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第一章 弾丸 -3-


 奏と合流した蒼汰は、そのままいつも通りの帰路に就いた。

 先程までの奏はかなり怯えた様子だったが、蒼汰の顔を見てしばらくすれば平生の明るさを取り戻していた。蒼汰が原因を見に行ったことで、多少なりとも安心を与えられたようだ。


「蒼汰くんは本当に大丈夫だったの?」


「何てことはなかったよ。さっきのもただのボヤ騒ぎだったし。ちょっとガスボンベのいくつかに引火しちゃったみたいだけど、この島の技術力だし、すぐに消火できたみたいだよ」


 もちろん蒼汰の言葉は嘘だったが、実際に黒い竜そのものを見た者がいなかったらしく、ブルー・アルカディアの警察も火災として処理しているようだったから、()()()には真実だ。

 どうにもあの黒竜は竜の不可思議な力で人を遠ざけてから、火で囲んで逃げ遅れた者を一人ずつ捕食する気だったようだ。飢えている以上余計な力を消費しないよう、と考えた罠だったのだろう。中々に頭の回る奴だ。


「なら、いいんだけど……」


 やはり蒼汰が心配なのだろうか、ちらちらと奏は様子を窺っていた。


「大丈夫だってば。かすり傷一つないし。そんなに心配なら家まで競走でもする?」


「いいよ、分かった。蒼汰くんはいつも通り元気だね」


 ふふ、と可愛らしく笑う奏の顔からは、心配げな様子は消えていた。蒼汰が無理をしていないと、ちゃんと信じてくれたらしい。


「――ありがとう、ね」


 蒼汰の少し先を歩きながら、奏は囁くように言った。


「さっき、蒼汰くんが駆け出して行ってくれて、すごく寂しくて不安にもなったけれど……。こうして何でもないって蒼汰くんの口から聞かせてもらえるだけで、すごく安心するから」


 くるりと回って、彼女は蒼汰に花のような笑顔を向けた。それだけで、蒼汰は満たされる。あんな無茶な真似をした報酬としては、十分だった。


「でも、二度と無茶しちゃダメだからね?」


「肝に銘じておきます」


 一個上のお姉さんからのお叱りを甘んじて受け止めながら、蒼汰は歩く。

 さっきまでの恐怖が嘘のようだった。そして同時に、こうして難なく日常に戻れている自分にも、驚かされた。

 いや、驚くことでもないか。そう蒼汰は自嘲気味に笑った。

 元々蒼汰はそういう人間だ。それを彼は、三年も前から自覚している。




 三年前のことだった。

 この人工島ではないただのどこにでもある街が、原因不明の謎の大災害に呑みこまれた。

 死者は七五〇名にも及び、全壊家屋は一五〇を超えたという未曽有の災害。その中心地とされる半径一キロメートル圏内での生存者は、たったの二人だけ。――それが、蒼汰と奏だった。


 大地は荒れ果て、焼け焦げていた。建造物など残らず破壊され、あるのはただの瓦礫の山だった。その地獄のような光景の中で、少年は奏と邂逅した。


 そしてそれが、蒼汰の持つ最初の記憶だった。


 あの日奏は家族を、友を失い、彼はそれに加えて記憶を失ったのだ。

 次に少年が奏と再会したのは、病院の真っ白いベッドの上だった。

 愛する者全てを失った恐怖故に誰かと関わることさえ強く拒絶した奏だったが、彼が話しかけたときだけは僅かばかりの笑顔を取り戻していた。

 退院したところで身寄りもない彼は、自分の処遇が決まるまでの間、ずっと奏の傍に居続けた。どんどん増していく彼女の笑顔だけが、唯一の生きがいだった。


 やがて何週間かして、遠くの親戚が奏を迎えに来た。けれど彼女は、それを酷く拒否した。たとえ誰であろうと、その少年以外の人間に奏がもう一度心を開くことはなかったのだ。

 今の自分が彼女には必要だ。そう彼は思った。

 全てを失くし、自分が誰なのかさえも分からなくなってしまった少年は、しかし自分の存在理由を夏凪奏の中に見出した。


 七峰蒼汰という名前を奏に与えられ、その想いは強さを増した。

 以来、蒼汰と奏は運命を共にしている。蒼汰は施設に引き取られることもなく、こうして奏と暮らす道を選んだのだ。始めの内は奏の親戚のおばさんも一緒に暮らして世話を焼いてくれたのだが、奏が高校に入ると共にそれも止まった。向こうにも向こうの家庭があるから、仕方のないことだ。


 もちろん、新たに奏と蒼汰が暮らす場所も必要だった。災害を生き延びた奇蹟の少年少女とはやし立てるうざったいマスコミから逃れるという理由もあって、蒼汰たちはこの情報統制された島で暮らすことにした。奏の親戚筋からの仕送りや寄付金、奨学金なんかで学費や生活費は賄えた。PTSDだか何だかの先進研究ということで、奏が安くカウンセリングを受けられるのもこのブルー・アルカディアに来た理由だった。


 奏がトラウマに怯える間、ずっと傍で彼は支えてきたのだ。

 自分も同じ境遇だったにもかかわらず、まるで、自分だけは何も起こっていなかったかのように。被害者ではなく慰める側にあっさりと回ったのだ。

 異常事態に対して、蒼汰は決して囚われることがない。あるいは、囚われるくらいなら――と、記憶や恐怖を紙切れのように簡単に捨ててしまえるのかもしれない。


 きっと、どこか蒼汰は歪んでいた。

 けれど夏凪奏はそのおかげで救われている。こうして、笑顔を見せることが出来るほどに。

 なら、壊れていたって構わない。蒼汰は確かにそう思っていた。




 そんな短い回想から現実に戻ってくると、じっと奏が蒼汰の顔を覗き込んでいた。


「ど、どうかした?」


「また蒼汰くんが難しい顔してたから……。本当に、無理はしてないよね?」


 心から心配している様子の奏に、蒼汰の胸が小さく軋んだ。そんなに不安にさせるつもりはなかったのだと、罪悪感が芽生えてしまう。


「大丈夫だって。――ただちょっと、そう。今日の夕ご飯を何にしようかって悩んでただけ」


 そんな風に、蒼汰は適当にごまかした。これ以上突っ込まれると嘘がバレるから、ではなくて、この話題のままでは奏がまた不安がってしまうから、という理由だ。


「夕ご飯かぁ。……暑いし、さっぱりしたものでいいんじゃないかな。冷ややっことか」


「いいけど、アイスも食べてるし、そんなに冷たいものばっかりじゃお腹壊しちゃうよ?」


「結局アイスこぼしちゃってほとんど食べれてないもん」


 むぅ、と頬を膨らませる奏を見て、思わず蒼汰は吹き出してしまう。そんな蒼汰に、尚更奏は不機嫌ぶった様子で唇を尖らせて、けれどすぐに自分でもおかしくなって笑ってしまう。

 何気ない、いつものたわいない会話だった。先程までの騒ぎも、気付けば頭の中から抜け落ちている。それが今は、普段以上に心地よく感じた。


 そうして二人で歩いていると、すぐに家に着いた。

 背の低いマンションだ。技術力の高さを見せつけるべく美しささえ追求されたこの人工島では、背の高い建物は条例として建造できなくなっている。唯一ある高層建造物はランドマークでもある中央に座する六〇階建ての日本一の超高層ビル――《セントラル・ブルー》くらいだ。


 最上階――と言っても五階の一室に蒼汰と奏は暮らしている。指紋認証やら虹彩認証やらで鍵さえ取り出さずに蒼汰と奏はエントランスを抜け、そのまま角の自室を目指した。

 ノブに触れただけでガシャリとロックが外れる。その音を確認してから蒼汰は扉を引いた。


「ただいま」


 この部屋にいるのは蒼汰と奏だけだから誰に向けた挨拶という訳でもないが、何となく蒼汰も奏もそうするのが習慣になっていた。

 それから蒼汰と奏はそれぞれの部屋に別れた。元々、二人が別に一人暮らしするくらいのギリギリの金はあるのだから、二人で借りるとなれば狭い2LDKにしても家賃は何とかなった。

 ぱたりと自室の扉を閉めて、カバンを放り、ベッドに腰掛け一息つく。照明や冷房が扉のセンサーから自動で起動し、柔らかな光と冷たい風を蒼汰に送る。


 奏には大丈夫だと言い続けていたが、無茶な走りをしたことの疲労くらいは残っていた。そのせいか、エアコンの風を浴びたまま数分ぼーっとしてしまったくらいだ。


 ――このまま横になったら気持ちよく寝れそうだなぁ……あぁ、でも制服から着替えないと皺に――……


 なんて、うとうとしながら睡魔と葛藤しつつ、蒼汰はふと窓に目をやった。

 そこで、蒼汰は見た。

 窓に張り付いた、蒼髪碧眼の少女を。


「――うわぁぁ!?」


 思わず悲鳴を上げてしまった。眠気など一瞬にして吹き飛んでいる。

 対角にある部屋から奏が「ど、どうしたの!?」と叫ぶ声がして、蒼汰は慌てて窓に駆け寄ってカーテンを閉ざした。


「な、何でもない! ちょっと黒いG的なものを見つけただけだから!」


「……ほう。お主、この蒼い髪の可憐な美少女を、事もあろうにあの下等で不快感の塊である黒い節足動物と言ったか?」


 窓の向こうで囁くようにドスを利かせた声がする。どうやら彼女――レシュノルティア・ブルーの怒りを買ってしまったようだ。勝手にベランダに侵入していたのはそちらだというのに、不条理極まりない。


「と、とりあえず外で話を聞くから」


 蒼汰は窓越しに蒼髪の少女に声をかけ、カバンの中から適当に財布を取り出してポケットにねじ込んだ。


「奏、一応片づけたから安心していいよ。あと、さっき食べ損ねたアイスの代わりになるもの買ってくるね。せっかく楽しみにしてたみたいだからさ」


 そそくさと適当な言い訳を並べて蒼汰は部屋を出る。まだ着替え途中だったらしく奏は「え、あ、うん。行ってらっしゃい」とどこかついてきたそうにしながらも、部屋の中から送り出してくれた。

 恐る恐る玄関の扉を開けて蒼汰は外に出る。ガチャリと重くオートロックがかかるのを確認して、きょろきょろと辺りを見渡した。


「探しておるのは黒い昆虫か、それともわしか?」


 音もなく蒼汰の背後に忍び寄ったティアが、殺気立った声で呼びかける。ベランダから窓に張り付いていたはずだが、あっという間に移動してきたようだ。


「も、もちろんティアだよ。そしてさっきの言い訳についてはちゃんと謝るから、その背中に突き立ててる拳を引っ込めてくれないかな……」


 蒼汰がそう言うとティアは渋々手を降ろした。


「まぁ良い。わしもそんな益体もないことを話しに来た訳じゃないんじゃ」


「だろうね。いきなりベランダに現れるなんて普通じゃないし。――で、僕に何の用?」


 奏に感づかれないように離れようと、蒼汰は階段を降りながら問いかける。


「まぁ簡潔に言うとな。お主の身が危ういかもしれんという忠告に来た訳じゃ」


「え、それってどういう……」


「あの黒竜。わしはてっきり飢餓に狂っただけじゃと思っておった。じゃが、それではあの場で逃亡した理由がない」


 この短時間で得た考察を、ティアは蒼汰に語り始めた。


「飢餓への苦しみとは生命の危機に対する防衛本能に近い。それ故に、飢えに狂うということは見境を失くしあらゆる判断が壊れる訳じゃ。――じゃがあの黒竜は、あの場でわしとの戦闘を避けた。あの竜には、確かに理性があった」


「……つまり、飢えてはいないってこと?」


「そう。何より炎を吹き黒煙で身を隠すのにもエネルギーは使う。このコンピュータにも似た脳で世界の情報を読み解き書き換えるのじゃから、人が思うておる以上には消耗が激しいんじゃ。そんなものを飢えた身で使う馬鹿もおるまい」


 そこまでティアに言われて、蒼汰は気付く。

 蒼汰があの黒い竜に近づくまでにも、おそらくは竜の特殊な力で人払いのようなものが行われていた。そもそもどうして自分が近づけたのか、という疑問は残るにせよ、飢餓に狂ったとは思えない周到さだ。


「じゃあ、いったい何の為に……」


「飢えでないとすれば、おのずと答えは絞られるであろう」


 ハッと蒼汰も思い至った。

 竜は元々の世界で人と戦争を続けていた。そして、ティアたち青竜はこの世界では人との和平を望み、先程襲ってきた者のような黒竜はこの世界でも人を掃滅しようと企んでいる。

 もしそうであるならば――……


「気を付けろよ、蒼汰。先程の騒ぎが黒竜側の何らかの計画であったなら、それに感づくであろうお主が狙われる可能性も――」


 ティアの言葉は、そこで途切れた。

 何故なら、蒼汰とティア二人の視界の端に、黒いものが確かに映っていたから。

 コウモリの羽にも似た、不気味で不吉な翼が。

 日常が、音を立てて崩れ落ちた。



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