第百三十話
俺はリスラというスポンサーを手に入れたことで、バザールへと向かうことが可能になった。
そこに至るまでの順序には非常に情けないものがあるけれど、それはもう気にしないことにしたい。
俺は感情が顔に出易いからな。あまり気に病むとリスラに察知されてしまう恐れがある。お互いに気拙くならないためにも、俺は気にしてはいけないのだ。
タロシェル君たちを連れ、階下へと向かう。
廊下も階段も壁は基本的に白い。手摺なんかは木の色合いのままだけどね。
俺が今まで泊ったことのある宿屋は月の栄亭も含めて、質実剛健な造りをしていた。長く補修無しで使えるような造りをしていたと言った方がいいかな?
でも、この宿はそんな印象を受けない。
洞窟内であるからか、外観や内装の塗り壁は日に焼けておらず真っ白。
風雨に曝されることがないにしても、これだけ真っ白だと手入れは大変だろう。
俺は両掌を見て、そして木製の手摺を掴んだ。
真っ白な壁を手でベタベタと触れることが怖くなったのだ。
もし手汗などで汚してしまったら、修繕費用をいくら請求されるかわかったものではない。今はリスラが俺の財布代わりなのだ。余計な出費は避けたい。
俺の仕草を横目で見ていたタロシェル君も、自身の掌をじっと見つめてから手摺を握る。
しかしサリアちゃんとミジェナちゃんとリスラの女性陣は、一度天井を仰ぎ見ると再び真っ白い壁や床に興味を示し、壁にベタベタと手をついて歩いてくる。
「(綺麗すぎて、居心地の悪いな)」
「(汚したら怒られそう)」
幅二メートルくらいの通路の手摺側で、タロシェル君と声を潜めて頷き合う。
女性陣に聞こえないようにしたのは、彼女らの精神に配慮してのことだ。彼女らはもう手遅れなのだから。
◇
汚したりしないかと、おっかなびっくり階段を下り終えた。
階段ホールから右手が宿の入り口で受付カウンターが設置されている。左手には幾つものテーブルと椅子が並び、食事や午前中にも拘らず酒を飲んでいる客がいる。
「おい、魔王! 少し早いが昼飯だ。その後でバザールを梯子しようぜ」
「早すぎるだろっ」
声を掛けてきたのはライアンだ。キア・マスと同じテーブルで、何かを食べている最中だった。
太陽が見えないので時刻の判断が難しいけれど、ここまでの移動に掛かった時間と腹時計から換算しても良くて十時過ぎといったところ。
食事の時間をずらすと、次の食事の時間まで持たない。結果的に次の食事の時間まで早めるか、間食を摂らないといけなくなる。
時間的には十時のおやつなんだけど、こちらには三時のおやつも含めてそんな習慣はない。一日二食で朝夕しか食事を摂らない人たちもいるくらいなのだから。
「カツトシ様、軽食を摂りましょう。こちら側のバザールでしたら、何かしら摘まめるものもあるでしょうから」
「そうだぜ? 何もここ以外で食っちゃいけねえ訳じゃねえんだ」
「子供たちは何か食べたそうだから、仕方ないか」
ライアンはリスラの援護もあってか、やや強引だ。
俺は個人的に、こちらでの軽食というヤツが好きではない。
今、ライアンが食べているオートミールが一般的なのだ。
別に食わず嫌いというわけではない。スープでふやかしたり、甘い果実とミルクで和えたりしたものを何度か食べたことがある。日本でもこちらでも。
でも、俺は燕麦は乾煎りしてパリパリ齧った方が好きなのだ。
子供たちは早速席に着くと、出迎えてくれた従業員とは別の男性従業員に注文を出している。この男性も出迎えてくれた従業員の例に漏れず、背が低くロギンさんくらいで俺の腰程度の身長しかない。
オートミールが苦手だからといって、一人だけ何も頼まないという訳にもいかない。そこで俺は仕方なく、麦粥を注文した。
麦粥に用いられる麦は大麦。日本の押し麦とは違い、潰されていない。そのため、スープをたっぷりと吸った大麦は、ぷっくりと大きく膨れてモチモチな食感になる。
俺はこれが結構好きだったりする。麦ごはんが懐かしくならないのは不思議だけどさ。
「ノッカーが珍しいか? まあ、俺も他にはウルグステンでしか見たことがねえから、似たようなもんだがな」
「帝国内でもノッカーはこの街にしかいませんから、それはもう珍しいのですわ」
「ある意味、ロギンみたいにフラフラしているドワーフも珍しいけどな。大体、ドワーフもノッカーも鉱山に好んで住み着くんだよ。だからといって全員が全員、金属に関わる仕事に就くわけじゃねえのは、この宿を見ればわかるだろ」
俺が彼らを知らなかったのは、会ったことが無いのだから仕方がない。
都度、こうして色々なことを教えてくれるライアンたちの存在は貴重だ。
ほぼ雑学なのだが、その知識を蓄えることで今後どこかで役に立つ可能性はきっとあると思いたい。
「てか、ライアンは何でこの宿にしたんだ?」
「どうせ泊るんなら綺麗な所が良いだろ?」
俺も大して変わらないので口にはしないが、その発想はミジェナちゃんと同じだった。
「でも、師匠やミラさんと同じ宿にする必要もなかっただろ。二人で別の宿にした方が、ゆっくりできたんじゃないか?」
「あ……まぁ、いいさ。お前らと一緒に行動するのに楽だからよ」
別に俺とライアンは四六時中一緒に居る必要はないんだけどな。
どうせ開拓地に向かう道中で、同じ馬車に寝泊まりすることになるんだもの。
「お待たせしました。白き魔窟特製ミールと麦粥、お持ちいたしました」
子供たちが目の色を変えて、料理に飛びつく。
そして俺の前にも、想像とは少し違う麦粥が置かれた。




