第二百話
気付けば、私は立ち上がっていた。
目の前に立つ男が発した声音と、仮面の外れた表情に反応したのだ。
そして歩み寄ろうとして、何かに遮られた。
「アラン……!?」
「それ以上は近寄らないでください。今の僕らには護衛がついていますから」
ランプの薄明りで照らされた室内に影のようなものが蠢いていた。それが私の歩みを遮ったものの正体であるらしい。
アランの言う護衛とは、彼の後方に控える魔王のことであろう。即ち、この奇妙な影は魔王の仕業であるようだった。
「連絡もせずに姿を消したことを先に謝罪します。ですが、隊長からの特命は無事に遂行いたしました」
「イラウやフリグレーデンで捜索しても一向に見つからないわけだ。まさか、開拓団内部に身を潜めていたとはな」
散々心配して損をした気分だ。
だが、アランは無事あったのだ。今は喜ぶべきだろう。
ただ、言葉にし難いが何か違和感がある。
「何故、副長に護衛が付くのですか? しかも魔王とは何の冗談です」
「リグ、口を慎め」
「いえ、護衛が付くのは当然ですよ。僕と妹は既に開拓団の一員ですからね」
「アラン、何を言っている? それに妹?」
「はい。あの日、イラウで隊長から情報収集の任務を受けたのは僕と彼女です。メヒルド家の外で生まれた、僕の腹違いの妹です」
アランが食事を持ってきた仮面の女を指し示す。つまりは彼女が妹か。
私はてっきり恋仲の女性であると勘違いしていたが、その顔つきや髪色等にひとつも共通点が無いのだ。誰であろうと勘違いするだろう?
そしてアランがメヒルド子爵家を恨む理由。それは恐らくこの妹の存在にあるのだろう。しかし、今はそれどころではないな。
妹云々の前に、アランは何と言ったか?
「開拓団の一員とはどういうことだ?」
「隊長から受けた特命の完遂を機に、略式ですが帝国への亡命手続きも済ませました。僕と妹は既に帝国の民です」
魔王がアラン兄妹の護衛につく理由はこれか。
デルヴァイム侯爵がラウド将軍に託した親書によると、ラウド侯爵領を含む帝国近隣の領地貴族が帝国に寝返るための算段を取り付けたかったことが分かる。
アランの行動はそれに先んじたに過ぎない。極論すれば、早いか遅いかの問題でしかない。
少々納得できない想いもあるが、今は私情を挟むべきではないだろう。
何より、今考えなくてはならないのは。
私たちが開拓団に追いついたタイミングで、アランが姿を見せた理由がわからない。何らかの交渉をしに来たと考えられるのだが……、主導権を握れるだけの情報を私たちは有していないのだ。
「既に帝国民であるというのなら、騎士団と兵団の退役手続きも必要あるまい。それだけか?」
「いえ、ひとつお願いがあります。もし、その願いを聞き入れていただけるのであれば、開拓団の情報をひとつ、ここで開示しましょう」
交渉に来たのではないのか? お願いだと?
「その願いとは何か?」
「明日行われる、開拓団とラウド将軍らの会談。
開拓団からダリ・ウルマム元将軍とオニング公国ホーギュエル伯爵が代表として出席します。ラウド将軍らムリア側の代表が開拓団側の意見に反対するのを防いでいただきたい」
「そんなことが出来るわけないだろう?」
「隊長もご出席なさると聞いています。多少強引にでもねじ伏せてください。それが最善を導く手段となるのですよ」
「何を以て最善とする? こちらの事情は……レウ・レル殿から伝わっているのか?」
「はい、当然です」
私たちは元より開拓団と交渉に来たのではない。開拓団にお願いに参上したのだ。
アランの態度はそれに似せてはいても完全に別物だ。これでは脅しだよ!
「その願い、呑むしかないのだろう?」
「いえ、どちらを選んでも隊長の自由ですよ。ただ、そちらの望みは潰えるでしょうが」
まったく! アランがここまで嫌らしい交渉術を用いるなど、私は今の今まで知らなかった。私の記憶にあるアランは、礼儀正しく実直な青年であったはずなのだが……。
「さあ、どうなさいますか?」
「副長、まるで別人ではないですか……」
「黙っていろ、リグ」
「わかった。何としてもラウド将軍を説得してやる」
アランが口角をあげてニヤリと笑う。いいや、これは威嚇だな。
私の知る彼は、こんな嫌な笑い方をする青年ではなかったはずだ。
「では情報をひとつ開示しましょう。これを聞いたらもう後戻りはできませんよ?」
「くどい!」
「ハハハハハッ! 僕も教えられた時には乾いた笑いしか出ませんでしたが……隊長とリグダールはどうでしょうかね?
僕の後ろに控える護衛はご存知でしょう? 魔王と呼ばれている冒険者ですが、実は他にも呼び名があるんです。それはなんと今代勇者様! ムリア騎士が当初狙っていた勇者とは、魔王のことだったんですよ!」
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「ほ、本当なのか?」
「本当ですよ。な?」
「ああ、勇者とも呼ばれている。それらしいことは何もしてないんだけどな」
「謙遜も好い加減にしないと、また代行に怒られるぞ」
私とリグダールは驚きのあまり数舜呆けてしまっていた。
勇者が魔王であるとすれば、友好的な接触を求めたラウド将軍はどれだけ慧眼であったのか。逆に、ミレイユはどれだけ愚かなのか……。いや、それを言うのなら私たちも同様だろう。
帝国上層部や開拓団に於ける情報の扱いが徹底されていたことを如実に表している。先代勇者の印象から凶悪なまでの武力を有する魔王が、まさか今代の勇者であるとは思いも寄らなかった。
私たちや賊集団はまんまと偽情報を掴まされ、それを必死になって追い掛けていたことになる。
「ラウド将軍たちには秘密ですよ。それと約束は守ってくださいね?」
「わかっている!」
魔王が勇者であったという事実はこの際どうでも良い。
問題は半ば脅しに近いアランのお願いを聞き入れると宣言してしまったことだ。魔王がこの場に居合わせた以上、約束を反故にすることは出来ない。
ただの冒険者などではなく、勇者であるというのなら当然の如く発言力も有している。最悪は明日の会談の場で、ムリア騎士が全員処刑されかねないではないか!




