第二百六話
今日は朝からムリア騎士との会談が予定されている。
この会談には開拓団の実質的な代表を務めるミラさんも出席しない。代わりに師匠とダリ・ウルマム卿が出席して、和睦交渉を執り行うらしい。
まあ、師匠とダリ・ウルマム卿の狙いは、アランの元同僚の引き抜くことが目的のようだけどな。
「兄ちゃん、腹減った~」
「今日はなんで朝食作りに来ないんだろうな?」
「なんか作ってよ」
俺の体調は昨晩と比べても回復しているようで、楽にはなっている。
それに村長宅内には煮炊き場があるから、ちょっとした料理くらいなら出来なくもない。
だが俺は、ここでひとつの大事なことを思い出した。相棒の中には開拓団の昼食がたんまりと収められているのだ。
干し肉に硬パン、温かなスープが数日分も入っているはずだ。
ただなぁ。勝手に食べてしまうとミラさんが怒る可能性が高い。
フリグレーデンでは、飲み水を入れていた小樽をシードル造りに勝手に流用したことでかなり怒られた覚えがある。危険と分かっている行為は控えるべきだ。
「ガヌ、少し手間は掛かるけど料理するぞ。手伝え」
「うん!」
トイレには行くので、村長宅の間取りはそこそこ覚えた。トイレは外にある単なる穴なんだけど……今はいいか。
水瓶から柄杓で掬った水で手を洗う。土間が水浸しになるけど、気にしない。
ただ、この水もいつ汲んだものかわからないところが怖い。
「相棒。前に聞きそびれてたけど、地竜の肉はまだあるんだよな?」
「ニィ!」
「兄ちゃん、地竜の肉って!?」
「だいぶ前に狩ったヤツなんだけど、大丈夫腐ってはいないはずだ」
「そういうことじゃないんだけど……」
ガヌが何かぶつくさ言っているけど無視だ。
俺は今、無性に肉が食べたいのだ。しかし、俺の手元にはワイバーンの肉もサイの肉も無く、あると思えるのは地竜の肉だけ。
食事当番がやって来ないことが原因なのだ。俺とガヌは何も悪くない。
「まずはステーキにしよう。この位の大きさで、この位の厚さがいいな」
「ニィ!」
「いいぞ、相棒! 部位はどこか判らないけど、旨い事は確かだ。塩と胡椒も出してくれ。あとナイフは二本な」
「ニィ!」
胡椒はもうほとんど残ってないと思うんだが、ここは奮発しよう。
相棒が適切な大きさにカットしてくれた肉の表面に、隠し包丁を入れる。噛み切るのに難儀しそうな筋は、予め相棒が取り除いてくれているからそれほど面倒でもない。
「鍋は村長さん宅のを使わせてもらおう。洗っておけば平気だろ?」
「あとで洗っておくよ」
土間には二つの竈が並ぶ。炭と灰の中に種火が燻ったままだ。
近くに積んである小枝を投入しておく。炎が大きくなったら薪をくべて、炎が燃え移るのを待つ。
そうして、目の付いた位置に底の分厚い鍋があったので利用させてもらうことにした。
「火加減は弱すぎず、強すぎず、こんなもんだろう。鍋底がぶ厚いし、油を十分に吸い込んでいそうだから、焦げ付く心配もなさそうだ」
ジュウウウウ
片面をじっくりと焼いて、表面に水分が浮かんできたらひっくり返す。
暫し待ち、ナイフを真ん中辺りに突き刺した後、唇に当て温度を測った。
「よし、もう良いだろ。ガヌ、皿」
「はい」
ガヌが持ってきた村長さん宅のお皿も勝手に使わせてもらおう。
ナイフの予備をガヌに渡して、フォークは無し。手掴みで食べる。
「熱ッ、ウマ!」
「相変わらず旨いな、この肉。てか、弱った体に染み込むぅ」
俺に足りなかったのは肉だ。
食欲が無かったんだから仕方ないけど、血を作るにはやっぱり肉を食わないとな。
とりあえず、小腹を満たすために三百グラムくらいのステーキを俺とガヌで一枚ずつ、食べ終えたのだが。
「兄ちゃん、全然足りない」
「でも次もステーキじゃ芸がないよな……」
俺とガヌは、村長宅の台所を漁り始めた。
食べられそうな食材を探しているだけで、盗みを働こうとしているわけじゃない。サリアちゃんやミラさんだって、食材や調味料は勝手に使っているはずなのだから。
「卵があったよ。でも、いつのだろ?」
「こっちはキャベツっぽい何かだな」
「――魔王様、遅くなりました。ん……いい匂いがする!」
建付けが良いのか、村長宅の扉は軋む音がしなかった。だから、気付くのが遅れた。
「サリア、遅い!」
「仕方ないの、途中で捕まったんだから! 魔王様、お客さん連れてきた」
村長宅へ踏み込んで来たのが、サリアちゃんであることはその声から察せられた。でも、お客を連れてくるとは何事だろうか?
台所は土間ではあるけれども玄関付近ではない。どちらかというと裏庭に近い。
食材探しが途中だが、誰が来たのか確認しに行くか。
「なんだ……アランか」
「僕だけじゃないよ。早く入りなよ」
「……昨晩ぶりです」
えーと、誰だっけ?
開拓団もベルホルムス村もエルフとハーフエルフばかりなので、人族は目立つ。だから、見間違えはしない。昨晩に会った、アランの元同僚で隊長さんじゃない方の人だ。
俺はどう挨拶すれば良いのか分からず、会釈だけを返す。
「今、食事中なんだよ」
「上がらせてもらうね。と言っても、君の家じゃないけどさ」
アランも遠慮がない。そもそもが村長の家な訳だし、俺に遠慮する必要はないのだが。
「サリアちゃん、何を持って来たの?」
「タロシェルの焼いたパンに卵とミルクなんだけど。……この匂いは何?」
「地竜の肉を焼いたんだ」
「地竜!?」
ガヌもそうだが、サリアちゃんも驚きすぎだ。俺は、というより相棒がたんまりと持っているのだから消費せねば勿体ないだろうに。
「ワイバーンの肉も食べてみたいんだけど、手元にないんだよ」
「あぁ……そうだよね。って、ガヌは食べたの?」
「凄くうまかった!」
「カットス! 僕にも食べさせてくれるって約束だっただろ?」
「副長、意地汚いですよ」
地竜の肉の存在が危険なことは、ノルデでの経験上知っていた。でも、我慢できなかったんだ。
しかも、サリアちゃんに嗅ぎつけられてしまった以上、ここに集う面子の口を塞ぐ必要があるのは間違いない。
「今からちょっと料理するから待っていてくれないかな?」
「兄ちゃんの料理は旨いからな!」
「この前のくりーむころっけは美味しかったもんね」
「あぁ、あれは旨かったな」
「副長、私も連れて逃げてくれれば良かったものを!」
「リグダールは田舎暮らしが嫌で王都に逃げてきたんだろ? それに僕と妹は逃げた訳じゃなくて、開拓団に保護されたんだ」
「いやいや副長、ムリアの僻地とこの開拓団を一緒にしないでください!」
ああ、この人は昨晩の食事にやられたらしいな。
タロシェルの焼いたパンは非常に柔らかく、ミラさんとイレーヌさんの合作っぽいワイバーンカツも見事だった。ついでに誰が作ったかわからないバターも添えられていたのだ。
こちらの普段の食事や旅の食事を考えれば、陥落してしまったリグダールさんを責めることは出来ない。保存の利く硬パンや硬い干し肉ばかりの食事は、本当に苦痛なのだ。




