第百六十九話
トコットコットコットコッという非常に緩やかな歩調、ミートの脚音と馬車が軋む音と周囲を取り巻く雑多な音が聴こえてきた。
そうして目を開けば、すっきりとした胸元から涼やかな表情が覗く。
どうやら俺はいつの間にか、眠っていたらしい。
「お目覚めですか? カツトシ様。倒れられて、そのまま寝入っていたのですよ」
「ああ、そうなんだ。膝枕、ありがとうね。リスラ」
フリグレーデンで馬車の部品を点検した際、ライアンは相棒が潰した黒いあんちくしょうの遺骸を収集していた。その時、ライアンは薬の材料になるとか言ってたような気もする。
ただ、俺にとって必須である造血剤の材料になっていたとは心外であった。まさか、飲用する薬の材料だったとは……。
塗り薬の類であれば、仕方ないと諦められただろうに。
その、あまりに衝撃的な真実に耐えられず、俺はぶっ倒れたらしい。
「ん、先頭の馬車が止まった」
ガヌの頭部に生える耳がピクリと動き、くるりと前方に向けられた。
ミートの脚音も更にゆっくりしたものとなると、この馬車も動きを止めた。
「呼んでる。魔王の兄ちゃん、誰かが呼んでるよ」
グースカ眠っていたらしいがどれ程時間が経過したのだろう? 馬車が止まり、誰かが呼びに来る理由など決まっている。
ライアンとキア・マスが戻ったのだろう。
「もう少しゆっくりされても……」
「いや、行ってくるよ」
「――勇者殿、斥候が戻りました。至急、指揮車両へお越しください」
ほらね。
ガヌの耳は本当に優れモノだ。
俺の気配察知も日本で暮らしていた頃と比べれば遥かに過敏になったものだが、それ以上であると評価できる。
そんなガヌの耳ではなく伝令がやってきたことで、自身の膝に俺の頭を押さえ付けていたリスラは、やっと手を退けてくれた。
床に置かれた投槍と呼ぶには物騒すぎる代物を避け、馬車の後部へと移動。幌を捲り上げたまま待機する伝令と共に、指揮車両へと駆け足で向かう。
「来ましたね。ではライアン、報告をお願いします」
律儀に俺が到着するまで報告を待っていた? いや、二度手間を避けたのか?
馬車内にはライアンたちが出発する前と同様に師匠とダリ・ウルマム卿、リーダー格の元軍人やら元冒険者が数名。それと斥候から戻ってきたライアンとキア・マスの姿があった。
「まず結論から言えば、開拓村は健在だ。被害もほとんどない」
「ですが、この平原にワイバーンの巣が存在するのは事実のようですわ」
村が無事だというライアンに対し、キア・マスは巣の存在を認める。それは言ってみれば、相反する答えではないだろうか?
「巣があるのなら、なぜ村は襲われておらぬ?」
「ライアン様曰く、魔物の嫌う薬草の群生地の中に開拓村が存在する、と」
「事実だ。魔物除けの香に使われる薬草、その群生地のど真ん中に村がある。本来、魔物除けの香は中型や大型には通用しにくいとされているが、あれだけの群生地ならば十分に通用したとしても不思議ではない」
魔物除けの香は魔物が嫌う匂いを周囲に拡散する。街道や街の外壁などに設置されることが多いと聞いた。
どんなものかと気になって、街道に設置された小箱に近付いて嗅いでみたことがある。それはミントと生姜を混ぜたような、それなりに良い香りがしただけだった。
「要は薬草の香りが結界となり、魔物の侵入を阻んでいると考えられますね」
「村長にも接触済みですわ。開拓団の受け入れは可能とのことです」
「それと、あの村長とは以前に会ったことがある。俺が帝国に来たばかりの頃、世話になった先達ベスタと一緒に居た奴だ。恐らく、弟子か何かだろう。今回は俺が姿を偽っていないから、気付いてはいないようだったが」
最悪、壊滅しているのではと勘繰った開拓村は無事。
開拓団の受け入れも可能であるならば、ワイバーンの襲撃を避けることが出来る。
夜目の利くワイバーン相手だと、特に夜営が洒落にならない。初日は、よくもまあ無事だったものだ。
「ただ、あの村もワイバーンにはほとほと困り果てているそうだ。村の内部は安全でも外に出られないからな。塩などの必需品を入手するのに困窮しているらしい」
「そこで村長からの提案がひとつ。開拓村ベルホルムスと勇者様の開拓団合同で、ワイバーンの巣を駆逐しましょう、と」
塩は海から採れるものと岩塩の鉱床から得られるものなど、何通りか存在する。
俺が持っていた、今は相棒に『収納』されている鞄には拳大の岩塩塊がある。
どちらにしろ、入手するには村を出なくてはならない。そうである以上、やはりワイバーンの巣がこの辺りに存在することは問題なのだ。
「今、俺たちの馬車で対ワイバーン用の武器を量産しています。数が足りるかは微妙ですが」
「ああ、あれか。ロギンは鉄製馬車にバリスタを据えると言っていたな」
「ライアン、バリスタ用の資材は二門分しか購入してませんよ?」
「兄さん、二門もあれば十分だ。魔術実験を見た者にしか理解できないだろうが、単発の威力としては申し分ない。兄さんの火魔術と同等か、それ以上だぞ」
「それ程の威力があるのですか。魔術師でない者がそれを行使できるとなると、少々危険なのでは?」
「外部に流出するとマズいのは分かっているが、今は必要と判断した。それに本当にヤバいのは魔王が樽に詰める何かの方で、バリスタで運用するならそれほどの威力は出ない」
水素を樽に詰めるのは俺個人が、あの手投げロケット弾を使う時だけ。
実験の時は加減をミスって液体水素になってしまったのが、ライアンたちに誤解を生んだらしい。俺が本来使おうと考えていたのは、あくまでも気体の水素を用いるタイプである。
バリスタにて運用されるものには、火酒を詰めるとロギンさんから聞いている。ただ、火酒でも十分に危険な感じはする。焼夷弾みたいになるんじゃないだろうか?
「そこまで! 今は村に辿り着くことが最優先。ワイバーンへの対抗策は、村に到着してからとしよう」
「ああ、申し訳ない。ウルマム殿」
白熱していたワイバーン対策は一時取り止め、開拓団は開拓村ベルホルムスを目指すことに。
ふと顔を起こすと、御者台へと通じる窓の先には遠目に村の外観が映し出されていた。




