第二百十四話
ミラさんとイレーヌさんの用意した食事は、タロシェルの焼いたブドウ酵母の柔らかいパンと卵が溶かれたスープだった。
タロシェルの焼いたブドウ酵母のパンは、当然の俺からライアンを経由してタロシェルに引き継がれたもの。最近のタロシェルは朝から晩までパンを焼いていると聞く。まるでパン屋のように。
卵が溶かれたスープはというと、ワカメが入っていたり、ほうれん草が入っていたりはしない。ワイバーンの肉片から取ったスープに、卵が混じっているに過ぎない。
卵もワイバーンの肉も安価ではないのだが、ライアンやリスラが口にした地竜の肉と比べてしまうと質素なものとなってしまう。
「このスープ。贅沢に卵まで入っているというのに、何か物足りない……」
「今までなら間違いなく美味しかったものが、美味しいと思えない。カツトシ様、一体アタシたちは何を食したのですか?」
ライアンとリスラは早くも、地竜の腹の肉の効果が表れ始めていた。
俺が頑なに口にしないその部位には、旨すぎるという欠点がある。
「くんくん、くんくん。――地竜のお肉が焼けた匂いがする!」
ミラさんやイレーヌさんの手伝いをしていたサリアちゃんが叫ぶ。
「地竜だと……?」
「カツトシ様が地竜を討伐したお話は聞き及んでおりましたが……まさか」
ワイバーンの脂身もそうだが、地竜の脂身も旨味が異常に強い。だから俺は少しでも脂身の少ない部位を選んで食べるように心掛けていた。昨日、ガヌたちに食べさせたのも同様で旨いのは間違いないのだが、決して旨すぎはしない部位を選んでいる。
二人に振舞ったのは、繁殖期で巣ごもりを始めたばかりの雌の腹の肉。それを塩のみのシンプルな味付けで焼いたもの。
「あぁ、ル・リスラ……あれを食べてしまったのね。可哀そうに」
「ミラ?」
憐れむような視線をリスラに向けたミラさんを、イレーヌさんは怪訝そうに見つめる。
脂の乗った地竜の腹のお肉の味は、戻ることの適わない茨の道への入り口なのである。俺は無知であったが故に。師匠やミラさんは俺が巻き込んだが故に、口にしてしまった禁断の食物。
俺の経験上、十日前後は何を食べても満足できることはない。数少ない愉しみのひとつである食事は、ただの作業に成り下がってしまう。
特に肉は壊滅的だ。如何にワイバーンの肉もまた美味であるとはいえ、地竜の肉には逆立ちしても届きはしない。
ライアンもリスラも気付き始めてはいても、それがどれだけ厄介であるかをまだ理解できてはいないはず。次の食事の機会となる夕食を経て、初めて気づくことになるだろう。
◇
イレーヌさんとサリアちゃん、ミジェナちゃんに昼食の片付けは任された。
タロシェルは夜に向けて、パンを仕込むらしい。酵母種の量産も含めて。
居残り組に問題がないことを確認して、ミラさんと俺、ライアン、リスラは作戦会議が行われる師匠たちの小屋へと向かった。
開け放たれたままの扉の先には、予想よりも大勢の人々が集っていた。
「では始めます。自警団・開拓団合同となる戦車隊は一丸なって移動します。敵はワイバーンです。分散してしまうと、こちら側が各個撃破されかねませんからね」
口火を切ったのは師匠。
続いて、ダリ・ウルマム卿の発言となる。
「開拓団側の戦車は勇者殿、ホーギュエル伯爵、私ダリ・ウルマム、元軍人、元冒険者の五台。自警団にも同じく五台を割り当てる。戦車の御者席へは最大三名が乗り込める仕様である。自警団は明日の出発までに担当を決めておくように」
「戦車運用上の注意点ダ。原則、普通の馬車と同様の操作で構わないゾ。速度は出るが小回りは利かないからナ、そこは十分に気を付けロ!」
「冒険者ギルド開拓地出張所所長のミモザです。携行食を人数分用意してあります。現地で合流予定の一部斥候の分も十分に賄えます。運搬を担当する自警団各位は忘れずに積み込むようお願いします」
流れを読んだのか、ローゲンさん、ミモザさんも続く。
俺たちも含めた大半の者は、大人しく話を聞いているだけだ。
「白銀騎士団団長レウ・レルと申します。村の守りは我らにお任せください」
レウ・レルさんは、皇帝陛下の後ろにいつも控えていた騎士さんに似ている。今は甲冑を身に纏っているからか、印象がかなり違うけど。
「村の北側に物見台となる櫓を立てタ。バリスタも据えてはあるガ、数の少ない特殊矢は村の上空や至近距離では使うなヨ! 建物や櫓そのものに引火する恐れがアル!」
特殊矢とは恐らく手投げロケット弾のことだろう。バリスタ用に樽の中に火酒を詰めたという、例のやつだ。
最初、鉄製馬車に据えていた時に、バリスタが旋回できる構造になっているのを確認している。でも、ベアリングで力も入れずに軽く旋回出来たりはしない。力技で強引に回すという感じだった。そもそもボールベアリングが存在しない。
俺たちがワイバーンの巣を駆逐できても、帰ってきて村が火の海になっていては堪らない。バリスタの運用には十分に気を払っていただきたい。
「今晩の食事は豪勢にするつもりです。十分に英気を養い、明日の戦いに備えてください」
全ての連絡事項が通達された。と思う。
最後にミラさんの言葉で作戦会議は終わりを告げるはずだったのだが、豪勢な食事と聞いた者たちは興奮を隠そうともしなかった。
その多くはベルホルムス村の自警団員たち。農作業の傍ら、煮炊き場で度々見掛ける開拓団の料理に興味津々であったらしい。それを実際に食べられるということで、予想以上の反響となっていた。




