第百九十三話
左頬を優しく撫でられる感触により目が覚めた。
「ニィニィッ!」
「お前に起こされるのは久しぶりだな、相棒」
冒険者生活での野営時には、相棒が布団代わりと夜警を務めてくれていた。
そして朝日が昇る頃、その時々に応じて様々な方法で俺を起こしてくれたものだ。今回の相棒は肩から生えているようである。
俺はどうやら狸寝入りから一転し、本当に眠っていたらしい。嘘から出た実と言えばそれまでだが……。
遅まきながらも、現状の把握に努めようと思う。
まず、目につくのは天井が低さ。六畳程と若干狭いが小綺麗な部屋であるようだ。
その上、俺が今も仰向けに寝転がっているのは手作り感溢れる木製のベッド。
多少ゴワつく敷布団は干した麦藁を薄い布で巻いただけであり、上掛けは毛足の短い何かの毛皮が用いられている。
少なくとも、手投げロケット弾の試射に向かう前まで過ごしていた小屋ではない。
「枕の中身は羊毛っぽいな。っと、まだダメか」
手をついて上体を起こしてみたのだが、眩暈に襲われてしまう。
どうも完全に回復する程には休めていないらしい。まあ、それが判っただけでも十分だ。眩暈が止むまで、このままで居ようか。
上体を起こしたことで、自身の体に視線が向く。
鎧、帷子、鎧下は全て脱がされ、生成りのシャツと股引だけを身に着けている。
これは当然と言えば、当然だろう。血塗れのまま、ベッドに寝かせるはずもない。
血塗れの装備品は壁際に置かれていた。好い加減、血は乾いているようである。
「ニィィ?」
「だいぶ落ち着いてきたよ。いきなり動いたのが拙かったんだな」
ベッドの直ぐ横には窓がある。だが、鎧戸が閉ざされており、外の様子や時間帯を伺うことは出来なかった。
「相棒、鎧戸を……と思ったけど、誰か来たな」
――トットットットットットッ、ギィィィ
「ッ! 起きてる! お姫様ぁぁぁ、魔王様起きてるよ!」
少しだけ開かれた扉の先に覗いたのは、サリアちゃんの顔だった。
そのサリアちゃんはというと、俺が起きていることを確認すると扉を閉めることなく走り去る。
聞こえてきた内容からすると、予想は出来るが……。
「カツトシ様! もう起き上がっても平気なのですか?」
「いや、まだ……かな」
大丈夫、などと言えないところが少々悔しくもある。
「ところで、ここは?」
「ええ、村長のご厚意でご自宅をお借りしているのです」
ああ、なるほど。
記憶にある師匠の言葉では小屋で雑魚寝させる気満々だったのだが、村長さんは中々に出来た人物であるようだ。あとで菓子折りでも持って行こう。
「ライアン様は昨日のお昼には起き上がり、薬草の群生地を歩き回っておいでです」
「ライアンはそう酷い怪我を負ったわけでは……昨日の昼?」
「カツトシ様は丸一日と半日眠っておりました。ですから、今は朝なのです。
朝食はどうなさいますか?」
「軽めに、お粥をお願いします」
実感がない。そんなにも長く眠っていたというのに、血液の量が回復していないことも含めて。
そして、あれ程までに焦がれていたはずのお肉を食せるだけの食欲がない。
お肉を食べたいという欲求は確かに存在するというのに、だ。本末転倒とは、正にこれ……か?
「朝食を用意させている間に、ホーギュエル伯爵を呼んで参りますね」
「うん、お願い」
ああ、良かった。リスラにお粥を頼んだのは失敗ではなかったようだ。
誰か、別の人物が料理してくれるっぽい。
◇
「カットス!」
「まだ顔色は優れないようだけど、とりあえずは無事で何より」
「御心配をお掛けしました」
リスラが呼んで来たのは、ミラさんと師匠。
ミラさんは今にも俺に抱き付きそうな様子だったが、師匠が制止した。
揺さぶられるのは少し怖い。頭に残っている血が急激に下降してしまいそうだからな。
「しかし災難だったね。事情はライアン君から聞いているよ」
「もう無茶をして!」
おや? 思ったほど、ミラさんが怒っていない。
ライアン、何をどう話した? いいや、俺にはわかる。
ライアンは目覚めてからも、自由に歩き回っているとリスラから聞いている。きっと、肉目的でサイを追い掛け回した事実を伏せたに違いない。
血抜き済みのサイは偶々、本当に偶々、遭遇したとでも言ったのだろう。
「カットス君たちが戻った翌日、偵察に放っていた斥候も戻っています。巣の場所の特定済みなのですが、討伐の主力であるカットス君が床に伏している現状では保留とするしかありません」
「それだけではないわ。イラウからキャラバンが来ているの。先触れでキア・マスのお兄さんの一人が駆けてきているの。しかも厄介な客と一緒という話よ」
「しかしカツトシ様の体力が回復なさっても、カツトシ様が身に着ける装備品の予備が存在しません。ライアン君の話では、投槍そのものは有効であるようですが……」
俺が寝ている間に、様々なことが立て続けに起きていたようだ。
脳みそに血が足りないのがいけない。内容を理解するのに、時間を要する。
見た目的にも頭を抱える事態である。
「ニィニ! ニィニ! ニッ!」
「どうした、相ぼ……う!?」
俺の傍で大人しくしていた相棒が突然、その触手を伸ばす。
掴んだのは、血に塗れた革鎧。いや、革鎧本体と垂を繋ぐ位置にあるベルトを掴むと引き寄せた。
今や二本ある触手を器用に使い、血が固まり蓋が開き難くなっていたポーチから何かを取り出した。
「……ステータスプレート?」
「ニッ!」
俺にステータスプレートを手渡した相棒は、少し距離を置いて床にその先端を向ける。そして、その両の触手の先端からは、見覚えのある多くの武具を放出したのだった。




