第百九十五話
窓枠をテーブル代わりに、サリアちゃん謹製のミルク粥に舌鼓を打とう。食事をする間だけでも室内に漂う嫌な臭いを忘れ、外を眺めながら気持ちよく過ごそうなどと考えたのが運の尽き。
相棒に開放してもらった窓の外の景色は、黒いワイバーンの死体で埋め尽くされていた。そういや先程、師匠がそんなこと言ってたっけ?
早速、相棒にお願いしてワイバーンの死体にはご退場いただいた。その後ようやく、村長さん宅から垣間見える居住区の営みを肴にミルク粥を堪能できた。
床の掃除を済ませたミラさんとリスラ、朝食を用意してくれたサリアちゃんはもう村長さん宅には居ない。師匠だけを残して仕事に出掛けた。ロギンさんの手伝いだ。
「さて。一通りライアンから話は伺っていますが、僕に何か相談があるのでは?」
戦車上でライアンに相談した件を、今度は師匠に相談するのだ。
ライアンが予め伝えておいてくれたらしく、詳しい説明を省けるのは正直助かる。
「俺が今もまともな人間であるか、非常に怪しいんです。普通の人間は傷が高速で回復したりしないでしょうし……」
シャツを肩まで捲り上げ、右腕全体が見えるように露出させた。
指先にあった痺れは既にない。今はもう負傷前と何ら変わりなく動かすことが出来る。あとは血液が不足している程度、それも時間が解決してくれることだろう。
「実際に現場に立ち会っていない僕には詳しいことは分かりませんが、ほぼライアンと同意見ですね。意識、無意識を問わず、相棒さんが鍵を握っているのは間違いないでしょう」
と、師匠は述べると窓の外に身を乗り出してキョロキョロ周囲を確認し出した。
「えーと……ありました。このスクロールを使いましょう」
師匠は、相棒が放出した武具の山から一つのスクロールを見つけ出した。
それは俺が以前ライアンにもらった防音のスクロールだった。
「……ここだけの話なのですが、ミラを救ってくれた儀式級魔法陣。僕はアレによく似たものを以前目にしたことがあるんです。カットス君もまた見ていると思うのですが、君の場合はそちらに意識を向ける余裕はなかったかもしれませんね」
「え?」
師匠だけでなく、俺も見ている魔法陣?
いいや、俺はあんな立体的な魔法陣が存在することすらも知らなかったんだが……師匠は何を指して、そんなことを言っているのか?
「ヘルド王国の地下、広間そのものと一体となった巨大な魔具に描かれていた魔法陣のことですよ。カットス君が現れる直前には、それこそ巨大な球体の儀式級魔法陣が出来ていたのです」
「そう言われてみれば……あの時、床が仄かに発光していたような気も」
あの時の俺は、車両の中に戻ることを最優先だったからな。他に気が付いたことがあるとすれば、馬鹿王子に一矢報いた師匠が笑っていたことぐらいしか覚えがない。
当時、魔術の魔の字も知らない俺がそのような物を気にする余裕などなかった。
「僕が学院に通っていた頃でしたか、古代文明の言語を研究する学者が古文書の解読の成果を発表したことがありました。結局、その言語学者は暗殺され、事実は闇に葬られましたがね。
その学者が発表したのは『空間魔術には上位互換となる時空間魔術というものが存在する』という古文書の記述でした。
僕の推測ではありますが、ヘルド王国の地下広間にあった巨大魔具も、相棒さんが用いた儀式級魔法陣の正体も、その時空間魔術とやらではないかと思うのです」
ミラさんの傷とミスリルの鎖帷子の復元は、確かに時間が巻き戻ったとしか考えられない。だが、俺の右上腕の再生は異なる。
一概に師匠の意見に頷くことは出来ないが、それでも可能性としてはアリだと思う。
何故なら、相棒に『収納』した食べ物が腐ったところを俺は見たことが無い。
つい先程放出された野盗の指揮官だってそうだ。襲撃から何日も経っているというのに精神的な消耗はあったにせよ、身体的には元気なままに見えた。
「続けますよ?
既に空間魔術には多大な利権が存在します。商人が空間魔術の得意な魔術師を雇い入れ、その商人に貴族が出資するという構図で成り立つ巨大な市場です。
しかし言語学者が発表した時空間魔術は、現在の空間魔術を脅かす存在と見做されたようです。古代魔術、しかも儀式級となると再現はほぼ不可能であるというにも拘らず、です。
より大きな利を求める商人は時空間魔術を求めるのは道理です。そうすると、現行の空間魔術師は安く買い叩かれることになる。若しくは職を失いかねない。
現状の安定した利益で満足する貴族、仕事を失いかねない魔術師たちのいずれかに言語学者は殺されたと考えるのが妥当でしょうね」
「酷い話ですね。でも、その話が俺とどのような関係が?」
「カットス君は今でも勇者として非常に価値がある存在です。実際にムリア騎士がカットス君の身柄を奪取しようと動いていましたでしょう?
そこへ更に、カットス君のユニークスキルが失われた時空間魔術を操るかもしれない。という情報が書き加えられれば、君の存在価値は今以上の価値を持つことになるでしょう。
そうなれば言語学者のように暗殺されかねない。否、殺されずとも研究者や権力者に付き纏われることになりますよ?
王侯貴族や商人という権力者の中には、時に欲望に忠実な愚者が生まれるものです。しかも彼らは思い込みが激しい者が多い。私の推測はあくまで可能性の話でしかありませんが、彼らはあるものと断定して動き出すのです。
如何にカットス君が帝国の庇護下にあるといっても、安心は出来るものではないのです。
そのようなカットス君に降り掛かる火の粉は、当然ミラや殿下にも降り注ぐでしょう。開拓団も然りですね。
ですから僕は敢えて時空間魔術の疑いがあることは伏せました。皇帝陛下への報告書にも明文化は避けています。
ですが、皇帝陛下は帝国では非常に珍しい魔術師でもあります。そこに思い至ってしまう可能性は否めません。但し、皇帝陛下や帝国の方針は勇者への恩返しですからね。仇となる行為には至らないと思いますが」
師匠の長々とした話を聞くに、俺のアンデッド説よりも相棒原因説の方がより可能性としては高いように思える。
「ニィ?」
ニィじゃないよ!
俺がこの危険ばかりの世界で生きるには相棒の存在が不可欠だ。
相棒が居なければ、俺はとっくの昔に死んでいても何ら不思議じゃない。だから相棒には感謝してるんだけど、今ある問題の大半は相棒が原因なんだからな?
いいや、相棒は俺のユニークスキルだ。でも、スキルってそもそも何だ?
それにユニークスキルだけに限った話でもない。言葉の壁を突き破る汎用スキル『通訳』だって、考えれば考えるほど色々とおかしい。
それに、相棒には自我があって感情もあると断言できる。
俺が負傷した時など激高していたようにも思えるし、気絶から覚醒した俺の声が届かない程に怒りに満ち満ちていたのだ。
「カットス君のユニークスキルには色々と謎が多いですが、あまり深く考えないように。今は体力の回復に努めるよう、お願いしますよ」
「わかってはいるんですけど、謎のまま放置するというのは……」
俺も兄貴と同じで、わからないものをわからないままにしておけない性格であるらしい。
今回に限っていえば兄貴よりも酷いかもしれないな。だって、答えがどこに転がっているのか見当すらつかないのだもの。




