第百十五話
師匠が築き上げた、手前側にある背の高い土壁へとライアンが軽く飛び乗る。
ライアンに遅れること数秒、相棒が俺を土壁の上にと乗せる。この際、傍目など気にしない。格好がつかないのは、俺と相棒の仕様なのだ。
土壁の厚みは俺の足のサイズより少しだけ長く、二十七・八センチといったところだろうか。
「見えるか? アサシネイト・バブーンは動きが非常に素早い。しかも魔物の癖に、無駄に騒ぎ立てることもないからな。こんな夜中じゃ、とても捕捉しきれない」
「いや、ほぼ見えてない」
月明かりがあっても、遠くに薄っすらと何かが居るのかもという程度にしか見えてはないのだ。
俺は夜目が利くような特殊な環境下で育ってはいないし、訓練などもしていない。もう一般的ではないだろうが、日本人であることに変わりはない。
「……相方はどうだ、把握できていると思うか?」
「ギィィィィ」
俺が答える前に、ライアンに答える相棒。
俺の存在意義が薄まっていく一方だが、まだ俺以外に相棒の感情表現を理解できるものは存在しない、のも事実。
「相棒、ダメっぽい?」
「ギッ!」
「有効射程を大幅に超えているからか、ダメらしい」
「困ったな、俺も奥まで見えているわけじゃないし……姫さんに頼るしかねえか」
相棒はライアンの言葉に反応を示し、一本の触手が動き出す。
「――きゃっ」
荷馬車上に伏せていたリスラの両肩を幹と枝で掴み、ぶら下げるようにして連れてきたのだ。
事情を把握できていないリスラの反撃を喰らったのか、クロスボウのボルトが相棒の触手へと突き刺さっている。
地竜ベースの触手に傷をつけた、ほぼ零距離での射撃の威力を褒めるべきか? それとも反射的に動けたことを褒めるべきか?
「ごめん、リスラ」
「あぁ、いえ、突然のことで驚いてしまっただけです」
どうもリスラはクロスボウを斉射で放ったことには触れないようである。ならば、そっとしておこう。俺は何も見てはいない。
「おおぅ、姫さん、災難だったな。早速で済まないんだが、こいつの目の代わりになってほしい」
「あの、どういったことでしょう?」
「この馬鹿野郎が妙な覚悟を決めたらしくてな。あの『びぃむ』とやらをぶっ放すのだと。だが、そこで問題がある。夜目が利かないことだ」
ライアンは俺に対し、散々酷い評価を下す。しかし、その表情は笑っていた。
「この馬鹿の覚悟がどこまでのものかは知らねえが、好都合ではある」
「確かに……わかりました、アタシはこれよりカツトシ様の目となりましょう」
言葉と共に謎のアイコンタクトを交わすライアンとリスラ。俺の中で嫉妬心が疼く。
「姫さん、忙しくて悪いが戦況報告も頼む」
――ドンッ!
なんだ? ミヒ・リナスさんの砲撃にしてはそう大きな音でもないし、至近から聞こえた。
「おい、爺! もっと静かに来れねえのか!」
「うっ、すまぬ。お主の奥方に急ぎだと聞いたのでな」
「だが、姫さんと魔王の前には出るなよ。消し炭じゃ済まねえからな!」
あぁ、アグニの爺さんか。
爺さんは俺とリスラが並ぶ土壁の上ではなく、少し先の地面に着地したところだった。
そして横を見れば、いつの間やらキア・マスがライアンの横に佇んでいる。
「いいか、爺、よく聞けよ!
これから俺たち全員は下に降りるが、姫さんと魔王の視界を決して塞がないこと。それと、こちらに迫る奴は片っ端から駆除することだ」
基本は水平撃ちになる。
土壁の上からだと上下角の修正に手間取るだろうから、地面の上に降りるのには賛成だ。
「ちょっと待ってくれ。少し相棒に確認したいことがあるんだ。
相棒、二発分を一発に束ねることはできるのかな?」
扇状に広がる『V』型ではどうしたって射程距離が足らず、『I』型では攻撃範囲が圧倒的に足りない。
だから、少し考えて訊ねてみる。
「ギィィィィィ」
「ダメなの? 別に威力を倍に、というつもりではないんだ。『びいむ』の継続発射時間、今だと大体二秒のところを延ばすことは出来ないかな?」
「ギィィィィィ、ギッ!」
「どのくらい延ばせる?」
相棒が人手の形をした触手の指で示す。
その指の本数は三本。単純計算で倍の四秒とはいかないようだ。
しかし、物は考えようである。
「それで頼む」
「ギッ!」
「ライアン、ごめん。確認は終わった」
「何をどうするかはお前の勝手だ。詳細は姫さんと詰めてくれや」
◇
俺の直前には膝を曲げ屈みこんだリスラの姿がある。
そして、リスラの左手は常にアサシネイト・バブーンと交戦中の野盗ではなく、迂回軌道をとりつつも逃走を続ける最前列を指し示している。
あまり戦闘領域が広がりすぎるようなら、そいつらは無視して次の集団を追うようにと、リスラにはお願いしてある。
相棒は、砲身となる触手の一本をリスラの左手に連動する形で射角を調整中。
発射シークエンスで最も重要となるチャージ兼カウントダウンは、開始して既に一分が経過しているというのにまだ半分にも達していない。
発射継続時間の延長にあたって相棒は、砲身となる部分の強化に余念がない。広角である『V』型の時よりも厳重に補強されているのがわかる。
砲身となる幹から分かたれた枝で補強するだけでなく、それ以外の枝を使い幾重にも巻き付けている状態だ。その所為で砲身部分は異様に太くなっていた。
そしてチャージ完了をグラデーションで表す役割の魔法円は、より複雑な魔法陣と化していた。
ライアン、キア・マス、アグニの爺さんはというと、群れから外れこちらへと迫る二頭のアサシネイト・バブーンを相手取っている最中だ。
灰褐色のアサシネイト・バブーンはライアンの事前評価通り、その動きが異様に素早い。
それだけでなく気配が時々薄くなることがある。
一定の距離があり、ある程度俯瞰できる位置に居るはずの俺が頻繁にその姿を見失うのだ。
こいつは野盗なんかよりも遥かにヤバいということが理解できた。
それでもアグニの爺さんは無傷のままで一匹圧倒。ライアンとキア・マスもまた連携が上手く、一匹を仕留め終えた。
それにしても戦闘中、ライアンとアグニの爺さんは地味だな。
華があると表現できたのはキア・マスが背負う二本の大型ナイフが煌めく時くらいなものだった。




