしっかりとしているものの、どうにも体が思うように動かないらしい。上体を起こそうと座席に手をついても、肘に力が入らないようなのだ。
「初めてだけど、やり方は同じ。『O2』……大丈夫そうだな」
俺はライアンに酸素吸入させてみた。鼻先に右手を翳し、ドケチ魔術で酸素を作り出してみた。
魔力量を間違えて仮に液化しても、容器がないのですぐに霧散するだろう。
「……少し楽になったような?」
「短時間ですが、意識を失っていたのです。ライアン様はそのままでお休みください」
俺は酸欠など経験したことがない。だから、今のライアンの状態がどのような感じであるのか、全くわからない。
リスラの言うように、ライアンは休ませておいた方がいい。
◇
「ほんの少々戦線を離脱していただけで、この有様ですか?」
「相棒、高い位置を飛んでいる奴を槍で狙え! 低い位置に滞空しているのは弓にしろよ。戦車を巻き込むのはマズいからな」
戦車が一台大破、放棄されていた。その戦車には大きな血痕が残され、馬と戦車とを繋いでいた部品はバラバラになっていた。馬を狙われたのだ。
農耕馬は強い。だけど、空中から襲い掛かられてはどうにもならない。
「ワイバーン共、短時間で学習してやがる!」
ライアンの言うことは恐らく正しい。ワイバーンたちは馬鹿ではないのだ。
戦車にとって最も重要なものは動力源となる馬。馬が無ければ、ただのリヤカーでしかない。
「巣に侵入した後とは、行動が完全に異なりますね。原因はあれでしょうか?」
「守るものが無くなったから、容赦がなくなったってことか? 俺だって中央は敢えて外して槍を落としたってのに!」
俺たちがライアンを救出に向かう前は、巣の中央はすり鉢状になっていた。そこでは中型のワイバーンが小型のワイバーンを囲うように守りを固めていたのだが……。
今や、すり鉢状の底には瓦礫があるだけ。焼け焦げたような跡がないことから、アグニの爺さんが手投げロケット弾を放ったものではないことは推測可能だ。
「幼生をぶっ殺したのは、どこの馬鹿だ? 親父殿は奴らの弱点を守らせたまま、圧し潰すつもりだったろうに……自警団の連中か?」
「カツトシ様やライアンの活躍を観て、功を焦ったのでしょう?」
底に堆積する瓦礫には、矢が数十本と突き刺さったまま。発破を用いた鏃や手投げロケット弾は自警団には提供していない。だから、彼らは弓を用いた、その跡なのだろう。
また、翼の発達が未熟でファルコンスケイルよりも二回りは小さいワイバーンの幼生らしき死骸が幾つも転がっている。
同様に中型のワイバーンに守られていた小型のワイバーンは幼くも翼は十分に発達しているようで、今は空を舞っていた。
旧都市国家テスモーラからベルホルムス村のへと向かう道中で、シギュルーが討ち取ったワイバーンと同等か、それ未満の個体に相当するだろうか。
「シギュルー! 逃げる素振りを見せるワイバーンを牽制、足止めしろ! そして俺たちを呼べ、往け!」
「ライアン様はワイバーンが逃げるとお考えですか?」
「俺の落とした投げ槍による混乱もあっただろうが、奴らは幼生を守る必要があった。それは今は失われている。俺たちへの怒りで今はここに留まってはいるが、形勢が悪くなればやがて逃げに入るはずだ。だが、奴らを逃がすのはマズい。いずれ復讐に帰ってくる恐れがあるからな」
「そんな、まさか……」
「ゴブリン族の逸話だと、そういうことが多い。他の魔物でも頭が良い奴は大抵そうだ。俺たちが開拓地へと赴いた後に、奴らが復讐に来ればベルホルムスだけじゃなく、テスモーラにも被害は及ぶだろうぜ。だから、魔王、一匹も逃がすな!」
一匹も逃がせない。逃がせば、俺たちが居ない時に村や街が襲われる。
開拓団がベルホルムス村を訪れなければ、ワイバーンの巣を駆逐しようと計画しなければ、起こらなかったかもしれない可能性である。
俺がどのような評価をされようが構わない。だが、開拓団の実質的な代表はミラさんなのだ。ミラさんにその責任を全て背負わせるわけにはいかない。
「リスラ、ダリ・ウルマム卿か師匠を見つけてほしい。一度合流して事情を説明したい。勿論、シギュルーの呼び声が最優先ではあるけど」
「わかりました。ライアン様もよろしいですか?」
「ああ、そうすべきだ」
今はまだワイバーンたちは巣の上空を旋回している。今の内に、段取りを整える必要がある。
「すぐそこ、キア・マスも一緒です」
「親父殿!」
俺はライアンに向けていた右手を降ろす。ライアンが上体を起こし、座席の背もたれに体を預けたからだ。ドケチ魔術『O2』はもう必要ない。
戦車を牽いたミートは俺たちが一切御す必要もなく、ダリ・ウルマム卿の乗る戦車へと並走した。
「ライアン様!」
「婿殿は、どうやら無事のようであるな。感謝しますぞ、勇者殿」
「そんなことはどうでもいい。中央を叩いたのはどこの馬鹿だ?」
「……自警団だ。部下や元冒険者たちの制止を振り切って、な」
どうやら、ライアンの読み通りであったようだ。
「ダリ・ウルマム卿、ライアンはそちらに。俺はリスラとワイバーンを掃討するため、巣から距離をとりたい」
「あの晩の再現をなさるおつもりですか?」
「相棒、何発撃てる?」
「ニィ!」
リスラの質問には答えず、相棒に問う。
相棒は左の触手の先を手の形に変えると、四本の指を立てた。




