第二章 友達 -2-
ブルー・アルカディアの中心にそびえ立つ、唯一の超高層ビル《セントラル・ブルー》。
名前の通りの美しい群青色に輝くガラスで外壁は覆われていて、淡い青の空に突き刺さんばかりのその姿は、圧巻の一言に尽きた。
その中には三つ星の高級レストランや、この技術に特化した島の中でも更に最先端の研究室など、実に多種多様なトップクラスの施設が軒を連ねている。
一般人が入れるのは、レストラン階層とエントランスと最上階の展望施設のみ。そもそも平凡な生活で手一杯の蒼汰には、訪れる予定さえないリッチな物件だ。
その《セントラル・ブルー》の中腹の、とある施設の一角――応接室にて。
蒼汰は紙コップに入ったコーヒーを片手に、捨てられた子犬のごとく縮こまって震えていた。
彼の横には見知った顔と言ってもいい蒼い髪の少女――ティアもいるのだが、その程度で蒼汰の緊張が和らぎはしない。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
くすりと、対面に座っている天宮六花は笑っていた。
背は奏よりやや高く、女性らしくとても細身だった。出る所は出ているし、引っ込む所は引っ込んでいる。男女問わずこのスタイルには目を奪われるだろう。
しかし、蒼汰の眼にはそんな情報は入って来ない。
泳ぎまくっている彼の視線が捉えるのは、この応接室の豪華な調度品ばかりだった。傷一つつけたら数百万単位で値段が暴落しそうなものしかない。いま座っているソファーでさえ黒い革張りで、万が一汚してしまったらと思うと気が気でない。こんな場所にいて、一介の高校生に緊張するなと言う方が無理だろう。
「えっと、それで何の説明もないままにここに連れられて来たんですが……」
「あぁ、ゴメンね。あんまり外で喋る訳にもいかなかったから、仕方なかったんだよ」
ぺこりと綺麗なお辞儀をされて、蒼汰は思わず頭を下げ返していた。
実際、六花の言い分も理解できる。黒竜の存在は人と竜が共存していく上で、大きな妨げとなる。だからこそ、今まで蒼汰を始めとする一般市民にはひた隠しにされていたのだ。街中であれこれ説明するのは、彼女の立場からも出来ないはずだ。
「改めまして、ようこそ。黒竜対策の要。警察庁生活安全局の特殊保安課、通称『特課』へ」
早口言葉のような正式名称だったが、蒼汰の耳はちゃんと「警察庁」という単語を聞き取った。つまり、政府が正式に用意した組織なのだろう。てっきり謎の秘密結社みたいなものを想像していた蒼汰は、拍子抜けしたような、安心したような微妙な気分になる。
「えっと、天宮さんはここの正式な職員なんですか?」
「六花でいいよ。ティアもそう呼んでるし、わたしからも蒼汰くんって呼びたいしね。――それで、私がここの職員かって話だっけ? そうだよ。この手帳も本物だし。まぁ警察手帳とは色々と違うらしいけど」
六花はそう言いながら胸ポケットから先程見せられた手帳を取り出した。本革で覆われたそれを偽物と思うには、やはり無理があった。
「……高校生、ですよね?」
「お国の機関だからね。特例とか色々積み上げて普通に夜でも働けるようになってるよ。 ――あと、女性に年齢を聴くような真似は駄目だよ。減点ものなんだから」
びしりと蒼汰の鼻先に六花は人差し指を指した。年上のお姉さんらしく、しかし国の機関に所属している人とは思えない態度に、蒼汰は思わず笑ってしまう。
そんなやりとりで緊張が解れてきた蒼汰は、コーヒーを一口飲んで話を進めることにした。
「それで、用事は事情聴取だけですか?」
「察しがいいのはプラスポイントかな。――そう、実は聴取するようなことは特にないの。ティアはうちの職員で、証言としても十分だったし」
「……つまり、別の用件があるんですよね。例えば、僕に特課へ入れ、みたいな」
「正解よ」
取り繕うでもなく六花はそう答えた。
時には人との戦争を望む黒竜を討伐する組織が、この特課なのだ。それはつまり、命を懸けて戦えと言っているに等しい。まだ高校生の彼女が、同様の蒼汰にそれだけの言葉を突き付ける。それも、きっとその意味を全て理解した上で。
頼まれているのは自分で、れっきとした当事者なのに、どこか遠いところから蒼汰は六花に感心してしまった。
「黒竜と直接的な戦闘になった際、人も契約を結んでいない竜もあまりに無力だから、特課にとって戦力の確保は最優先事項なの。――どうか、君にも特課の仲間になってほしい」
六花は深々と頭を下げた。それをどこか申し訳なく思いながらも、しかし、蒼汰は顔を上げてとは言えなかった。
「……何故、僕なんですか。契約を結んだ竜や人なら探せば他にもいるはずですよ」
蒼汰の言葉に、一旦顔を上げた六花は首を小さく横に振った。その面持ちには、どこか暗い色があった。
「契約を結んだだけでは足りないの。それはようやく同じ土俵に立てると言うだけで、制圧には至らない。もしも契約した青竜が黒竜と衝突すれば、双方無事では済まないから」
「……ちょっと、待って下さい。昨日僕はティアと契約して、確かに黒竜を撃退しました。でも契約を結んだ後は一撃で終わりましたよ」
記憶違いなんてことはない。蒼汰は確かに昨日、たった一つの銃弾で黒竜を倒してみせた。
契約を結ぶまでには危ない目にも遭ったし、ティアも少なくない怪我を負っていたが、契約を結んだその瞬間にほとんど勝負は決していたのだ。
「それについてはわしから説明しよう。竜に関することじゃしな」
コーヒーを片手にティアが口を開いた。ソファーの上で足をぷらぷらさせている姿は幼く見えるのに、その口調にも真剣な顔にも、とてもそうは思わせない力がある。
「わしら竜は世界の外に干渉することで何でも出来る。牙を突き立てればあらゆる生命は息絶え、爪を振るえばいかに強固な鋼であろうと切り裂いてみせる。そんなわしらに武器の類など必要ないじゃろう? ――つまりわしらは、世界を改竄できるほどの脳を持ちながらも、武器を作るという発想は欠如したままな訳じゃ」
ティアの言葉で、蒼汰はようやく気付く。
その竜の欠陥を埋め合わせる唯一の方法を。
「気付いたようじゃな。そう。わしらが結ぶ契約は、人の発想力を骨組みにわしらが肉付けするものじゃ。もしもそれで武器を生成するに至れば、それは黒竜を遥かに超える戦力となる」
何でも創造できるが故に想像力を得られない竜と、創造する力がない故に想像するしかない人が掛け合わさる訳だ。言葉の上だけでも十分に力強く聞こえるし、事実その強さの証明が、昨日蒼汰が放ったあの銃弾だ。
「じゃが、契約の内容によらない限り、わしらは武器を生成できん。美味しいケーキが食べたい、なんて契約を交わせばわしらが作れるのはケーキだけ。間違っても黒竜と渡り合うことも出来んのじゃ」
だから、蒼汰は特別なのだ。
契約を交わしただけでは特課の一員としては足りない。そこから一歩先、武器を取ることを心の底から願った者だけが、ここで戦うことの出来る存在なのだ。
「理解はしてもらえたよね。私たちには、契約によって武器を手に入れた人材はとても貴重なの。けれど多くの場合、竜単体では契約時の事象改変は行えない」
そして、六花はもう一度頭を下げる。深々と、心からの誠意を示すように。
「だから、どうか、私たちの仲間になってほしい」
「……それは、命を懸けるということですよね」
「危険な仕事が全くないとは言わない。未成年の間は出来る限りそういうことは排除されるし、昨日みたいに黒竜が暴れるのなんて本当に稀有な事態だけれど、それでもやっぱり起こることだから」
頭を上げずに六花はそう言った。
引き受ける理由は、きっと蒼汰にない。目には見えない平和の為だけに戦えるほど蒼汰は幸せな頭をしていないし、もしもそんな人間がいるとしたら、それは本当にどこかが狂っていなければならないだろう。
けれど。
たった一つのことの為になら、蒼汰は全てを捨てられる。狂うことさえ出来る。
「……もしも、黒竜を放っておいたらどうなりますか」
答えなど分かり切っている問いを、蒼汰はあえて投げかけた。
その蒼汰の問いに答えたのはティアだった。蒼汰が求めている返答を、きっと彼女は理解しているのだろう。
「黒竜を放っておけばいずれ本島の方から人と竜との戦争が宣言されて、わしら青竜も身を守る為には黒竜の側につかねばならんじゃろう。――そして、わしらは別の世界で人を戦争の末に滅ぼしておる」
それ以上言われなくても、蒼汰はしっかりとティアの言おうとしている意味を汲み取った。
戦争になれば、負けるのは人間だ。それはそうだろう。物理法則さえ世界の外側から捻じ曲げる竜を相手に、いったいどうして人間が勝てると言うのか。
ならば、蒼汰の結論は決まっている。
「……奏を護る。それが僕の存在理由だ」
その『人』の中に、奏が含まれるのなら。
たとえ全てを投げ打ってでも、蒼汰はそれを護る。それが蒼汰の存在理由であり、たった一つの願望だからだ。
「僕はその為なら何だってする。この身体を盾にするくらい何だってない。特課に入って黒竜を一匹残らず討ち滅ぼしたっていい。それくらいの覚悟は、ずっと前から出来ている」
その言葉に、六花はただじっと蒼汰の眼を見つめていた。全てを吸い込むようなその漆黒の瞳に、ただ蒼汰は真正面から答える。
やがて、小さく頷いて彼女はその細い手を蒼汰に差し出した。
「君を歓迎するよ」
その手を蒼汰は握り返し、引き金を引き続けることを決意する。
たとえそれが茨の道であろうとも。
その棘さえ全てを撃ち払うと。
ただ一人。
夏凪奏の為だけに。