第二章 友達 -1-
自室のベッドで目を覚ました蒼汰は、まず机の上のデジタル時計で日付を確認した。
六月二十一日、金曜日。
奏と二人でアイスを食べに行ったのは二〇日の木曜日だったので、ちゃんと日は回っている。
――やっぱり、夢な訳ないか。
昨日起きた様々なことを思い返しながら、蒼汰はため息をつく。
竜との共生が成功していたこの島――ブルー・アルカディアで、実はそれを覆そうとする黒竜と呼ばれる者がいたこと。
黒竜の一人に命を狙われ、人との共生を望む青竜の一人、ティアと契約を結ぶことでそれを撃退したこと。
壮大な夢を見ていただけで、実はそもそもまだ木曜日が訪れていないんじゃないか。そんなしょうもない期待があったりもしたのだが、現実はやはり甘くないらしい。胡蝶の夢、なんて哲学に浸る気にもなれないくらいあれは紛れもなく現実だった。
仕方なしにゆっくり時間をかけて受け入れていく決意を固め、蒼汰は部屋を出て洗面所へ向かう。いつものルーティンではあるが、歯を磨き、ばしゃばしゃと冷たい水で顔を洗えば、思考もいくらかクリアになった。
「……しまった」
思わず声に出してしまう。ふと一つの問題に気付いたのだ。
昨日は、銃から人の姿へと戻ったティアが後片付けは引き受けてくれると言うので、いくら安全でも奏を放っておくのも嫌だった蒼汰はその言葉に素直に従った。
素知らぬ顔で約束していたアイスを携えて帰宅し、奏の「向かいのマンションで火事があったんだって」という言葉にドキリとしたのをごまかして、後はいつもの日常だ。その後はティアと連絡を取っていない。
黒竜の存在を知ってしまった上に、蒼汰はティアと契約しそれを討っているのだ。本当にあれっきりで終わるとは思えない。つまり、今後どうなるのかを全く聞きそびれているのだ。
自分の処遇が宙ぶらりになるのは大災厄明けの数週間で経験しているが、あの酷い落ち着かなさは慣れようもない。とは言え、現状どうしようもないことは蒼汰が一番良く分かっている。
「……まぁ、なるようになるかな」
潔く諦めて流れに身を任せることにして、蒼汰は気を紛らわせる意味を兼ねてキッチンで奏と自分の分の弁当と朝食を作り始めるのだった。
「――おはよう」
それから十分ほど、料理も終わりエプロンを片づけようとしていると、奏がリビングにやってきた。寝巻兼部屋着のTシャツとホットパンツ、という涼しげながら少し扇情的ですらある格好だ。もう一緒に暮らして長いから慣れているが、蒼汰としては毎度目のやり場に困る。
「って、また今日もお弁当と朝食、蒼汰くんが作っちゃったの? 今日はわたしの当番だったと思うんだけど」
「まぁ早く起きちゃったしね」
「だったら起こしてくれればいいのに」
奏は小さく頬を膨らませる。
彼女が料理下手という訳ではない。しかし、趣味がほとんどない蒼汰の唯一趣味と呼べるものが炊事などの家事全般なので、気付けば蒼汰が済ませてしまうのだ。今日みたいに何か悩みごとがあるときは特に。
「蒼汰くんは、わたしの料理嫌い?」
「いやいや大好きだよ。――じゃあ、朝ごはん用に卵焼き作ってよ」
そんな朝の風景は、どこまでもいつも通りの日常だった。
気付けば昨日の出来事を遠い思い出にしてしまいそうになるくらい、蒼汰はその日常に馴染んでいた。ひょっとしたら、ティアともこのまま会うことはないんじゃないだろうか。そんな風に思ってしまう。
朝食も身支度も済ませ、蒼汰も奏も忘れ物がないかを簡単にチェックし登校しようとした、そのときだった。
ピンポーン、と平凡なインターホンの音が響いた。
朝の登校前に来客など珍しい。いや、そもそも今まで一度もないだろう。宅配だって始業前だ。きょとんと首を傾げる奏の横を通り抜けて、蒼汰が呼び出しに応えてインターホンのモニターを点ける。
そこに映し出されたのは、あまりにも美しい少女だった。
漆黒の大きな瞳は真っ直ぐにモニター越しの蒼汰を捉えて、惹きつける。結われていない髪は闇夜のようで、白桃の果実のような肌を際立たせていた。
「はい、どちらさまでしょうか?」
一瞬見惚れていた蒼汰は、慌てて尋ねる。
向こうはどうやら高校生――それも雰囲気からして年上だろう。着ているのは黒に赤いリボンのセーラー服だ。
「天宮六花と申します。昨日の火災の件で、七峰蒼汰くんに少々尋ねたいことがありまして」
そう言いながら、彼女――六花はモニターにあるものを突き付けた。
それは顔写真入りの、黒い革の手帳だった。ご丁寧に桜の大門のバッジまである。……紛うことなき警察手帳だ。
――どう見ても高校生の彼女がどうして警察手帳を? 警察に連れて行かれるようなことしたかな?
「えっと……」
唐突な事態に面喰らっていると、モニターの端にあるものが見えた。
それは髪だ。しかも、いま窓の外に広がっている青空のように美しい蒼い髪である。
その持ち主など、問うまでもない。昨日蒼汰と契約を交わした竜の少女――レシュノルティア・ブルーである。
「あぁ、そういうことか……」
彼女がいるとなれば、ある程度何が起きるのか先は読める。というか、おそらくこの天宮六花が、昨日ティアの言っていた『黒竜討伐の特殊組織』の一員なのだろう。
はぁ、と蒼汰は小さくため息をつき、六花には「すぐ行きます」とだけ伝えて通話を切る。
「何か事情聴取されるっぽいね。奏は先に学校に行ってて」
「え? え? 蒼汰くん逮捕されちゃうの?」
横から覗き込んでいた奏は、不安そうに真っ暗なモニターと蒼汰を交互に見やる。
「うーん、たぶん逮捕は大丈夫だと思うよ」
苦笑いで奏に返し、蒼汰は重たいカバンを肩にかけた。