第百六十八話
「いつまでもそんな所に立ってないで手伝いなさいよ!」
物騒な投槍を検分していた俺を急かしたのはミラさん。
大した疲れもないが、一仕事終えたばかりの者に掛ける言葉ではない。見ろ、リスラも苦笑いを浮かべているではないか。
開拓団の代表者でもある俺のお嫁様の人遣いはとても荒い。
遠慮という言葉を瀕死の淵に置き忘れてきたのだろうか? いいや、以前から人遣いは荒かった。特に俺に対してだけ!
「お姉ちゃん、食事は済ませたのですか?」
「ええ、軽くね。みんな、夜に期待しているのよ」
投槍の構造を俺に解説するロギンさんと、先程からリスラと会話するミラさん以外は、黙々と作業に没頭している。ああ、ミラさんは口を動かしながらも手は動き続けていたか。
夜には死後硬直の解けるであろうワイバーン肉が解禁となる。
相棒の『収納』が無効化されて以降、野営での食事は昼ほどではないが、多少煮炊きする夜でも満足できるとは言い難い。
食べ盛りのミラさんや子供たちは、一段と顕著であるのだろう。口の端の涎を拭う仕草を何度となく繰り返していた。
「――王さん、ちゃんと聞いてるカ?」
「ああ、ごめんなさい。上の空でした」
「槍の石突にはライアンが魔具を装着する予定ダ。それで、バリスタで使う分の樽には火酒を詰めることにシタ。ちと勿体ねえがナ。魔王さんが使う分は自分でやってくレ」
「実験で魔王さんが樽に込めた何かのスクロールは作らナイ。完成品が一つでも外部に流出した場合、危険すぎるとライアンが頑なに拒んダ」
確かに危険だ。水のスクロールとは訳が違う。
俺の手元や相棒の『収納』内にあれば別だが、敵対勢力に盗まれでもしたら大変だ。
「改良したライアンの氷の剣は、桶に湯を張るのには最高だけどナ」
ライアンが試作した氷の剣。あれは結局、柄の部分を延長して水を程良く加熱するスクロールを組み込み、金盥にお湯を張る魔具になった。
水場が無くても風呂に入れる魔具として、開拓団だけでも注文が殺到しているらしい。薄い人工ミスリルの板を如雨露の口金のように加工し、湯の吹き出し口をシャワーヘッドと換装することを可能としたことも人気を後押ししたようだ。
「ライアンてのは、あの子供のことだろ? 優秀過ぎじゃないか?」
「そうよ、何なのあの子! 薬師で、錬金術師で、オマケに戦闘まで熟せるなんておかしいわ!」
魔具など技術的なことに大概関わっているライアンは、ロギンさんやローゲンさんの会話のネタとなることは多い。だが、この場に於いては藪蛇だった。
この馬車内で、ライアンの正体を知らないのはミラさんとアラン兄妹。
聞き耳を立てていた子供たちは素早く俯くと、作業に没頭している風を装う。今の今までミラさんと会話していたリスラは、素知らぬ顔をして子供たちに寄り添った。
藪蛇の当事者である俺とロギンさんとローゲンさんは、視線を交わすと何事もなかったかのように会話を再開した。
そう、華麗にスルーを決め込んだのだ。
「樽に槍の柄が刺さっている部分、漏れは大丈夫?」
「問題なイ、試作品の水漏れ検査は完了していル。この部分はライアンから提供された固定剤で固めてアル。本来は丸薬を固めるのに使うらしいゾ」
俺が高校で使っていた弁当箱くらいの大きさの木箱には、白いペースト状の固定薬とやらが入っていた。
顔を近付けてよく観察してみる。
木工用の接着剤に似た質感のぬらぬらとしたペーストの中に、テカテカと光沢のある茶色や黒色の破片のようなものが複数混じっている。
ごく最近、どこかで見たことのあるような……ないような。
「それはゴミ虫の体液ね。ライアン君はここで選別してたわよ?」
「え?」
待て! ミラさんは今、何と言った?
いや、その前だ。ローゲンさんは何を話した?
この白いペーストがゴミ虫……黒いあんちくしょうの体液だというのは認めよう。
相棒が駆逐する際、潰された奴の骸からはみ出た体液は確かにこんな色だった。百歩譲って、それはいい。
だが、その前に『丸薬を固める』とか言わなかったか?
丸薬。ライアンの作る丸薬には、俺が頻繁に飲用するものが存在している。
造血剤。外敵との闘争に赴く際には必ず一錠飲む、アレだ。貧血で倒れでもすれば致命的な隙となるため、それを避けるべく常用しているというのに。
血の気が引いていくのが分かる。歯の根が合わずにカタカタと震え始め、ワイバーンの解体に際して大量の血に塗れても、催すことのなかった吐き気に急襲される。
「――ウッ」
喉の手前まで込み上げてきた昼食を必死に飲み下す。息を吐けば、口内には胃液を含んだ嫌な味が広がった。
「カットス、大丈夫なの? ゴミ虫を薬に使うなんて私も驚いたわ。でも私は丸薬を飲む機会はそう無いから安心ね」
ミラさんが心配そうに俺の背を撫でる。相棒の生え際より下の辺りを。
ただ、その際に呟かれた言葉には優しさは欠片もなかった……。
「あら? あなた、二本目生えてきたの?」
「ニィ」
相棒はミラさんに応答する。そして、ミラさんの頭を二本の触手で優しく撫でまわす。触手に撫でられ、キャッキャウフフするミラさんもどうかと思うが、今の俺にそんな余裕はない。その間、俺は吐瀉物風味のゲップを堪えるのに必死だったからだ。




