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終章 消失 -1-


 目覚まし時計のアラームが響く。

 手を伸ばし、パチリとそれを止めて七峰蒼汰は起き上がる。


「おはよう、蒼汰くん」


 そんな蒼汰の横から、柔らかな声が降る。それと同時、シャッとカーテンを引く音がして、眩い光が目に刺さる。


「おはよう、奏」


 いつも通りに、二人はそう挨拶を交して笑い合った。


 ――あれから、三日が過ぎた。


 世間ではあの日《セントラル・ブルー》で起きたことは何も取り上げられていない。色々なカモフラージュがされていたようで、今のところは「展望デッキの窓に破損が見つかった為」という偽りで閉鎖し修復に当たっているようだ。

 奏の家もすぐに修理業者が駆け付け、カレンデュラが起こした爆発で割れた窓も、その日の夜には綺麗になった。

 何もかもが、元通りに向かっていった。あるいはもう、戻っているのかもしれない。

 たった一人を除いて。




「忘れ物はないね?」


「ないよー」


 朝の支度を終えた蒼汰たちは、学校に向かう為に慌ただしく片づけを済ませていた。平凡な、高校生二人の朝の日常だった。


「本当に?」


「ないってば。蒼汰くん、お母さんみたい」


 そんな風にくすくす笑う奏だったが、しかし、それを聞いて蒼汰は少しばかり驚いていた。

 彼女の口から『お母さん』なんて言葉を今まで聞いたことがなかったから。


「……大丈夫だよ」


 奏はにこにことした笑顔のままだった。蒼汰がどうして面食らっていたのか、分かっているのかもしれない。


「もう大丈夫。わたしは、蒼汰くんにだけ押し付けたりしない。――ちゃんと、ちゃんと自分でも乗り越えて行くんだから。考えないように遠ざけるだけじゃ、意味がないもんね」


「そっか」


 その力強い言葉に、蒼汰は小さく頷いた。胸に走った、僅かな痛みには目を伏せて。


「ほら、行こ?」


 そう言う奏を先に玄関に送ってから、蒼汰はガスの閉め忘れがないかをさっと確認する。

 そして、自分の指先を見て息を呑んだ。


「……まだ、まだ大丈夫」


 ぎゅっと握りしめて、自分に言い聞かせるようにその言葉を繰り返し、蒼汰はまたいつもの笑顔を作って奏の待つ玄関へと向かった。


「――蒼汰、奏さん。一緒に行きましょ」


 マンションを出たところで、蒼汰と奏は声をかけられた。振り向いた先にいたのは、奏の少ない友人――美海と光輝だった。


「うん、行こっか」


 蒼汰より先に、笑顔で奏はそれに答える。誰かと繋がりを持つことを恐れていた頃とは違って、それはちゃんと心の底からの笑みだった。


「……どしたの、蒼汰。何か暗くない?」


「そう? 寝不足なのかも」


 目ざとく見つける美海に、蒼汰はすぐに笑顔を向けた。どこか訝しんでいるようだが、あまり深くは追求してこない。


「まぁ、まだ三日しか経ってねぇしな。そりゃ疲れも抜けねぇだろ」


 光輝はそう言って納得してくれていた。

 彼も美海も、何があったのかを知っている。実際事件に巻き込まれた光輝と、蒼汰の秘密を知った美海とが、口止め料の代わりに詳しい説明を要求し、サジがそれに答えた形だ。

 まだ二人とも完全には事実を受け入れていないように見える。むしろ、突然友人が竜に作られただけで本物の命を持っていない、と言われてすんなり納得する方がどうかしている。

 けれど、ゆっくりと、まるで氷山を溶かすように、彼女たちもまた理解しようと努力してくれているのは分かる。


 ――あぁ。


 その光景を見て、蒼汰は悟る。

 もう、大丈夫だと。

 小さな覚悟を胸に秘め、蒼汰はもう一度精いっぱいの笑顔を作って見せた。


「……ゴメン、みんな。ちょっと忘れ物したみたいだから、一度戻るね」


「もう。さっき自分で忘れ物ないかって言ってたのに」


「ゴメンってば。大丈夫、すぐ追いつくから」


 そう言って、蒼汰は背を向けて小走りで家へと向かった。


     *


 その様子を、夏凪奏は不思議そうに見ていた。

 蒼汰の背中が見えなくなると、ざわざわと、奏の胸の奥で何か嫌な気配がした。


「……やっぱり、蒼汰くんと一緒に行くね。二人は先に行ってて」


 そう言って、奏は二人を置き去りにして自分もまたマンションへと向かった。

 先にいるはずの蒼汰に追いつく為に駆け足になっていた奏だが、マンションに着いても蒼汰の姿は見られなかった。そのことに、胸騒ぎが一層ひどくなる。

 焦る足取りで部屋へと入り蒼汰の名を呼ぶが、返事はなかった。

 きょろきょろと部屋の中を見ていく。

 リビングのテーブルもテレビも空調も、部屋を出たときのまま。蒼汰の部屋にはいつものベッドと机があるだけで、特におかしなことはない。


 だが。

 自分の部屋に入って、机の上を見て、奏は胸騒ぎの正体を知った。


「何、これ……」


 そこにあったのは、一切れの紙だった。

 何かのメッセージカードらしいそれには、たった一言だけ書かれていた。


『さようなら』


 それが誰からのメッセージで、誰に向けたものかなんて、考える必要もなかった。

 ただ、がくがくと震えと共に全身から力が抜けていく。



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