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第四章 血刀 -6-


 幾度となく放った剣閃は、目の前の敵の身体を引き裂いていた。

 しかしその度に傷は蒼い粒子に包まれ、消えていく。


 どうして、と天宮六花は思った。

 一閃ごとに深手を負い、しかし即座に再生し、戦闘を続ける。

 彼には、そんな無茶苦茶なことをしてまで夏凪奏を護らなければならない理由がないはずだ。

 奏が死ねば蒼汰は消えるから? だとすれば、ここで死闘を繰り広げたってそれは同じだ。いくら再生したって、いずれはどこかでティアに限界が来る。そうすれば蒼汰は消えてしまう。


 なのに、彼は戦っている。

 全身を切り刻まれ、集中力も体力もとうに限界に来ているはずなのに、それでもなお彼は、天宮六花に立ち向かう。


 何故か。

 それは、彼は奏が生み出した存在だから。

 奏が自分の為だけにと願ったが故に、彼は奏を護る為に立ち上がってしまった。

 まるで、呪いのように。

 その姿に自分が重なるのを、六花は見た。


「――ッ!」


 剣閃が僅かに鈍る。頭を締め付けるような痛みがあった。


 ――倒壊する街並み。


 ――濁流の顎に呑みこまれていく人々。


 蘇ってほしくもない記憶が、意識の壁を食い破るように脳裏に浮かぶ。


     *


 それは、もう十年近くも前のことだった。

 突如起きた災害で、六花の暮らしていた街は完膚なきまでに破壊された。僅かに残った建物や人々は、その後に襲いかかった津波に呑まれ、押し潰され、全て跡形もなく消え去った。


 足元からたった数十センチ下で起きたその出来事を、六花は呆然と眺めていた。

 自分を高台へ押し上げることで精いっぱいだったのだろう。父親も母親も、その濁流の渦の中に消えていた。

 そして彼女は、その場で崩れ落ちた。


 十歳にも満たない少女が見た、紛うことなき絶望だった。全てを失い、取り戻す術さえ欠片も見当たらない、おぞましい現実だけがあった。それを前に泣き叫ぶことさえしなかったのは、彼女の強さか――あるいは、もはやこの時点で精神は崩壊していたのか。

 頭の奥が、胸の奥が、おおよそ心というものがありそうな場所全てが、音を立てて潰され、捩じ切れていく。


 視界の端で、全てを呑みこんだ破壊の権化が、まるでただの波のように引いていく。それが何を現すのか分からない六花ではなかった。

 第二波が来る。それも、おそらく今のよりも巨大な。

 逃げなければ死ぬ。そんなことは分かっている。けれどもう、六花には生きたいという当然の願望さえ残ってはいなかった。


 そんな彼女の前に、一つの影が舞い降りた。


『どーしたの? 逃げないと死んじゃうよ?』


 幼く無邪気な声だった。この途方もない絶望の奔流の中で、その声はまるで幼稚園で遊ぶ子供のようなものだった。


『――もう、いい』


 その影に、六花はそう答えた。彼女の瞳は黒く染まり、一片の光さえ消え失せていた。


『もういいんだ』


 全てを投げ打ち、彼女は言った。

 その姿を見て面食らったような顔をした影は、やがて、口元を愉悦に歪ませていた。


『……面白いね。うん、君って面白いよ。何だか、今の投げやりなティアにも似てる気がするね。――だから、アタシが手を貸してあげる』


 影はそう言って、手を差し伸べる。あまりに軽々しく、落ちた紙切れでも拾うように。


『好きな願いを言ってよ。アタシがそれを、叶えてあげる』


 それはまるで、悪魔のような文句だった。

 脅迫にも似たその言葉を前に、六花は言う。


『……もう、何も要らない。どうせ全部壊れて、失くすんだから。――あぁ、そうだね。だから私は、もう何も要らない。全部私から切り捨ててしまえば、楽になれるかな……』


 その言葉を零した瞬間、彼女の瞳から透明の滴が落ちる。それは六花が人であった、最後の瞬間だったのかもしれない。


『その願い、聞き入れたよ』


 そして黒い影が、少女の身体を覆う。瞬間、彼女を呑み込んだ濁流の顎は、神の使いを前にしたかのように切断された。


     *


 ――嫌なことを、思い出した。


 それを振り払うように、六花は蒼汰を切り裂いた。

 自分はもう、カレンデュラの物。それ以上でもそれ以下でもない。過去のことなど、もうどうでもいい。それすらも、彼女は切り捨てたはずなのだから。

 目の前の七峰蒼汰とは、この上なく似ている。どちらもが、自分という存在自体を他者に依存して成り立っている。


 だと言うのに。

 どうして、彼の眼には、光がある?


 それが酷く不愉快で、気持ち悪かった。

 そんな人間らしい感情がまだ残っていることに気付かないふりをしながら、天宮六花は、闇竜ノ刃を彼の胸に突き刺した。



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