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第一章 弾丸 -2-


 楽しげに笑い合っていた瞬間は、泡のように儚く消えた。

 唐突な事態に場が凍りつく。一度目の爆発音では誰もが呆け、二度目でそれは理解に変わり、三度目で恐怖に染まる。

 まるで波が押し寄せるように、『非日常』が爆心地から伝播する。


「奏、手を放さないで」


 ぎゅっと奏の手を握り締め、蒼汰はベンチから立ち上がって彼女を逃げやすそうな道幅のある通りまで誘導した。驚きにも似た小さな悲鳴がまばらに聞こえてくるが、それ以上慌てて避難するほどでもないようだった。


 ――いったい、何が。


 そう思いながら、いやに冷めた頭で蒼汰は周囲を見渡す。

 遠くで上がる爆炎は勢いを増し、騒ぎはさらに広がっていく。幸い大きなものではないらしく、逃げる人もいるが珍しげに遠くを眺める人の方が大多数だ。


 その様子を見て蒼汰は、三年前の光景を思い出していた。地獄と化し全てが崩れ去った街並み。悲鳴と獄炎が支配する、凄惨な世界を。

 まだこの状況は温い。非日常と日常の境のようなもので、きっと十分もすれば炎の原因も分かって落ち着くだろう。


 しかし、いずれこの場も三年前のようになってしまうのではと、そう思わされるほど一瞬にして平和は崩れ落ちている。


「や、だ……ッ!」


 カタカタと、何かが震える音がした。

 見れば、食べかけのアイスを落とした奏が目を閉じ、耳を押さえてうずくまっていた。


 遅れて蒼汰は気付く。

 あの地獄は、奏にとってトラウマ以外の何ものでもない。それを思い出させるようなこの騒ぎに、彼女が耐えられる訳がないのだ。


 ぼろぼろと涙を零す彼女を見て、蒼汰は自分が何をすべきかを理解した。自分の胸で僅かに焦っていた心臓は、やがて落ち着きを取り戻していく。


「……大丈夫だよ、奏」


 蒼汰の手が、優しく奏の頭を撫でる。

 優しく、子供をあやすように、彼女の信頼を決して壊さぬように。


「奏はここで待ってて。僕が様子を見てくるよ。大丈夫。きっと、何でもないことだから」


 躊躇うことさえなく、蒼汰はそう言った。

 奏の涙が僅かに止まる。それを確認してから、自分のアイスを手渡して蒼汰は爆心地へと向かって走り出した。奏から引き留める声が出るより先に、それを振り切っていた。


「事故、なのか……?」


 走りながら何度か吹き上がる火炎を視界に納め、蒼汰の中に疑問が浮かぶ。

 逃げ惑う人々はおそらく事故だと大半が思っているはずだ。事実、立ち止まって燃え上がる炎を携帯端末で撮影している者もまだいるのだ。


 火炎の位置も駅前とは正反対。今の時間帯ならそこに人通りは少ないはずだし、詳しい状況を理解している人はもしかしたらいないのかもしれない。


 誰もが火災だと思っている。しかし、事実を知る者はいない。

 だからだろうか。何故か、蒼汰にはこれがただの火災には思えなかった。もっと別の何かであると、脳の奥で誰かの声が響く。

 残る選択肢の幾つかを検証しながら、蒼汰は一つの仮説を得る。


「竜が、暴れてる?」


 その可能性は否定できないはずだ。何の道具も無しに彼らは火を吹き、空を舞う。それは今しがた見ていた大道芸でも確認している。

 原因は分からない。この島での竜との共生は確かに成功している。それでも、こうして吹き荒れる火炎の原因が蒼汰にはそれ以外思いつかなかった。


 逃げる人々の波を掻い潜っていけば、次第に人はいなくなった。危険だから遠ざかっているという雰囲気でもない。もしかすると、これも竜の特異な力の影響だろうか。

 肌に刺さるような熱さが、その圧を増していた。夏の暑さなどではなく、燃え盛る炎によって空気が熱せられているのだろう。ざらついたような、嫌な熱さだ。


 角を曲がり、ざっ、と地面を踏み締めた。

 そして、蒼汰の顔が驚愕に染まる。


 そこにいたのは、一匹の竜だった。

 だがそれは、先程駅前で大道芸をしていたものとは明らかに違った。


 大きさは三メートルを超えるだろうか。ダンプカーと正面衝突しても耐え抜きそうなほど筋肉が張っている。人間などその太い肢で払われただけでミンチになってしまいかねない。


 そして何より、黒かった。

 青く美しい他の竜と違い、この竜は禍々しい漆黒に塗り潰されいる。

 太く鋭い双角をぎらつかせ、真っ黒な爪は一歩を踏み締める度にアスファルトを砕く。その身を覆う鱗はどす黒く染まり、眼は虚ろに赤く光る。


「これが、竜だって……?」


 ――共に生きてきたあの知性豊かな彼らと、この化物が、同じ……?


 理解を拒みたくなる光景に硬直する蒼汰だったが、黒い竜は化物らしく生気のない瞳で彼を捉えた瞬間、咆哮を上げた。

 まるで、目につく人全てを討ち滅ぼさんとしているような。

 どこか俯瞰的に身体から離れていく心が、ただ漠然とした理解を得る。


 この島には表向きの技術保全とは違う裏の面――竜との共生という目的があった。

 だが裏の裏は表とは限らない。ただ、それだけの話。


「がぁ……っ」


 その漆黒の竜の唸り声を聞き、ぞくりと、背筋が凍る。

 自分が今どれだけ無謀なことをしているのか。それをようやく認識して、吐き気すら感じた。


 ――このままじゃ、殺される。


「それは、駄目だ……ッ!」


 竦んだ体に鞭打つように、蒼汰は声を絞り出した。

 奥歯を折れそうなほどに噛み締めて、蒼汰は全力で走り出した。

 たとえ何があっても自分は生き延びなければならない。奏を護らなければいけない。

 事態への理解など二の次だ。そんなものよりも大事なことがある。

 ならば、蒼汰が取れる選択肢は一つ。――ギリギリまで竜を引きつけながら逃げて、奏のいる駅から離れることだ。

 黒い竜の方は蒼汰の思惑など気付こうともしないのか、あっさりと蒼汰を追いかけて来てくれた。このまま走れば少なくとも奏に被害は及ばない。


 そうなれば今度の問題は、蒼汰が逃げ切れるかということになる。

 そもそも三メートルを超える巨躯を相手にしているのだ。これだけ体格差があれば歩幅の違いが致命的になる。幸いというべきか黒い竜には走る力――もしくは走ろうとする思考――がないらしく、追いつかれてはいない。だが竜が一度火を吹けば、蒼汰など一瞬で焼き殺されるような距離しか開いていない。


 だから必死に駆ける。目的地などありはしない。


 地面を蹴る。息を吸う。地面を蹴る。息を吐く。


 ただ無心にそれを繰り返した。余計なことを考えるだけのゆとりはない。背後には何度も炎が迫っていたからだ。どうにか右へ左へ蛇行することで躱せているが、それがいつ失敗してしまうか気が気でなかった。

 息が上がる。竜の吐いた炎のせいで辺りに熱気が立ち込めていて、息を吸う度に喉を裂けそうなほどの痛みが走る。煙で咳き込まずにいるだけ十分だろう。そんな真似をしていれば足が止まって、即座に焼き尽くされる。


 足がだんだん重くなって、それと一緒に思考力が根こそぎ削られていくような感覚があった。短距離だとか長距離だとか、そんな理屈を無視した無茶な走り方に身体が悲鳴を上げている。


「――しまった……っ」


 だから蒼汰は、そうなってから初めて自分の失態に気付いた。

 自分が逃げているのではなく、ただ追い詰められていただけだということに。

 辿り着いたのは、駅から歩いて五分という近さの家電量販店の立体駐車場だった。平日に電機屋に来る人はほとんどいないようで、あるのは通勤の駐車場代わりにしている陰に覆われた数台の車だけ。ここに上って来てしまった時点で蒼汰に逃げ道などなくなっていた。


 背後に重い気配。慌てて振り返った先には、涎をだらだらと垂れ流し、その身体に反して真っ白い牙を輝かせた竜がいた。


 ――逃げる? どうやって?


 既に蒼汰は完全に詰んでいた。ここからの退路などある訳がない。飛び降りたとしてもこちらは致命傷で、竜は大した傷もなく蒼汰を喰らうだろう。


 グルルグォオオオ――……ッ!!


 地鳴りにも似た竜の雄叫びが蒼汰の鼓膜を突く。思わず耳を押さえてうずくまってしまう。

 打開策は見つからない。ただ目を閉じ、漫然と死を待つだけの蒼汰。

 だが、その諦観を破壊する声がした。



「市民から危機を遠ざけたその意気やよし、じゃな」



 ふざけた口調の、幼い子供の声だった。

 しかしその直後、暴風としか言い表せない衝撃波が蒼汰の身を襲う。黒い竜の呻きのような声が聞こえて、ずしりと何かが倒れるような別の振動が伝わった。

 こんな状態で目など開けるべきでないのは分かっている。だが、いったい何が起きたのかを知らずに済ませる訳にもいかなかった。


 恐る恐る目を開けた先にあったのは、美しい、蒼穹のような髪だった。

 長い、どこまでも澄んだ大空に似た蒼い髪が風になびく。身を包むのは真っ白いワンピースだけで、背はとても小さい。せいぜい七歳の幼い子供だ。

 だと言うのに、その美しさは子供らしさなど微塵も感じさせない、圧倒的なものだった。ただただ、蒼汰は強く惹きつけられる。


 海の水面のような紺碧の双眸は、()()()()()黒い竜を怯える様子もなく見つめていた。


「ふむ。無事じゃったか?」


 黒い竜が動かないことを確認したのかそれから視線を外すと、作ったような低い声で彼女は蒼汰に笑いかけた。

 おかしな言葉遣いだとは思った。しかし目の前に広がる光景を前にすれば、何がおかしくて何が正常なのかなど、もうどうでもいいことのように思えた。――目の前の少女が、黒い竜をねじ伏せていたのだから。


「君は、いったい……」


「尋ねているのは名前ということで良いのか? わしの名は、レシュノルティア・ブルー。長いからティアとでも呼ぶが良い。よろしく頼むぞ、少年」


 ブルー。その名を聞いて、蒼汰はあることを確信した。


 この島に住む竜は皆、ある一つのファミリーネームを有している。それは彼らが元々いた世界に苗字という概念が存在せず、こちらの世界に帰属するという意味を込めて竜全体で同一のものを付けるようになったからだ。

 それが『ブルー』だ。すなわち、彼女――ティアは間違いなく竜であるということになる。


「そ、そうか。僕は七峰蒼汰だよ。――それでティア。君は本当に竜なの?」


 普通に挨拶を交わした蒼汰だったが、しかしそれでも信じられなかった。

 自分よりも遥かに小さく、幼くすら見える彼女が竜で、しかもこの大きな黒竜を撃退したのだ。今さらではあるが、自分の感覚の方を疑ってしまうのも当然だろう。


「何じゃ、もちろんこの身体は仮初じゃぞ。竜らしい本来の姿が見たいと言うなら変身を解いてやっても構わんが――自分で言うのも何じゃが、この黒い竜の何倍も恐いぞ?」


「え、遠慮しておくよ……」


 不敵に笑うティアに蒼汰は乾いた笑みで返しておくことにした。少し気になる気もしたが、それよりも重要なことがある。


「今の黒い竜は何なの……?」


「ふむ。その質問は至極まっとうじゃし答えてやりたいのは山々なんじゃが――」


 あどけないままに渋い顔をして、ティアは言う。


「ちょっと走れ。死ぬぞ」


 ティアの言葉の直後だった。倒れ伏していた黒竜が、咆哮と共に跳ね起きたのだ。


「倒したんじゃないの!?」


「わしとて竜じゃぞ? 竜が同じ竜を拳一つで倒せると思っておるのか?」


 きょとんとするティアの横を走りながら蒼汰は叫ぶ。


「そもそも、こんな場所で本気で戦い合ったらビルごと倒壊して大惨事じゃぞ。こんな場所に逃げ込んだのはお主なのじゃから、大人しくついて走れ」


「あぁ、そうだね。僕が悪かったね……」


 なぜ命の危機に瀕した人間の焦りを理解しないのか、と嘆息してしまいそうになった蒼汰だが、しかしティアのおかげで多少の冷静さは取り戻せた。これが狙いだったのかは知らないが、ティアには感謝しなければならないだろう。


「……見事に出入り口を塞いでおるな。奥まで引きつけてからでないと外に出られんぞ」


「こんなところに逃げ込んだ僕の責任かな」


「駅前から遠ざけただけ優秀じゃ。さっきはわしもああ言ったが、もう少し誇っても良いぞ」


 慰めるような口調ではなかったが、それでも蒼汰の心は僅かばかり軽くなった。随分と自分は簡単のようだ、と少々蒼汰は自嘲しそうになる。


「それで、もう一回聞くけど、あの黒い竜は何なの。何が目的でこんなことを……」


「……ふむ。ここまで見てしまったお主には隠し通せぬじゃろうな。仕方なしに話すが、他言は無用じゃぞ。たとえそれが、身内であってもじゃ」


 逃げ切るのではなく、一歩ずつ踏み潰すように歩く黒竜を引きつけつつ走る中で、ティアは全く余裕そうに語り始めた。


「元々我ら竜がいた世界では竜と人は全面的な戦争をしておった。じゃが世界は崩壊し、我らはこちらの世界に逃げ込んだ。それはお主も知っておろう? そして、そもそも我らの世界が崩壊した原因がその戦争だったのではと考えたわしらは、こうしてこちらの世界では手を取り合おうと考えた訳じゃ」


 全てをティアの口から語らせずとも、蒼汰は察した。

 ティアのようにそう考えない者もいたと、そういう簡単な話だ。元の世界で全面戦争をしていた相手を、どうして許して共に生きられるのか。反感や、あるいはこの世界での人間を滅ぼそうとする竜がいても仕方がない。それこそが、当然の反応と言うものかもしれない。


「我らは忠誠の証にその身を青く染め、逆に彼らは反逆の意を込めその身を黒く塗った。大方あの黒竜はこの島で得られる人工エネルギーを拒んだ結果、飢餓にでも狂ったのじゃろう」


 ティアの言葉には、どこにも感情が感じられなかった。蔑みなどもなければ、同胞への悲哀もない。ただ事実だけがそこにはあった。

 そのおかげか蒼汰の理解も早かったが、どうしても悲しみを感じざるを得ない。まるで紫煙のように、空しさのようなものが蒼汰の胸に残る。


「――と、そんな話に興じている場合ではなかったな」


 駐車場を駆け抜けて竜の横をくぐろうとした蒼汰たちだったが、それを見越されていたらしく黒竜はその場で立ち塞がっていた。


 状況は改善されたどころか、むしろ追い込まれていた。

 鈍く輝く牙をその少女に突き立てんと、黒竜が唸りを上げる。


「危ない!」


「心配は要らん」


 ティアは臆する様子もなくただ中空に手を翳した。

 それだけで黒い竜の動きが止まった。――いや、黒い竜の牙が、見えない壁のようなものに防がれているのだ。


 これが、竜の力だ。


 彼女らは元々外界の存在だ。故に竜は()()ではなく、()()から世界に干渉することが出来る。


 例えばそれは、チートを駆使したゲームのようなもの。摂理(ルール)を無視して、好き放題事象を改変できるのだ。運動量も熱量も何もかもが、彼女たちの掌の上にある改竄可能な情報でしかない。

 現にティアは質量保存を無視して人の姿をしているし、大道芸の竜だって火炎を吹く器官がある訳でなく、脳から世界を改竄することによってそこに炎を生み出していた。

 そういう、まさしく規格外の存在なのだ。


「同族のわしを喰らおうとは、見境さえなくなったか……。そうなる前に共生の道を選べば良かったものを」


 何かに後悔するような瞳で彼女は竜を見据えた。

 蒼汰は気付けなかった。――その瞳の裏に、紛うことなき殺気が満ちていたことに。

 しかし黒竜はそれに気付いたらしい。突然虚空に向かって炎を吐いたかと思えば、瞬く間に辺りに黒煙が立ち込めた。


「むう……。逃げられたか」


 煙の意図を即座に理解した少女は、軽く腕を振る。それだけで巻き起こった風が黒煙を晴らしたが、あの巨大な竜はもうどこにもいなかった。

 逃がした。そうティアは考えているようだが、蒼汰からすればそれは無事に生き延びられたということになる。それだけでも十分すぎる結末だった。


「まぁ良い。――お主は無事じゃな?」


「ありがとう、おかげで助かったよ。ティア」


 小さく蒼汰は礼を返し、少し考え込んだ。訊きたいことは山ほどあるし、どれから尋ねるか、場所をどこに移すか。そんなことを蒼汰は考えていたのだ。


 しかし。


「礼は要らんよ、蒼汰。さて、お主は何か訊きたそうにしておるが――全て却下じゃ。お主も下手にここに残って警察などに尋問されると時間を食うぞ。駅前に誰かを待たせているのならすぐに離れた方が良い。ではな」


 蒼髪碧眼の少女は、くるりと背を翻して立体駐車場から飛び降りた。蒼汰が引き止める暇など僅かたりともなかった。

 竜であるならきっとこんな高さなんて気に留めるまでもないのだろう。追いかけるのも、蒼汰には無理そうだ。


「何かもう、色々無茶苦茶だな……」


 苦笑いと共に、蒼汰はティアが消えた方向を眺めていた。



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