第百二十三話
足元に置いてもらった馬用の木桶で洗面器的な使い方はできない。それでもバケツとして、目の冷却を終えた水を受けることは十分に可能だ。
「おう、飯も持ってきたぞ」
「ありがとう」
俺の隣に座るリスラが次々と差し出してくるのは肉、肉、芋、肉、肉。
目を瞑ったままでも、その食感から理解できる。味付けから考えて、煮物の類だろう。
じっくりと煮込まれたであろう肉は、口に含むだけでホロホロと解けていく。少しとろみのあるスープの絡む芋の食感は、ほぼ里芋の煮っころがしだ。
「この肉、旨いな」
「よく味わって食ってやれ」
ライアンの言い回しに引っ掛かりを感じたがスルー。今は食事を優先したい。
目が痛むので太陽の高さは確認できないが、少なくとも一晩は飯抜きであったのも事実なのだ。
俺は食べることに専念し、耳だけをライアンたちに向けた。
ライアンたちが話す内容は、俺が意識を手放してから今に至るまでの出来事。
リスラが俺に食べさせてくれている肉は、戦闘で死傷した農耕馬であるそうなのだ。
……なるほど。農耕馬たちは力仕事だけでなく、最期には非常食となる役目も担っていたとな。
無論、感謝して残さず食すぞ。俺の血肉となってくれ!
主に防風林内部での戦闘で脚を怪我した馬。俺が一時戦闘を行った最後尾で、毒矢の当たり所が悪く死亡した馬を捌いたものであるという。
毒矢と聞き、胃や口の中が心配になる。ただ今回野盗が使用した矢毒は、ケイブスパイダーの消化毒というもので毒性は低いのだとライアンは述べた。
血管を伝い全身に廻るタイプの毒ではなく、矢の直撃した箇所を浸食するタイプなんだとさ。
オイオイ、俺の頬は大丈夫かよ? 触れてみたが、瘡蓋が出来ている感触があるけだ。
ただ、大事なことを俺は忘れていた。
肉は死傷した農耕馬のものであるとしても、芋や料理に用いた水はどうやって準備されていたのか、を。
「――おい、何をする気だ!? やめさせろ、魔王!」
「どうした、何が起こっている?」
俺の背中で蠢く気配がある。相棒が何かをして、ライアンがそれを静止している?
陽光が遮られている馬車の中でも痛みは皆無ではないが、そうも言ってられない状況だ。本当に仕方なく薄目を開けると、後背を振り返った。
「相棒、何を……ん? それミラさんの腹に刺さっていたヤツか?」
片刃の直剣で、刀身の長さが七十センチ無いくらいの小剣サイズ。柄や鍔の意匠が特徴的で、ぼやけた薄目の視界でも見誤りはしない。
相棒はその剣を人の手の触手で握ると、俺の背中へと向けていた。
「カツトシ様!」
相棒は俺の願いに応え、ミラさんを助けてくれた。
ならば、俺は対価として相棒の望みを受け入れるべきだ。それが例え、俺の命であっても。
次の瞬間、直剣はゴゥと風切り音が鳴らす。相棒が力強く振り抜いたのだ。
標的は一本だけ残っている相棒自身の根本。俺の背中から生えた一番太い部分に突き立っているようだ。
これ以上は俺の目では追えない。俺の首の裏側、死角であるのだ。
背後からは、何かを強引に割くような音が聞こえてくる。
しばらくすると、相棒は俺の目の前に何かを差し出した。
「この色合いは、ステータスプレート?
……相棒、剣を使った理由はわかったけど無茶すんなよな」
差し出された黒いステータスプレートを膝の上に置き、その内容を確認する。
「触手様の傷は塞がりました。それで、触手様は一体どうされたのです?」
「ああ、なんだこりゃ?」
覗き込んできたライアンが驚くのも無理はない。
ユニークスキル触手と表記された部分のみが有効のまま。その下の欄、これまでに加筆された能力を示す文字列が全て掠れているのだ。
まるで『びぃむ』の弾切れ時のような状態なのだが、今回は『捕食』『融合』『収納』『譲渡』『分岐1』『びぃむ I・V』『射程1』の全てが対象となっていた。
そして改めて視線を落とし、はたと気付く。
相棒が触手を一本だけ残して地に落とした行為や、巻き取り光の粒子へと変換していた行為のこと。あれはずっと謎だった『譲渡』なのではないだろうか?
『譲渡』といっても、何を誰に『譲渡』したのか?
再び言葉を発した時にでも訊ねてみることにしよう。
先程の相棒の触手切り裂き事案に因り、重大な問題点が露呈した。
それは相棒の中には、開拓に必要な物資が山とのように『収納』されていること。
中でも開拓地へ向かう道中にて、最も重要な飲料水や食料の全てが『収納』されていることが挙げられる。
それ以外にも何かあったはずと、俺は微妙な引っ掛かりを覚えるのだが、一向に思い出せそうにない。
「フリグレーデンはそこそこ大きな街です。食料の補充に関しては問題はありません。但し、買い込んだ食料や資材を積み込む荷馬車が必要となりますね」
「元々、馬の数には余裕があります。荷馬車の調達だけなら、フリグレーデンで事足りますわね」
「どちらにしろ代表であるミラが目を覚まさねば、移動は不可能だ。
あと、儀式級魔法陣の周囲にあった馬車は綺麗なもんだが、それ以外にあった馬車は修理しないと動かせないものもある。明日までに出発できるかどうか微妙なところだな」
なぜ、魔法陣周辺だけ馬車が無事なのか? 疑問を覚えると共に、ライアンに訊ねてみた。
するとライアンは、ミラさんを見ろという。
そういえば、俺は目覚めてから直接ミラさんの姿を拝んではいなかった。目が痛く、開けていられないという理由があったからなのだが。
ミラさんの近くへとリスラに手を引いてもらい、床へと座る。
そこには衣服の整えられたミラさんが仰向けに寝そべっているのだが、どことなく違和感を覚えると首を傾げた。
「不思議だろう? お前が意識を手放した後に起こったことは、俺もロギンも上手く説明できない。ただ『元に戻った』としか。
兄さんから聞いた話だと、魔法陣が消える瞬間に弾けたそうでな。
弾けた際に発生した光を浴びた者からは傷が、馬車からは破損した箇所が消えたという話だ。
だが、魔法陣内に存在していた俺の傷はそのままだ。お前の頬の傷も癒えてはいない。恐らくロギンも含めた俺たちは、術者扱いにされているんだろうよ」
ライアンの説明を噛み砕く。要約すると「人や物から傷や破損部分が消え失せ、元に戻った」ということだ。
それを念頭に置き、今一度ミラさんの姿を確認する。
下着の上に着込んだ鎖帷子と、その上に着込んだチュニックは綺麗なものだ……。
あぁ、なるほど、違和感の正体は鎖帷子か。
確か、ロギンさんがペンチか何かでパチンパチンと切断していたはずなのだ。それが何もなかったかのように、ミラさんの身体を包んでいるのは異様だ。
まるで時が巻き戻ったとしか、考えられない。




