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第一章 弾丸 -5-


 ――僕の、せいだ。


 ティアへと迫る死を前に、蒼汰は思う。

 自分が不用意に危険に首を突っ込んだから、ティアはこうして死の淵に晒されている。

 自分を食えば済む話なのに。黒竜の味方にならなくたっていい。この状況なら蒼汰を喰らってでも黒竜を倒せば、きっとティアは罪に問われない。

 それでも彼女は、その選択を拒んだ。

 美しいとさえ思った。その気高き誇りは、あの黒竜のくすんだ牙ごときに汚されていいものではない。


 ――願いはない。けど、僕に出来ることはあるはずだ。


 目を凝らせ。

 耳を澄ませろ。

 神経の一本、ニューロンの一つまでが焼けるほどに。

 あらゆる情報から、目的を遂行するだけの手段を生み出す為に。


 ほんの刹那の思考が、永遠にも感じられた。

 そして一つの作戦が頭に浮かぶが早いか、蒼汰は黒竜から背を向けて駆け出した。


「何だ? 今さら逃げたってこの嬢ちゃんを始末した後にお前も――」


「余所見をするとは、油断大敵という言葉も知らんようじゃな」


 ティアが炎弾を生み出し、黒竜の横顔にぶつけた。おそらく、蒼汰から気を逸らさせる為に。


「……嬢ちゃん、自分の立場分かってるか?」


 案の定、黒竜はティアに視線を戻した。ティアの挑発に乗ったというよりは、そもそも彼は人が脅威になるなどとは思っていないらしい。

 その僅かな時間に目的の場所に辿り着いた蒼汰は、手早く確認を済ませる。

 先程ひしゃげたのと同じ車種を見つけて、給油口を外す。――この島では試験的に様々な技術が導入されているせいで、車の燃料すらバラバラだ。ガソリンかもしれなければ、EVかもしれないし燃料電池かもしれない。そしてこれは、アルコール燃料だった。


 ――ガソリンほどの熱量は得られなかったはずだけど、これでも十分かもしれない。


 蒼汰はすぐさま手近な車の影へ隠れ、深く息を吸い、叫んだ。


「ティア! こっちへ!」


 その声だけで何を理解した訳でもないだろうが、ティアはまるで石弓にでも弾かれたように数メートル近く跳び上がると、たった一足で蒼汰の下に舞い戻った。

 それは、大きなワゴン車の背後だ。それもアルミボディではなく、鋼板のものだ。


「急いであの黒竜の近くに火を放って!」


「ンだ? 今さらただの火ぐれェで俺が――」


 黒竜の言葉を遮るように、ティアによっていくつかの小さな火の球が彼の周囲に降る。

 刹那。

 音が消えるほどの衝撃があった。

 ティアの放ったそれは爆発と化し、視界を真っ赤に染め上げた。車を盾にしていなければ、今頃蒼汰もティアも吹き飛んでいたはずだ。


「……燃料の引火って、やっぱり危ないんだね」


 最初に黒竜が潰した車から漏れ出た燃料用アルコール目がけての着火だった。かなり気化もしているし熱量もガソリンほどではないとは言え、漏れ出た分が、まだタンクに残っている物まで誘爆させている。流石の黒竜も、ゼロ距離であれを受けて無傷とはいくまい。


「お主、これを狙っておったのか?」


「使えそうなものが他になかったから考え付くのは楽だったよ。車には詳しくないから、同じ車種を探して確認しないといけなかったけどね。――あいつの言ってた通り、駐車場で遊んじゃいけないね」


 黒煙に包まれる中、呆れ半分感心半分といった様子のティアに答えながら、蒼汰は一息つく。

 ダメージを負った黒竜ならティアでも時間稼ぎが出来るだろう。ティアが始めに言っていた黒竜を討伐する組織が到着するまで保たせるという目的なら達成したはずだ。

 自分に出来ることは、これで果たした。


 ――そう、思っていたのに。


「ざけンなよ、エサの分際でよォ!!」


 怒号が聞こえたかと思えば、燃え盛る炎も煙も一瞬で吹き散らされた。

 その直後、蒼汰たちが盾にしていたワゴンは横薙ぎに弾き飛ばされ、遠くの壁に激突して炎を上げた。


「な――っ!?」


 驚きを隠し切れなかった。

 蒼汰とティアの前に姿を現した黒竜は、確かに多少の火傷を負っているが、さほど大きなダメージがなかったのだ。その鱗は、今なおどす黒く輝いている。


「あの程度で竜が殺せると思ったかよ、人間!」


 広い地下駐車場に、黒竜の咆哮が響き渡る。


 ――失敗した!? これじゃあ、怒りを買っただけで何も事態は――


 恐怖と後悔に思考を埋め尽くされた蒼汰の眼前に、黒竜が立つ。


「呆けている場合か、阿呆!」


 蒼汰をティアが突き飛ばす。数瞬遅れて、二人がいた場所を黒竜の爪が薙ぎ払った。もし彼女がそうしなければ、と思うとぞっとした。


 ――どうすればいい。僕に何が出来る……ッ。


 考えても考えても、答えは出ない。

 物理的に無理なら、ティアと契約を結ぶ方法か? 無理だ。今この場で『死にたくない』なんて突発的な願いだけでは、事前に二人もの人間を捕食した黒竜を超えることは出来ない。

 死への恐怖を前に、それを撥ね退けるほど強固な、自身の根幹に根付いた願いを見つけなければいけない。――そもそも、そんなものがあるかどうかさえ分からないと言うのに。

 気付けば、蒼汰の身体はがくがくと震えていた。みっともなく、ただ本能が死を恐れて泣き叫んでいる。


「……安心せい。お主はわしが護るよ」


 そんな蒼汰の手に、小さな手が重なる。

 自分よりもずっと、ずっと小さくか弱い手に、蒼汰の震えは吸い取られていく。


「駄目だ、ティア。契約を結んでもいないのに――」


「ならば、お主に何か策があるのか。願いでもいい。この場で、あの黒竜を打ち破る力がお主に眠っておると言うのか」


 辛辣な言葉に、蒼汰はただ俯くしかなかった。

 結局、ティアに任せるしか蒼汰に出来ることはない。


「心配すんなよ、嬢ちゃんたち。テメェらはまとめて殺してやるからよ。――いや、テメェらだけじゃ足りねぇか。あァ、せっかくだしあともう一人やるか」


 焼けただれた口元から涎をぼたぼたと零し、その黒竜は笑う。

 ゆっくりと、せっかくティアが開けてくれた距離を一歩ずつ詰めながら。


「仲良くテメェと帰ってた人間の女がいたな。ソイツも喰らおう。なぁに、仲良く俺の腹で暮らせるんだ、本望だろ?」


 汚らしく笑う黒竜を、蒼汰はただ呆然と見つめた。

 しかしそれは、恐怖故に思考が途絶えた訳ではない。


 ――殺される? 僕もティアも、そして、奏も?


 どくりと、心臓が大きく跳ねた。

 視界が血の色に染まるような錯覚があった。


 自分の全ては、奏の為にある。

 全てを、アイデンティティさえをも失った少年が生きてきたのは、ひとえに夏凪奏の存在ゆえだ。七峰蒼汰の全ては夏凪奏の為だけに存在し、それ以外の価値が、自分にはない。

 そう断言できるほどに、蒼汰の心は奏によって満たされている。その心さえも、きっと奏に与えられたものだから。


 だから。

 もしも奏が死ぬのならば、それは、蒼汰にとって何よりも耐えがたい苦痛だ。


「そう、か……」


 気付く。

 自分の中に、今までずっとたった一つの願いが眠っていたことに。


「……ティア。僕と契約を結んで」


 彼女の耳元で、蒼汰は小さく囁いた。対して、ティアは怪訝な顔を向ける。


「一時の感情が生み出す願い程度では、得られるエネルギーなど高がしれておるぞ。それではこの状況を――」


「大丈夫」


 ティアの言葉を遮ってでも、蒼汰は力強く返す。


「その願いは、僕の全てだから」


 迷いなく蒼汰はそう言える。

 拳を握り、ただ前を見据えて。


「奏を護りたい。この命に変えても」


 僅かな沈黙があった。まるで、蒼汰を試すような。

 じっとティアは蒼汰の瞳を見つめ、やがて、彼女はただ小さく頷き返す。


「…………その願い、聞き入れた」


 ティアは微かに笑っているように見えた。そのまま彼女は、蒼汰の頬に手を這わせる。その柔らかな指先から、溶けた鉄にも似た熱さが流れ込んでくるようだった。

 ゆっくりと、レシュノルティア・ブルーが身体を近づける。女の子らしい甘い匂いと、微かな血のにおい。気付けば、さらさらとした蒼い髪が蒼汰の目の前にあった。

 そして彼女は、蒼汰の額にキスをする。


「何だ、今さら苦し紛れの契約か? ちゃんと結べるなら隠れてたときに済ましてたはずだ。そんなその場しのぎで俺に――」


 油断からだろう。黒竜は二人を妨げようとはしなかった。それはきっと、人を喰らいエネルギーを得ているからこその、当然の驕り。だがそれが、彼の命を奪うのだ。

 周りがやけにスローになっていくような感覚の中で、耳ではなく頭で、蒼汰は直接ティアの声を聞いた。


 ――『奏を護りたいか』


 ――もちろん。


 ――『それは、盾が欲しいということか? 奏を決して奪わせない、堅牢にして強固な盾が』


 ――……違う。それじゃあ、奏は盾の内側でずっと怯えて過ごすだけだ。護れない。


 ――『ではお主は、何を欲する』


 ティアの問いかけに、蒼汰は逡巡した。

 けれど、答えはもうあった。


 ――僕が欲しいのは、奏を傷つけようとするあらゆる者を討つ力。


 ――目の前の黒竜さえ撃ち貫く。



 ――弾丸だ。



 答えた瞬間だった。

 嵐にも似た暴風が辺りに吹き荒れ、ティアの全身が青い光に包まれる。


「な、ンだ!? 何だよ、この力の流れは!?」


 今さらのように慌てる黒竜は、しかしその風のベールを破れずにいた。

 その中で、光に包まれたティアの姿が消えた。それとほとんど同じタイミングで、蒼汰の右手に熱い何かが触れる。

 まるで糸が寄り集るように、そこに何かが形成される。

 それは、一丁の拳銃だった。

 青白く輝く不思議な金属で出来た銃身。グリップは手に余るほど大きく、シリンダーのない自動式だった。

 ずしりと、その蒼き銃が蒼汰の手にのしかかる。


「心の準備は良いか?」


 手にした銃から声がして、蒼汰は目を剥いた。それはどこかへ消えたティアの声だ。


「……もしかして、この銃が、ティア、なの?」


「お主の深層心理にある願望をトレースし、わしが竜の演算を以って肉付けした。正確にお主の希望に添えるようにした結果、わしがこうなるのが無難だと判断しただけじゃ」


 ティアが短く答えたかと思うと、その銃が握っている蒼汰の手ごと勝手に動き出した。

 嵐の向こうにある、真っ黒い影にその銃口が向けられる。


「照準はわしがやる。反撃されたとしても防御まで引き受けてやろう。お主はただ、その引き金を引けば良い」


 ティアの言葉に力強く蒼汰は頷き、そのトリガーに人差し指をかける。

 金属のような組成だが、不思議と冷たさは感じなかった。燃えるような熱さが、その銃から全身に伝播する。

 銃を握る右手を包むように左手を添えて、真っ直ぐにその黒竜へと向ける。


「さぁ。あの愚鈍な黒竜の胸に、風穴を開けるぞ」


「うん。――あいつを、撃ち貫く」


 人差し指に、ぐっと力を込める。重く返ってくる反動を無視して、蒼汰はそのまま押し切った。同時、鈍い衝撃が腕や肩を突き抜けた。

 風のベールが吹き飛ばされる。瞬間、黒竜の喉から呻き声が漏れ出る。

 とっさに防ごうとしたのか、黒竜の額に交差させた掌で弾丸が静止している。


「ンだよ、この威力は……ッ」


 直径は一センチを超える程度の、流線形をした弾丸だ。黒竜の巨大な体躯に比べれば、それは羽虫の如き小ささだ。

 発砲した瞬間の初速以外に、力が加えられる道理はない。受け止められてしまえば運動エネルギーはそこで尽き果てるはずだった。


 なのに。

 その弾丸は、黒竜を貫かんと突き進む。


 鱗の薄い竜の掌の皮を削り取り、回転する弾丸によって血が吹き散っていく。ティアがやっていたように透明の盾を形成している様子もあるが、それも生み出されると同時に砕いている。


 そして。


「――終わりだよ」


 蒼汰は、そっと銃を握った手を降ろす。

 同時、ついに力尽きた黒竜の掌を食い破り、弾丸が彼の頭蓋を貫いた。


「……はっ。まさか、たかが弾丸風情で、俺の鱗を貫通かよ……」


 どしゃりと、その場に黒竜が膝を突く。涎を垂らしていたその顎からは、今は鮮血が溢れ出ていた。


「くそっ、たれ……」


 自らが生んだ血の海へ、名も知らぬ黒竜は沈んでいく。

 それを冷めた目で眺めながら、蒼汰は奏を護れたことの安堵だけに包まれていた。



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