第百三十二話
早々に蕎麦を手に入れた俺は、魚の干物を探しあぐねていた。
フリグレーデンでは井戸水を金属精製や加工に用い、外縁の宿場町であるイラウに湧き出る清水を生活用水とするための水路が張り巡らされている。
そのため、魚が獲れることはない。だから、行商人が持ち寄る樽に詰められた塩漬けの魚しか、存在していなかった。
この塩漬けの魚は食べられる程度に塩を抜くまで二日は掛かり、二日経ってもまだ塩は抜けきらないそうだ。出汁に使うにしても手間が掛かりすぎるので、今回は諦めることにした。
開拓地の側にある大河でなら川魚が獲れる可能性は十分に有り得る。どちらにしろ、試作するとなれば腰を落ち着かせる必要もある。急ぎではないのだ。
そんな俺とは逆に、ライアンは目的のブツを手にしてほくほく顔だ。
内訳は五キログラムもの干しブドウ、銀製の重箱、ガラスの花瓶。干しブドウは言わずもがな、重箱は酵母種の保存容器に、花瓶は適当な大きさのモノがなかったから。
金属の精錬や加工が主要産業であるフリグレーデンだけど、ガラスの生産も盛んなのだとか。聞くところによると、炉を用いるという点で共通しているから、だそうだ。
「――げっ!」
「どうした、ライア……ン?」
不足もあるけれど無いものを求めても仕方がなく、ぷらぷらと露店を冷やかしていたのだが、俺の右隣を歩いていたライアンが硬直した。
その視線は、俺の左側に釘付けとなっている。
「やっと見つけたわよ、カットス!」
「魔王の兄ちゃんは忙しそうだ。タロシェル、行こう」
背後から聞こえた声に対し、俺が振り返る。
それと同時にライアンはタロシェル君を促すと逃げだした。この薄情者め!
「カットス、私のこと避けているでしょう?」
「別に避けているつもりはないです。ミラさんは目覚めてから日が浅いし、本調子じゃないようだから……」
「そうなの? でも、それはカットスもでしょう?」
「いや、俺は大したことないよ」
特にミラさんを避けていたつもりは無い。
師匠が常に付き添っているから、俺が傍に居ては邪魔だろうと考えただけだ。
あと、俺の目はもうほぼ完治していると言って良い。
真昼間の太陽など、特に強い光を直視し出来ないだけでしかない。そういった強い光を見ると目に痛みを感じるが、そこまで酷いものでもない。
実際にバザールを照らす魔術的な光は、それほど強くもないので一切問題になっていない。
「まあいいわ、行くわよ」
「えっと、どこへ?」
「ガヌ君のお姉さん、ガフィさんだったかしら? 金属製品のバザール案内の希望者を募っているのよ」
ああ、なるほどね。
それならリスラたちにも声を掛けるべきなんだけど、師匠がミラさんの傍に居ないことを考えるとその必要もないのかな?
◇
「出発するよ?」
集合場所は宿屋が密集した区画だった。
白壁の宿『白き魔窟』も近いので、一度戻ると相棒に持たせていた蕎麦を部屋へと置いてきた。部屋には既に金盥が置いてあり、リスラたちも荷物を置いたのだと知れた。
そして今ここに集うのは、開拓団の主要メンバーと元軍人・元冒険者で怪我を負っていない者、その他開拓団員の希望者の総勢五十七名だ。
中にはアグニの爺さんやドワーフ兄弟、薄情にも逃げ出したライアンとタロシェル君の姿も見られた。
五十七名もの集団はガフィさんの先導に従い、一度フリグレーデンの門前広場へと向かう。広場を挟んで反対側にある洞窟の先を目指すのだ。
「ちょいと待っとくれナ!」
「馬車の修理箇所を確認するんだヨ」
「それは大事ですからね。慎重に確認しておきましょう」
門前広場に至ると、ドワーフ兄弟と師匠の案で馬車の確認作業が始まる。
野盗の襲撃を受けた後、壊れた馬車は応急処置を施してフリグレーデンまでやってきたのだ。ここから先も開拓予定地までは距離があるため、応急処置程度では道中で再び壊れかねない。
帝都にて用意した予備部品は全て相棒に『収納』されており、現状取り出すことが出来ない。そのため、もし道中で壊れた場合は放棄するほかなくなる。
俺はお飾りだけど、相棒はこの開拓団の要だったのだ。
「カットス君、車軸と受け金具の部分を重点的に確認してください。内装や幌は特に問題なさそうですからね」
「車軸と受け金具ですね。わかりました」
俺も例に漏れず、確認する作業要員に数えられていた。無論、ここに集う大人たちは全員が参加している。
俺は確認するために馬車の下に潜る。
「車軸ってのはこれか? 前輪と後輪の二カ所。受け金具ってのは、この車軸を受けている金具のことか? それとも、サスペンションみたいな板バネのことか?」
「なに、ひとりでぶつくさ言ってんだ?」
背後から聞こえた声に驚くが、それは聞き慣れた声だった。
「……ライアン。さっきはよくも逃げたな」
「仕方ねえだろ、ミラが来るとは予想外だったんだ。そんなことより、さっさと確認しようぜ。俺は前を見るから、お前は後ろな」
日光が遮られた薄暗がりにやっと目が慣れてきたが、詳しく確認するために俺はドケチ魔術『灯』を右手に宿す。ドケチ魔術『灯』は電池切れ掛けの懐中電灯程度だけど十分だ。
車軸は恐らく鉄製で、中学校の校庭にあった鉄棒くらいの太さだ。それを受ける金具は馬車の躯体を補強する形で設置されている。
そして受け金具には潤滑剤か何かが塗られ、テカテカとしていて――
「――うわっ! 痛テッ、うぅ」
「今度は何だ?」
受け金具に塗られた潤滑剤に集り蠢くもの。見慣れてはいるけど、こちらのは何よりデカいから強烈だった。
「黒いあんちくしょう、こっちにもいるのかよ!」
「ああ、ごみ虫か。錆止めと滑り易くするため、獣油を塗ってあるからな」
台所の黒いあんちくしょう、通称G。しかもチャバネじゃなく、黒々とした日本の在来種。
俺んちで見たのは精々が五センチ未満だったというのに、この車軸受けで蠢くヤツは二十センチ以上ありやがった。それも一匹じゃねえし!
驚きと恐怖のあまり飛び上がり、脳天を馬車の底にぶつけてしまった。痛いよ。
 




