第百七十五話
馬車の荷台に据え付けられている座席の撤去は比較的簡単だった。
というのも、現在進行形で行っている車輪の取り外し作業が殊の外難航しているからだ。
その主な理由は鋲にある。
座席は直径が二ミリ程の釘で荷台に固定されていたため、ナイフの刃を平らな部分に引っ掛け、てこの原理で引き抜くことで対処した。
適切な道具がなくて悪戦苦闘したため、バールのような釘抜を今度ロギンさんに作ってもらおうと思う。
そして車輪の撤去作業に取り掛かると、すぐさま問題が露呈した。
車輪を固定している金具は、荷台を支える梁部分の上下を金具で挟み込むように鋲でカシメられていた。お陰で苦戦も苦戦、大苦戦だ。
当初は復元できるよう、なるべく壊さずに取り外そうと考えていた。しかし、こうなってしまっては最早壊すしかない。
フリグレーデンをテコ入れした先代勇者サイトウさんは鋼材の規格化を指示したらしく、鉄製馬車に積み込まれている鋼材は兄貴が見せてくれたモノとよく似ていた。
そのため、俺はこちらの世界にもネジやボルト・ナットがあるものと思い込んでいたのが敗因だ。
サイトウさん、どうせならネジやボルトの規格化もやってくれたら良かったのに……。
「兄ちゃん、一本切れたよ!」
「ガヌ、次だ! どんどんやれ」
現在、俺とガヌは馬車の下に潜りこんで作業中。無論、車輪を外すのだから馬車本体が落下しないように配慮した。
相棒に運んでもらった大きめの石を俺のドケチ魔術『凸』で固め、俺とガヌが潰されないように土台を作り上げて馬車を支えているのだ。
一度投槍の作業場まで戻り、ロギンさんに金属ヤスリを借りてきた。今はそれでギコギコと鋲を削り切っている最中にある。
車輪を固定している金具は片側に三個ずつ、全部で六個。鋲の数は金具一つにつき三本もある。かなり頑丈に造られていて、一本切ったくらいでは微動だにしなかった。
しかも鋲は鋼らしく、一本切るのに体感で一時間近く掛かっている。今日中に車輪の取り外しが終わるか、甚だ疑問だ。
金属ヤスリをギコギコとやりながら、兄貴が語っていた蘊蓄を思い出す。
日本でも戦後からの高度成長期には、橋や鉄塔などに鋲が使われていたと聞いた。高力ボルトというものが登場して以来、その地位は奪われてしまったようだが。
真っ赤を通り越して黄色くなるまで熱された鋼の鋲を、やっとこで掴んで投げるんだと教えてもらったことがある。そしてボルトのように使うけどナットは無く、ハンマーで叩いてカシメるんだとか。
「――兄ちゃん、もう一本切れた!」
「お、おう、早いな。俺も負けてられねえ!」
ガヌの作業が早い! 兄貴の蘊蓄を思い出している場合じゃない。
◇
「よぅ、どんな感じだ?」
俺とガヌは依然として馬車の下で作業を進めているため、声のする方を見ても足しか見えない。それでも小さな足と声音から、それが誰なのか見当はつく。
「兄ちゃん、外れた!」
「こっちももう少しだ。相棒とライアン、車輪を押さえてくれ」
「ニィッ!」
「おう、任せろ」
先行してガヌが馬車の下から這い出した。
「兄ちゃん! もう夕方だよ、昼飯食ってない!」
「あぁ、うん、すまん」
土台に馬車本体を預け、外れた車輪と共に馬車の下から出てみれば、辺りはすっかり夕焼けに染められていた。ずっと薄暗い馬車の下で作業をしていたので、時間の感覚がオカシイ。
たぶん昼飯を食っていたら、この時間には終わらなかったはずだ。と思うが、口には出さない。
「つかれた」
「もう暗くなる。続きは明日だな。ってライアン、何持ってんだ?」
「マッドスパイダーだ。土の中に巣を作って、作物を食い荒らす害獣や害虫を食ってくれる良い奴なんだが……ここまでデカく育つと子供を襲うことがあるんだ。実際、作業に飽きて畑の周りを走り回ってたミジェナが襲われてな。ぶっ殺したは良いが、解体するのに灯りが要る」
ライアンが引き摺るように持っているのは蜘蛛の脚。その蜘蛛は、ライアンと同等の大きさと言ってもいい。
「ライアンだって光の魔術は使えるだろ?」
「毒性は弱いんだが、毒嚢を取るのに集中する必要があってな。魔王に頼むのが手っ取り早かったんだ。早速だが、頼めるか?」
「まあ、別に構わないけどな」
断るという選択肢があるようで無い。そんなお願いだった。
そういえば、野盗たちが弓矢に塗っていた毒も蜘蛛のものだったな。
「えーと、なんだっけ? ケイブスパイダーとは違うのか?」
「ケイブスパイダーは成体であれば、もっとデカい。脚まで入れれば、農耕馬よりも大きいかもな」
「で、また薬の材料か?」
「いや、毒嚢さえ綺麗に取り除けば食える。晩飯のおかずが一品増えるんだから、早くしろ!」
ライアンが求めるのは光源。ドケチ魔術では条件を満たせないだろう。
そこで久しく使っていない、光魔術の一段目を使うことにした。
俺の光魔術の一段目は、中と外を区切る円の中に『光』という漢字が入る。スーパーで売っていたちょっとお高い卵に貼ってあるシールに似ているが、ある意味でドケチ魔術の原点とも言えるものだ。
光魔術の一段目は、俺に限らず師匠も配置式のはず。ライアンだってシギュルーを呼ぶのに、配置式の蛍光灯のような光魔術を行使できたはずなんだがな。
「これで良いか?」
「ああ、十分だ」
ライアンの頭上に三つの光の玉を配置した。
それと『食える』という言葉に驚きはない。
俺は冒険者生活中に二度、蜘蛛を食ったことがあるからな。
出先でロクな獲物に遭わずに固パンの在庫も尽きた時、飢えを凌ぐために相棒が捉えた蜘蛛の脚を焚火に放り込んで、殻の中で蒸し焼きにして食ったことがある。
そして俺はその時気付いたのだ。蜘蛛は非常に美味いのだと!
「ライアン。脚、貰って良いか? 料理してみたい」
「よし、綺麗に取れたぜ! ミラが晩飯を作っているから、急いだ方がいいだろうな」
「……兄ちゃんの料理?」
ガヌが不安そうに俺の顔を見上げてくる。
そんな目で見るなよ。俺だって作れるものは偏るけど、料理は出来なくないんだぞ?




