「しあわせ」の輪
乱文失礼
人間ふと思うと何か書き物をして見たいと思う事があって
つらつらと書いていくと自分の中で盛り上がって盛り下がって
そんな勢いで書いた物もただ自分の自己満足であるし
誰かに見て居だだければと思ってしまうのです。
読むにもそう時間はかからないでしょうし
読むもよし読まないもよし
貴方様の人生ですし
ご自由にどうぞ
彼は暗闇の中にいた。薄暗い部屋の広さは4畳か5畳ほどで窓にはカーテンが二重にかかっており、光はほとんど通さない。
正確には暗闇の中に小さい光が彼の顔を、暗く濁った目を照らしている。
彼の世界は小さなノートパソコン一つである。それは彼に与えられた唯一の自由といってもいいだろう。
彼は長い間この11インチの小さな画面から世界を見続けている。
それは彼にとっては十数年前のことであった。そう。よく聞く話だ。
彼は学校でいじめの被害にあった。
多くの、本当に多くの言葉の槍で傷つけられ彼の心は最早再起不能と言わんばかりに暗く濁り、奥底にしまわれた。
彼に残された目から見えるのは人間社会のいいニュースや悪いニュース、そして自分の不幸を忘れるために見る娯楽である。
もう何年言葉を発していないだろうか
口は既に物を食べるだけの道具に過ぎず、足は部屋の中を這うように移動するための只の棒となっていた。
彼に転機が訪れたのはその数週間後の事であった。
親の年金で生活していた彼の親の突然死
しかし死んだ親の葬式の手順も、まして社会経験のない彼にその他雑多の手続きが出来ようもなく、彼の人生は最早ゲームオーバーを宣言されたと言っても過言ではなかった。
そこで彼は本当に久々に自分から行動を起こす。とは言え彼に残された選択肢は彼にとっては一つしかなかった。
自死
そう、自殺である。
死に方はもう何年も前から何度となくネットで調べていた。
ベットの端には常に首を吊る為のシーツの切れ端で作った簡易な縄があり、後はそれを天井にかけて自分を吊るだけであの世に逝くことが出来る。
そう、彼には死は恐怖ではなく救いであった。
現状から逃げることのできる最高の方法であり、いま現在は自分の死を悲しむ筈の人間も居ない。
彼は本当の「しあわせ」というものは死からしか得ることが出来ないであろうと薄々感じていた。
現世には恨みはあれど未練はない
彼の救いの旅がはじまるのである。
彼にとってはそれこそが地獄の始まりとなるのだが、それはいまの彼にとってはどうでもいい事であろう。
彼の手が、縄に伸びる。天井にはこの為と言わんばかりに梁が通っていてそこに縄を掛ける。これまでも何度もしてきた作業だ。
何せ一番死に易い死に方を模索し続けてきたのだ。最高の死を迎えることが出来るだろう。恐らくは。
彼の首が輪を通る。輪の作り方には少し凝っている。輪には永遠という意味があるそうだ。死の後に「しあわせ」が永遠に続くようにと濁った心で辛抱強く念入りに作った輪である。きっと気持ちよく逝けるだろう。
そして彼は、、、
乗っていた足元の椅子を蹴った。
一瞬の浮遊感と共に衝撃を感じた。
首にキツく縄を感じる。勿論息は出来ない。
激しい痛みとともに窒息による苦しさが彼を襲う。
あまりの苦しさにあれだけ死にたがっていたのにも関わらず、手が勝手に首の縄を外そうと首を掻き毟る。
手の爪には肉と血がこびり付きその様子はまるで地獄のようだ。
彼の手から力が抜け始める。
いよいよ窒息により体の力を維持できなくなっているのだ。
もう彼は痛みも苦しみも感じていなかった。
窒息による多幸感なのか。
それとも死の救いを感じたのか。
それは分からないが、なんとも感じたことのない幸福感が彼を襲った。
信じられないほどの「しあわせ」の感情が彼の身体を駆け巡る。
そして彼の思考は・・・
途切れた。
・・・
・・
・
気づくとそこは本当のクラヤミであった。
何も見えない
自分自身さえ
何もない
なのに・・・
意識はそこにあった。
はっきりと自分が存在しているのがわかる。
身体はない
なのに自分は居る。
自分は死ななかったのか?不安がよぎる。確認しようにも身体もない
死んだのだろうとしか思えないが何故自分が存在しているのか
彼の頭は疑問で一杯になった。
その瞬間クラヤミが一瞬のうちに晴れた。
そこには見た事のある光景が広がっていた。
彼のトラウマの元になった学校が、彼の目の前にはあった。
そして彼はふと自分を見た。いや、自分の意思ではない彼の「身体」が動いたのだ。
そこには自分が居た。
紛れもなくあの時の自分が
そして彼は繰り返す。
今度は死ぬ事も出来ない。
何が起こるかわかるのにも関わらず自分にはどうする事も出来ない。
そんな日常を
見続ける
永遠に、輪のように。
こんな出鱈目で読むのも面倒な価値のない作品を読んで頂いてありがとうございました。
貴方の今思った事がこの作品の全てです。
私が書きながら思った事とは全く違くてもそれで構わないのです。
貴方の思考は貴方にしか理解出来ません。誰も貴方の思考を理解する事はありません。
それで良いのです。貴方の人生なのですから。
こんな変な文章を読ませて申し訳ないと思う反面少しだけ嬉しいのです。
読んだ方には有難う、読んで居ない方にも有難う、誰にも読まれなくても有難う
そんな休みの日の夜です。