第二章 友達 -3-
どんな決意を固めたところで、所詮、七峰蒼汰は高校生である。
職員室の戸を叩き、担任の先生に六花から渡された正式な書類(電車の遅延証明のようなものらしい)を提出してから、蒼汰は教室を目指した。
特課なる組織に入ったところで、高校に通うのは変わらない。むしろ戦闘員としての役目が色濃い蒼汰は日常的な常務が少ない上、その戦闘も余程のことがなければ駆り出されない、とは六花に聞かされた話だ。やはり特例を重ねてもそこは未成年、仕方のないことだろう。
重い覚悟を決めたのだから、拍子抜けした感は否めない。だが、日常に戻って来られるのはありがたいと素直に思い直して、蒼汰は出来る限り平静を取り戻そうとしていた。
教室の前に着く頃には、もうほとんどいつも通りの思考に切り替わっていた。遅刻した身で教室に入ると悪目立ちするが休み時間の今ならさほどだろう、なんてありきたりなことを考えて胸を撫で下ろしていたくらいだ。
「――なーに遅刻して来てため息ついてんの?」
しかし、わざわざ教室の後ろの戸から入って着席した彼の様子に目聡く気付いた者がいた。蒼汰が振り向くと、それは中学から親友の女子――葉月美海だった。
スレンダーで背は高い。実際、男子の蒼汰と同じ身長だ。手足もスポーツをしているが故の健康的な細さで、肩にかかるくらいのその髪を揺らして走り回っていれば、それだけで大勢が見入るだろう。ただ、本人にその魅力の自覚はないようだったが。
「あぁ、美海。おはよ」
「おはよ、じゃないわよ。一時間目いなかったからサボったのかと思ったんだから」
何故か美海は怒っているような口調だった。どちらかと言えば、駄目な子供を叱る母親のようでもある。
「いや、ゴメン。サボった訳じゃないんだけど」
「そう。ならいいけど」
言葉とは裏腹にまだ納得していなさそうな美海に、蒼汰はまさか本当のことを言う訳にもいかず、ただ困ったような笑みを向けるばかりだった。
そんな美海の後ろで、堪え切れずに笑う男子がまた一人。
「美海も素直じゃねぇな。普通に『心配だった』って言えばいいのに」
美青年、なんて言葉以外に形容のしようがなかった。一八〇センチを超えたという、蒼汰からすれば羨望の塊のような高身長。整った顔は輝くようで、もはやそこらのテレビに映るアイドルすら霞むほどだ。
「おはよう、光輝」
蒼汰はいつも通りと言った感じで彼――日向光輝とも挨拶を済ませた。彼もまた蒼汰の親友で、美海と合わせて三人で過ごすのが蒼汰のいつもの生活だった。
「ちょっと待って、光輝。どこをどう解釈したら心配だったって言葉が出るのよ」
「授業中ずっとチラチラ蒼汰の席と教室の戸を交互に見てて、今さらそのセリフはないぜ?」
「その前に、何故あんたがそんな私の様子を見ているかの方が気になるんだけど……」
本気で寒気を感じている様子で美海は数歩下がっていた。元々、蒼汰が友達になる前から美海と光輝は幼なじみだったはずだが、本気で嫌がっているらしい。
「おいおい。俺に気にかけてもらえてるってことは他の女子からしたら卒倒モンだぞ?」
キラン、と効果音が鳴りそうな笑みで光輝は断言する。自分で嫌味なくそういう風に言えてしまう辺りは、蒼汰も美海もむしろ流石だと感心しているくらいだ。
「光輝は相変わらずみたいだねぇ……」
「私はこいつがモテる理由がまったく分からないわ」
嘆息する蒼汰たちだが、光輝は全く気にした様子もなく笑っていた。
思えば、二人との出会いもこんな調子だった気がする。
中学二年の頭、このブルー・アルカディアにやって来て、蒼汰は初めて学校という場で過ごすことになった。不安だった彼に美海は笑顔で接してくれて、光輝は場を和ませてくれた。
蒼汰にとって最初に出来た友達で、胸を張って親友と呼べるのがこの二人だ。二人ともが全く裏表のない性格だから、複雑な事情を持った蒼汰でも心を開けた。
感謝以外の言葉がないし、こうして三人で同じ高校に進学できたのは嬉しい限りだった。
そんなことを思い返していると、光輝はさらりと会話を本筋に戻した。
「それで、何で遅刻したんだ?」
「あぁ。昨日火事騒ぎがあったでしょ? うちのマンションの前でもあってさ、丁度その時間うろついてたから話を――ってことらしい」
蒼汰がそう説明し終えたところで、光輝はぽんと彼の肩に手を置いた。
「放火は極悪非道な犯罪だが――。俺はお前が牢屋から出てくる日を願っている」
「僕は犯人じゃないよ! ただ話を聞かれただけで無罪だよ!」
慌てて弁明する蒼汰だが、実際のところ車の燃料アルコールに引火させたりしているので無実とは言えなかった。そこはティアが上手く誤魔化してくれたので問題になっていないが、特課に入ったから見逃されている面もあるかもしれない。
「罪を償ったなら、俺と逆ナンの数の話でもして盛り上がろうぜ」
「むしろあんたが今すぐにでも迷惑防止条例に引っ掛かって捕まりなさいよ」
ぐっと親指を立てていい笑顔をする光輝の脇腹を、美海が呆れた様子でどつく。
そんないつも通りの風景を、蒼汰はどこか遠いところから見ていた。あるいはそれは、羨慕にすら似ていた。
――美海や光輝は何も変わっていない。変わったのは蒼汰だけだ。
日常の風景だけれど、それはもう手放さなければいけないのかもしれない。ぼんやりと蒼汰はそんなことを思った。
それは、あのあと六花に言われたことだった。
『基本的には十分な安全を確保しているけれど、それでも死ぬかもしれない仕事だから。その覚悟だけは、ちゃんと決めておいて』
奏を護る為なら、と蒼汰は引き受けたし、そこに後悔はない。けれどこうした日常に戻って来られないのかもしれないと思うと、胸の奥が小さく音を立てた。
たった、三年。
蒼汰の全てはその間にしか詰まっていない。そこで得たかけがえのない友人二人との別れを想像するのは、寂しさのあまり出来やしなかった。
ましてや自分が消えた後の奏のことなど、脳裏をよぎるだけで視界が黒く染まる。
「……どうしたのよ。暗い顔して」
声に気付いてはっと焦点を合わせると、目の前に綺麗な瞳があった。きらきらと、彼女の名前の美しい海のように輝くその瞳。それが息のかかるような距離でじっと自分を見つめている。
思わず蒼汰はドキリとしてしまい、慌てて視線を逸らす。
「い、いや、何でもない」
「まぁならいいんだけど……」
なおも怪訝な様子の美海に、蒼汰はとりあえず笑顔を向けた。
黒竜の話は一般人には出来ないし、仮に言えたとしても、それを討伐する危険な仕事を始めたなどと美海たちが知れば心配をかけてしまう。だから、笑ってごまかすしかなかった。
美海も、繕った笑みを浮かべる蒼汰を見て、本当に察してほしくないのが分かったからか、話を戻そうとしない。それは光輝も同様だった。
この二人だからこそ、重い過去を背負ってしまった蒼汰とも上手く付き合ってくれる。深く聞こうとはせず、しかしタブーにするでもなく、きっと相談すれば二人とも喜んで手を差し伸べてくれると思う。
だから。
脳裏に過った絶望を拭う為に、手を借りてもいいのだろうか。
「……ねぇ。美海、光輝」
いきなりこんなことを言うと、きっと二人は困ってしまうだろう。それが分かっていて、それでも迷惑をかけるなんて真似は決して誉められないはずだ。
でも、頼るならこの二人しかいないと蒼汰は思った。
「昼休みって、暇だったりする?」