第百九十七話
見舞客が去ると、俺は寝た。静養中の俺に出来ることなど、それくらいしかない。
ふいに気配を感じて目が覚めた。
ここ最近の俺は例え眠っていても、微かな物音を捉えれば目が醒めるようになっている。これは殺伐とした世界で暮らす中で身に着いた習慣なのだろうな。
そんな俺が真っ先に目を向けたのは、ベッドの横にある紅く染まった陽光の差す窓辺。その窓辺から大きな何かが連続して飛び込んできた。
「ニィ!」
咄嗟に相棒がインターセプト! 飛び込んで来た何かを広げた触手で受け止めた。その後、相棒は受け止めた物のひとつをベッドに転がっている俺の腹の上に優しく置いた。
置かれた物品は俺が両手で抱えねばならない大きさでカチコチに硬い。しかも、かなり重く、体感で十キログラム以上はありそう。
「チーズ、ちゃんと受け取ったか?」
「ふざけんな! 相棒が受け止めなかったら、大怪我してたんだぞ!」
ひょっこりと、窓枠に顎を乗せるように現れたのはライアンとガヌ。二人の後ろには戦車を牽いたミートの姿も見えた。
「それとガヌをお前に預ける。ガキ共は元々全員が陪臣候補だから、側付きにするにゃ丁度いい」
「ん」
「いや、待て! 窓から入ってくるな。ライアン、どういうことだ?」
窓枠に足を掛けたガヌは俺の制止を無視し、ベッドを飛び越えて部屋へと乗り込んで来た。
「先触で飛び込んで来たリナス義兄さんの話だと、キャラバンを率いているのがガヌの姉貴らしいんだわ。そこで勇者が静養している村長宅であれば、そう簡単に乗り込めないだろうと、な。緊急避難だ、察してくれ」
「お願い、兄ちゃん」
「ああ、うん、わかったよ」
あのブラコン姉からガヌを守るためだ。まあ確かに村長宅ともなれば、村の重要施設だろうから安心ではあるのだろう。でも、実際どうなんだろ? 本当に効果はあるのか?
「あと、兄さんからの伝言がある。『アラン君に協力してやってほしい』そうだ。
どうも、キャラバンに同行しているムリア騎士の勧誘工作を今夜仕掛けるつもりらしい。詳しくはアラン本人に訊け」
「今夜って……マジかよ? いや、まあ、だいぶ回復したから動けなくはないけど」
「兄ちゃん、晩御飯はミラ様が作りに来てくれるってさ」
ガヌを俺へと預けたライアンは村長宅の裏庭で戦車からミートを外すと、戦車を裏庭に置いたままでミートだけ連れ去っていった。
寝起きに硬く重いチーズが飛んでくるという冗談のような出来事から一転、何やらややこしい事情に巻き込まれることが確定している現状に俺は首を傾げる。
謹慎とは一体、何だったのか? ゆっくり静養させてくれないものかね。
そんなことを考えていると窓の外はすっかり陽が沈み、夜の帳が降りていた。
普段であれば静かな夜を迎えているベルホルムス村であるのだが、今夜はやけに騒がしい。師匠の予測よりやや遅れはしたが、キャラバンが到着したのだろう。
「相棒、窓を閉めよう。ガフィさんに見つかったら大変だし、主にガヌが……」
「兄ちゃん、先にランプ点けるね」
ガヌは獣油ランプに着火石で火をつけた。
最初は臭いけど、慣れてしまえば気にならなくなった。部屋に充満する臭い成分が服にも付着するので、いつの間にか慣れてしまったとも言える。
山積みの武具類と血塗れの装備は、ガヌが寝る場所を確保するのに邪魔なので再度『収納』してもらった。
夕食のタイミングは夕暮れ時が一般的なのだけど、今日はミラさんの都合がつかない限りご飯にありつけない。俺は作れなくもないけど、あまり動きたくない。ガヌは料理が得意ではなかった。
小腹が空いた俺とガヌは間食にチーズを齧る。
ライアンが持ってきたチーズは三個もある。それも俺が両手で抱えねばならないほどの大きさのチーズが、だ。
ソフトなチーズではなく、カチコチのハードチーズ。ナイフが折れるんじゃないかと思うほどに硬くので、相棒に頼んで剣で切り分けてもらった。
で、味の方はというと、期待以上に美味しかった。
羊乳の独特な匂いがあるものの、これがまた癖になる美味しさ。そして分離させて生クリームを摂っていないためか、かなり濃厚でほんのり甘いミルクの味がする。
兄貴がよく買ってきた可愛らしい名前をしたチーズの味に似ているかも。
ただね、羊乳といってもきっとアルパカかリャマの乳なんだろうね。
「遅くなって、ごめんなさい。
今から作るわね。村長さんの家は小屋と違って、井戸や竈が家の中にあって便利だから直ぐよ?」
「あー、ミラさん! アランが来るみたいなことを聞いたんだけど」
「父上から聞いているわ。カットスは手伝うのでしょう? 今の内に着替えておきなさいね」
俺は師匠にお願いされたら断れない。そのお願いの内容がアランの手伝いであるのなら、俺に断る理由は特にない。
ミラさんが食事の支度を整える間に、俺は着替えを済ませてしまうとしよう。
「相棒、長袖のシャツとズボン。それとお古の革鎧を出して」
鎧下の予備はあるにはあるけど、ここにはない。農地傍の小屋の中だ。
だから、結構前に買い貯めしたシャツとズボンを着込むことにした。上に革鎧を着るので目立たないだろう。
「武器とか要るのかな?」
「その子が居れば、何も要らないわよ」
まあ確かに、相棒に『収納』されている武具はいつでも取り出せるからな。
◇
ミラさんが作ってくれたのは三人分のお粥。俺が好きな大麦のミルク粥。
そのままで半分ほど食べた俺は、相棒に『収納』から取り出した金属ヤスリでチーズを擦りおろしてもらい、三人分のお粥にふり掛けた。勿論、ミラさんとガヌの承諾は得ている。
「チーズが入ると一段と美味しいわね!」
「おいしいね」
「ミラさんが作るものは何でも美味しいんですけどね」
――コンコン
俺が借りている部屋の扉が叩かれた音じゃない。もっと遠く、恐らく村長さん宅の出入り口を叩く音だろう。
――コンコン
今度こそ、この部屋の扉が叩かれている。
「どうぞ」
「お邪魔します。お食事中でしたか?」
「もう食べ終わりますよ」
部屋の扉を開いたのは仮面をつけたアラン。その後ろには同じく仮面をつけたイレーヌさんの姿もある。
伝言から察するに、やってくるタイミングとしては妥当なところだろう。
「いってらっしゃい、カットス」
「いってきます」
一応、俺自身の足でも立ち上れる。が、歩くのには自信はない。
それでも相棒が補助してくれるから問題はないかな。
今夜の主役はアランとイレーヌさんの兄妹であるのだろうし、俺は……一体、何をやらされるのだろうか?




