第二百十六話
俺たちを乗せた戦車を軽々と牽き、ミートは草原を駆け抜けた。
村の東側を迂回する際には、シギュルーやスモールラビはやや嫌がる様子を見せていた。魔物にとっては、やはり嫌な臭いであるようだった。
俺は薬草の匂いこそ気にならないものの、改修された革鎧の着心地の悪さに辟易していた。
改修された革鎧は、表面に黒いワイバーンの背中側の鱗が付いたままの皮を張り合わせたもの。元の革鎧に比べると、重く分厚い。
内部の蒸れた空気の逃げ場が首元と、下腹部で垂と連結する部分にしかない。腕鎧も脇の下や肘の部分には、お腹側の比較的柔らかく細かい鱗の付いた皮で補強されているため、こちらも蒸れる。
関節部の脆弱さを改善する目的であるのだろうが、酷く蒸し暑いのが困りものだ。
それでも今日の出発前に間に合わせてくれたのだから、文句が言えるわけもない。巣の駆逐が終わるまでは辛抱しよう。
開拓予定地に着いたら、新たに革鎧を仕立ててもらえば良いのだから。
「見えた、本隊はあそこだ」
「ミート。速度を落として、ゆっくり近づこう」
「先に何も見えませんが、随分と距離を取っているのですね?」
ワイバーンの巣がリスラの眼で見えないとなると、俺やライアンでは全く見えないことになる。
「ワイバーンは目が良い。逆に鼻はそれほど利かないようなんだ」
「様子を窺いつつ、一気呵成に攻め込むと?」
「斥候の報告次第になるだろうがな」
斥候にはアグニの爺さんとキア・マス、そして村の自警団が参加しているはずだ。
ライアンが疑問に答えている間に、ミートは本隊へと近づいていた。
「これでこちらの戦力は全て揃いましたね」
「俄かに信じられん話ではあったが、まさか本当にスモールラビを連れておるとはな」
「この二匹なら心配ない。シギュルーがしっかり教育しているからな。……それで、この後はどうするんだ?」
シギュルーが教育しているという事実に、一抹の不安を感じるのは俺だけか? シギュルーと相棒の初対面を思い出すと、どうしてもな。
「今はアグニ殿とキア・マス嬢を待っているのですが……」
「噂をすれば……ライス殿、戻ってきたようだぞ」
「……待たせてしまったようだの。巣はもぬけの殻とは言わぬが、数頭が飛び立っておる。ここ数日の行動から餌の確保に向かったと考えられる」
「先に巣を荒らすことも可能でしょうが、飛び立ったワイバーンがいつ戻るか不明ですわ」
巣に滞在しているワイバーンの数が少ないのは狙い目ではある。
しかし、短時間で巣のワイバーンを駆逐し損ねると、戻ってくるワイバーンに後背を突かれる恐れもあるか……。挟撃ともなれば、こちらにも甚大な被害が齎されることになるだろう。
俺と相棒で相手にできる数も限られる。それは勿論、アグニの爺さんやライアンでも変わらない。
指揮権を持つのはダリ・ウルマム卿だ。さて、どのような判断を下すのだろうか?
「飛び立ったワイバーンが戻るのを待つのが定石でしょう」
「うむ。ワイバーンは全て、巣に封じ込める形が望ましい。キア、特殊個体は本当に存在せぬのだな?」
「はい、父さま。比較的体躯の大きな個体が二頭いますが、体色は他のワイバーンと変わらず、砂色をしています」
「間違いない。儂もこの数日張り付いておるが、一度たりとも目撃してはおらぬ」
俺が……いや、相棒が倒した黒いワイバーンは、あの一頭だけであったようだ。
まあ、あんなのが何頭もいてもらっては困るのだ。
「巣を離れ北西へと向かったワイバーンは六頭。今のうちに巣との距離を詰めては如何かの?」
「ではアグニ殿、先導をお願いできますかな? キアは偵察班の指揮へと戻れ。飛び立ったワイバーンが戻り次第、伝令を送るように。開戦の狼煙は婿殿が上空より放つ投槍とする。離脱のタイミングを誤るな」
「はい、父さま。ライアン様、ご武運を」
「ああ、任せろ」
シギュルーとのペアであるとはいえ、空から襲わせるつもりなのか……。かなり危険な役割であると、俺でも分かる。
「アグニ殿に従い先行しろ。露払いは任せる」
「それでは皆さん、ゆっくりと前進しましょう」
即座に走り去ったキア・マスと違い、本隊はアグニの爺さんの歩む速度で進み始めた。露払いが必要なのは、それこそスモールラビのような小型の魔物が草陰に潜んでいる可能性があるからだ。
その露払いは、ダリ・ウルマム卿の部下であった元軍人チームが引き受けた。
「お前らは大人しくしとけよ。間違って狩られたらシギュルーが悲しむからな」
「「ブゥ」」
「ライアン様、この仔たちはどうなさるのですか?」
「戦車に乗せたままでも、小さいから邪魔にはならないだろ」
シギュルーが気に入っているから連れてきただけ、らしいな。ワイバーン戦で役に立つとも考えにくいし、俺はそれでも構わないけどさ。
「ブゥ」
「グゥ」
「こうして見ると、可愛いものですね」
そんなスモールラビ二匹はライアンに甘えつつも、リスラに対して愛想を振りまいている。俺と相棒には近付こうともしないのは、シギュルーの教えなのかもしれない。




