第百四十三話
宿のご主人ノッカー夫妻の旦那さんが、じっと俺を観察している。
俺はロギンさんが皮袋か手袋を作り終えるまでは、手持無沙汰なだけなんだよね。
この宿『白き魔窟』は、ノッカーという種族の家族三人で賄われている。
今日の朝、ご主人に聞いたばかりの話なのだが……。
ノッカーという種族は、鉱脈筋を見つける音響探知機のような能力があるんだそうだ。しかもスキルではなく、種族全員が生まれつき宿している能力だそうだ。
ドワーフが掘り進めた坑道の壁や床などをハンマーで叩き、その反響音から鉱脈がどこにあるかを示すのが主な仕事なのだという。
だが、数年に一度鉱脈筋を見つけてしまえば、その後の仕事は途切れる。
成功報酬にてかなり高額な報酬を得られるとは言っても、数年ごとにしか仕事は無い。
そんな状況を打破し安定した収入源を得るために、ご主人は鉱脈探査の仕事で得た金銭を費やし、この宿を構えたのだという。
だが、宿は既に数件ある。どこも安宿ではないとはいえ、そこまで高額な宿泊費を請求してはいない良心的な宿屋。
フリグレーデンに入るには国の許可が必要で、不特定多数の客など滅多に訪れない。各宿には常連となった馴染み客がいたのだ。
宿屋としては後発であるご主人の宿は、当然客が訪れることは少ない。そこでご主人は一計を案じた。
何よりも目立ち、且つ清潔感をアピールしよう! と。
そしてその後、この宿は内も外も清潔感溢れる白に塗られたのだそうだ。
確かに、目立つことは間違いない。
が、あまりにも白すぎる。触れるのが怖いほどに……。
ご主人は間違って汚しても金は取らないというが、基本小心者な俺には精神的苦痛を伴うと助言しておいた。あえて訊いてはいないが、タロシェルも恐らく同じ意見だろう。
「魔王さん、出来たゼ!」
「ちゃんと両手分ありますね。助かります」
俺が洗い上げたファルコンスケイルの皮は、ロギンさんの手により親指とその他の指で二股となるミトンのような手袋に加工された。
ここからの作業、サイダー改めシードルの作り方はそう難しくない。
詳細は兄貴が調べた事柄を聞いただけなので、かなりうろ覚えなのだが……。父の話を思い出すと、恐らく間違っていないと思われる。
果物、確か野菜でも、その表皮には酵母が含まれると聞いたことがある。
それも、昨日に買ったものはよく熟した果実。少し離れた場所に置いてあるにも拘らず、甘い香りが漂うほどのものだ。
酵母もきっと活性化しているに違いない。
バットのような陶器の上で、手袋を嵌めた両手でもってりんごをすりおろす。
鱗なので逆手方向にしか作用しないけれど、それは仮におろし金であっても同じことだ。ただ、熟しすぎて、滑るように皮が剥けてしまうのが難点だが。
十個くらいすりおろしては小樽に移す。それを六度繰り返してようやく小樽の半分以上を満たせた。
小樽の中のりんごは空気に触れ酸化し、赤茶けてしまっているが気にしない。
「ローゲンさん、樽を閉じてください」
樽を閉じる作業もプロに任せるに限る。
ドワーフ兄弟で仕事を割り振る意味は、出来上がったシードルの試飲時に揉めないためだ。仕事をしたかどうかで喧嘩されては堪らないからな。
問題は樽の補強に用いられている木の皮っぽい何かが、発酵時に発生するガスの圧に耐えられるかどうか?
発生したガスが樽の中に飽和することで、次第に液体の中に浸透していく。という製法だったはずなのだ。
一応、それは事前にドワーフ兄弟に伝えてある。ローガンさんは木の皮のようなものを巻いた後、鉄の輪を幾つか取り出すと樽の補強を始めた。
「これで十分ダロ?」
「ええ、それだけやれば十分でしょう。お酒とは別なんですが、もう少し小さい樽って作れますかね?」
「これより小さいとなると、どれくらいダ?」
「俺の手のひらサイズが理想です。それも金属補強のやつで」
何に用いるのかというと、今日やる予定だった魔術の実験に使いたいのだ。
相棒が一本になってしまった以上、俺と相棒の役割分担は曖昧になる。
原則、相棒がオフェンスで俺がディフェンスである。だが、俺もオフェンスを担うことは可能なのだ。今までは相棒の本数が多く、その機会はなかっただけなのだ。
「一度作ってみないとわからないナ」
「ダナ」
「ああ、それとあの爆発物も追加注文で」
「アレはすぐ出来るゾ」
今のところは机上の空論でしかないが、俺の魔術の欠点を補う方法を考えてある。
俺の魔術の欠点は、総魔力量が少ないこと。
魔術は、術者の身体から離れれば離れるほど多くの魔力を必要とする。
そのため、俺は魔術を飛ばすことができない。正確には出来なくはないだが、小さな魔力弾一発を中距離程度飛ばすだけでも、ぶっ倒れる自信がある。全く嫌な自身だが。
その欠点を補うために、俺は是非ともクロスボウを手に入れたかった。まぁ、納期の問題で手が出なかったんだけどな。
興味本位で作ったシードルの過程で、樽の補強と改良案に気付けたことは幸いだろう。
「魔王さん! この酒はいつ出来るんダ?」
「さぁ?」
作り方は恐らく合っているはずだけど、いつ出来上がるかは俺も知らない。
何せ、お酒を仕込むのは初めてのことなので。
「ワインと同じなら、最速で一年ではないかの?」
「俺はまだ体が子供で強い酒は飲めねえから関係ねえわ。それよりも俺は、ふわふわパンが待ち遠しいぜ!」
「ライアンさん、ふわふわパンとは何のことですか?」
「「あっ」」
以前にもあったこの流れ。
ライアンは戦闘が絡まない日常生活だと、少し抜けているよね。俺に言われたくはないだろうがな。




