第百四十二話
発注した鋼の盾が出来上がるのは五日後である。
その間、俺は相棒と共に新たな魔術の実験をするつもりでいた。
だが、予定というのは早々に崩れるから予定なのだ。
というのも、ある果実を発見してしまったからなのだが……。
◇
金属製品バザールこと工房が連なる商店街からの帰り道。
俺は、子供たちが食べている果実に興味が湧いた。
その果実の大きさは、こたつとセットで語られることが多い蜜柑サイズ。なのだが柑橘ではなく、赤い表皮に包まれている。
「タロシェル君、一口ちょうだい」
「ん。タロシェルでいい、君いらない」
「お、おう。ありがとう」
タロシェル君の食べ方が一番綺麗だったから、彼の果実を一口だけ齧らせてもらう。お礼に、毎朝濯いで腰にぶら下げている内に勝手に乾燥する手拭で、タロシェルの口元を拭ってあげる。
すると、サリアちゃんとミジェナちゃんは果実を差し出すのではなく、自身の顎を俺に突き出してきた。拭けというのだ。
四六時中腰にぶら下げているため、あまり綺麗とも言い難い手拭なのだが、そんなことを気にする子供たちではなかった。
◇
果実は酸味と仄かな甘みがあった。
齧った跡を見たら赤い表皮は極々薄く、果肉はやや黄色っぽい白色していた。
味も香りもりんごのそれなのだが、大きさが日本のりんごとは大きく異なる。
俺は幼い頃に父から聞かされた話を思い出す。
海外赴任で長期休暇以外はほぼ留守な父は、赴任先で得た様々な知識を俺たち三兄弟に面白おかしく話してくれたことを。
海外のリンゴは小粒が主流で、日本のりんごは品種改良の賜物であるということ。
また、父の赴任先での飲食事情も非常に興味深かった。
とある国でサイダーを注文したら、すりおろしりんごたっぷりの発泡したお酒がでてきたとか。
日本のサイダーが念頭にあった父は、オーダーミスではないかと店員に訊ねたそうだ。
しかし店員の回答は、父の間違いを正すことになったという。
サイダーとはりんごから作られたお酒であり、フランス語でいうところのシードルの英語読みであるらしい。
父の話だけでは信用しきれなかった兄貴が調べたので、間違いはないだろう。
たまに帰ってきた父が日本の常識を覆す話をし、そのお話に興味を抱いて実践する兄貴。兄貴のやることが気になる俺と弟。兄貴の後始末に追われる母。
あの傍迷惑な兄貴を作り上げたのは、紛うことなく父であるのだろう。
ただ、その兄貴をしても、一からお酒を造ったりはしていない。
法に触れることはしていない……していないよね? していないと思いたい。
兄貴ですら手を出さなかった酒造りに、俺は今回挑戦する。
ここは日本ではないからな! 厳しい法に縛られることもない。
ただ、パン酵母以外の発酵ものに手を出すのは正直怖い。
失敗すれば腐るだけなのだ。飲食して下手したら食中毒コースなのだ。
でも、気になって仕方がない。
結局、俺も兄貴と同じ穴の狢であったということだろう。
苦しい言い訳になるが、上手くいけば開拓団の利益にもなるはずである。
それに、水代わりに常飲しているワインの水割りにも飽きてきた。だって、あんまり美味しくないんだもの……。
昨日の夕方、バザールで熟しすぎて売り物にならないりんごを大量に買い叩いた。
青果を扱うバザールの店主は、腐り掛けでも金になったと喜んでいたので罪悪感は無い。交渉はライアンに頼んだので、俺は何もしていないのだが、それはそれ。
今日朝一で行ったのは、ライアンが熱望する柔らかパンのための酵母造り。
俺が作ったブドウ液は、ライアンが門前広場に停めてある馬車に置いてきた。
宿の厨房だと、前回のミラさんと同様に廃棄されても文句は言えない。鍛冶場だと暑いというよりも熱すぎる。
結局、ライアンは適度に陽の当たる馬車に置くことを選んだ。
今後、ブドウ液の観察はライアンに任せるので、俺が気にする必要はもうない。
次に俺が用意したのは、開拓団の昼食時に飲み水を入れていた小樽。無論、洗ってある。
一見すると腐っているかのような、熟したりんごたち。
それと厨房の裏で、俺が必死になって洗い上げたファルコンスケイルの胸から腹に掛けての皮。
ファルコンスケイルの皮は、先の襲撃の戦利品の分け前である。
それは相棒に『収納』されていたものではなく、元冒険者や開拓団員が倒したやつだ。
で、なぜファルコンスケイルの皮かというとだな。
こちらの世界には、おろし金が存在しなかったのだ。
大根おろしが一番すり易い陶器のおろし金は、形を作っても焼き上げるのに手間が掛かりすぎる。かといって、金属の板にタガネで山を作り出すのも、要領よくできるとも思えなかった。
なので、鮫皮のわさびおろしにヒントを得て、ファルコンスケイルの腹側にある細かい鱗を利用することにした。
代用となる材料はあった。だが、考えてもみよう。
このファルコンスケイルは地に倒れ伏したものだ。かなり汚れている。
土や埃、ファルコンスケイルそのものの血や体液、騎乗していた野盗の血や体液、脳漿など様々な汚れが付着していた。
熱湯消毒! と思い切ってお湯掛けたら皮が縮み、細かい鱗は軽く触れるだけで取れてしまった。
お湯はマズいと学んだ俺は、ただひたすらに宿のご主人に借りたタワシでゴシゴシと、鱗の裏までも綺麗に洗い上げた。
「ロギンさん、これを袋状に。出来るなら手袋にしてほしいな」
「おうおうおうおう、任せとけヨ! すぐ出来るゼ」
「新しい酒を造るって聞いてノリノリだな、ロギン」
サイダー造りの参加者や見物人は多い。
ファルコンスケイルもホバースケイル同様魔物なので、ちょっとした加工でも素人には難しい。そこでロギンさんとローゲンさん兄弟を引き入れた。
ライアンはパン酵母のついでに。アグニの爺さんとミモザさんはどこから湧いて出たのか、ライアンと共にいる。
勿論、宿のご主人はこの場の責任者なので当然だ。




