第百四十九話
樽を用いた実験はあくまでも、起爆できるのかを試すためであった。
爆発物である以上、ボルトの暴発は想定の範疇ではある。それでも一張しか持ち込んでいないクロスボウが大破したのは痛恨の極み。
ただ、クロスボウが失われたことで、槍の穂先とするアイデアが生まれたのは幸運だろう。
反省内容は多々あるのだが、それはフリグレーデンに戻ってからとしよう。
俺は馬車の横に置いておいた麻袋から、皮手袋と薄い五角形の小箱を取り出す。これは、俺の私物で一昨日に購入したもの。リスラに借りた金貨で買ったのだが……それは言わぬが花だろう。
皮手袋は二ミリから三ミリはある厚手の物。なめしも雑で多少ゴワつくが、作業用手袋としては一般的なもの。
五角形の小箱は表面に化粧の施された見るからに高級品。中身は蜜蝋を主成分としたペースト状のワックスだ。
俺はワックスが高そうな箱に収められていることを不思議に思い、店主に訊ねた。すると、その答えはズバリ! 蜂の巣を入手するのが命懸けだからだそうだ。
フリグレーデンを取り巻く防風林には数種類の蜜蜂が生息しているらしいが、その全てが俺の頭とそう変わらない大きさであるという。女王蜂ともなると俺の首と胴を含めた上半身とほぼ変わらない大きさだと店主は語った。
そうである以上、養蜂などは現実的ではないのだろう。
しかし個体そのものが大きいということは、巣もまた巨大であることを示している。
冒険者が集団で蜜蜂と死闘を繰り広げて、勝利の末に得られる巣はお宝の山だ。蜂蜜に蜜蝋、蜂の子などは俺でも思いつくところだな。
そんな無謀な冒険者たちのお陰か、そこそこの流通量は確保されているらしい。但し、流通量はあれど需要過多であるため、高級品であることは言うまでもない。
俺は手袋を両手にはめ、ワックスを手袋に満遍なく塗り付ける。その間に相棒はロギンさんから新たな槍を受け取っていた。
「そんな凝視しなくても……」
「さっきのあれの応用だろ? 気になるに決まってるじゃねえか!」
ライアンの言だが、ギャラリーは先の爆発の威力が余程堪えたらしい。和気藹々とした空気は消え去り、静まり返っては俺の手元に注目している。
まだまだ下準備に過ぎないのだが……。
ワックスを塗り終えた俺は、ドケチ魔術『凸』を足裏に展開。
足裏に展開すると靴底に魔法陣が現れるのは秘密だ。やり方はアグニの爺さんを参考にしている。
この『凸』と対を為す『凹』は、俺のドケチ魔術至上最も安定した性能を誇る。
最初は円の中に「隆起」という単語を入れていたのだが、「凸」自体が内と外を区切る罫線の役目と文字そのものを象ることで「隆起」という単語が不要であることに俺は気付いた。
とは言っても地面がある程度柔らかいことが絶対条件だし、師匠の魔術のように綺麗にそそり立つこともない。
実際にフリグレーデン近郊の硬い地面では思うような成果は現れず、まるで華道で用いられる剣山のように細い円錐状の土塊が隆起しては靴底に突き刺さっている。
まあ、それでも今回は硬い地面を掘り起こすという意味では十分だ。
突き刺さった土塊を払いのけ、円錐状の土塊を爪先で蹴り崩す。その土を手袋を嵌めた右手で一掴み。
土を掴んだ右手を上に向けて開くと、今度は『H2O』で水球を精製する。これで泥水が出来上がる。泥水は中央を中空となるように操作し、今度は『氷結』よりも強力な『凍結』で熱を奪い固める。
『H2O』の時は若干浮かんでいるのだが、『凍結』した泥水はポトリと掌へと落ちる。で、ここが問題。
『氷結』だと素手で触れても軽く融ける程度なのだが、『凍結』だと手まで凍り付いてしまう。無理矢理剥がそうとすると痛いし、放置すると感覚がなくなっていくという有様である。
その問題の解決策に用意したのが手袋とワックスになる。油分が水分を弾くため、手袋ごと凍るのを防ぐ。
これも最初は獣油を用いようかと考えた。だが、獣油は新鮮なもの以外のものは、酸化が進んでおり強烈な悪臭を放つ。我慢できるほど可愛げのある臭さではない。
そこで白羽の矢が立ったのが高級ワックスというわけ。
まあ、これで中身が中空の泥水球を凍らせたガワが完成した。要は樽の代わり、だな。
腰に佩いているナイフで叩くように泥水球の一部を削り、空気穴を強引に作成。ここからの工程は樽を用いた時と変わらない。
泥水球の側面に触れてドケチ魔術『H2』を、程よく貯まったところで左手の指先に『H2O』『凍結』を順次展開して栓をする。
なんかチャプチャプいってるけど、早くも中の氷が融け出したか?
「よーし、準備完了。今からこれを遠くに投げるから、相棒は槍で狙撃してくれ。出来るよな?」
「ギッ!」
「外すなよ? 落ちたら、たぶん割れるからな? 今までの工程全部やり直しになるんだからな!」
「ギッ!」
俺は魔力量の問題から魔術を飛ばすことが出来ない。
ならば、どうするか? 色々と悩んだ末に考案した方法。それが「投げる」だ。
俺が段取りしてから投げ、空中にある間に相棒が起爆する。俺と相棒の関係的には、今までとほぼ変わらないと言えるだろう。
ただ、投げると決めてからも長かった。
『凍結』状態の氷は、ワックスを塗った手袋では滑って握るのも困難だったからな。そこで水球に土を混ぜ込み、泥水球とすることで滑り止めにすることを思いついた。
しかし、それだけでは不足した。泥水球の大きさや重さも問題で、適切な大きさや重さに辿り着くまで何十回も試行錯誤を繰り返した。
無論、今の今まで可燃性ガスを込めたりはしていない。フリグレーデンの洞窟が崩落したら大問題だからな。
「融け掛かってるから投げるぞ。あまり近くで当てるなよな!」
「ギッ!」
投げ方は遠投。高く遠く、俺の斜め上方に向けて力一杯投げた。
重量を工夫したとてM球なんかと比べると若干軽く、飛距離は心配だ。
それでも俺の手から離れた泥水球は、既に五十メートル以上先を飛んで、まだまだ延びる。こちらの生活が原始的で筋力も増したからか、予想以上に飛んでいく。
だが、重力がある以上、物体は落下するのだ。順調に距離を稼いでいた泥水球は落下軌道に入った。
「ギッ!」
投げる時に発声しろ、と苦言を呈したのが効いている。発声と共に相棒が槍を放つ。
そのモーションというかフォームは手首のみのクイック。それなのに、物凄い速度で槍は飛んでいく。
相棒の放った槍は瞬く間に、泥水球を捉えたのだった。




