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第四章 血刀 -5-


 カレンデュラと六花の後ろにいる奏に、傷はなかった。鎖で縛られ天井から吊るされてはいるが、ひとまず安心していいだろう。


「……よく来られたね。ティアは呼んだけれど、蒼汰くんを呼んだ覚えはないのに」


 歓迎の意志を表すように、六花は手を叩いていた。


「下にたくさん特課の人がいたでしょ? カレンの力で結界が張ってあってさ。私たちとティア以外の出入りは不可能になってるんだよ。どうして、蒼汰くんがいるのかな」


「……僕が人じゃないから、でしょう」


 どうせ分かっているくせに。そう思いながら蒼汰は答えた。


「しかし不思議なものですね。人払いなんて便利なことも出来るんですか」


「ほら、最初にパトロールしたときに、声を周囲に聞こえさせないようにしていたでしょう? あれの亜種。ただしこのタイプだとカレンくらい人を喰らっていなければ作れないけどね。――あぁ、実はカレンが見つからなかったのも、私が情報をリークしていた他に、この結界を使ってたからなんだよ」


 六花は即座に種を明かした。それは余裕を見せつけるという理由以上に、もう一つの意味が隠されていることを蒼汰は言われずとも理解する。

 助けは来ない。

 自分とティア以外の手を借りることは不可能だということだ。


「……六花さんが、カレンデュラの契約者だったんですね」


「君も、色々事情があったみたいじゃない。隠し事はお互いさまでしょ」


 ニコニコといつものような笑みを六花は浮かべていた。――それが、サジの胸を貫いた後だと言うのに。

 ガチリ、と。撃鉄を起こすように蒼汰は思考を切り替えた。心臓が冷え切っていく。鼓動はそれなりに早く打っているのに、全身の温度はまるで上昇した感じはなかった。


「六花さん――いや、天宮六花。奏を、返してもらうよ。僕の全てを懸けてでも」


 銃口を、六花の眉間へと向ける。


「……交渉決裂ってことでいいのかな、ティア」


「そうか。この期に及んでまだわしの言葉が必要か」


 蒼汰の握る銃となったまま、ティアは呟いた。


「答えなど決まっておるじゃろう。――地獄へ落ちろ」


 敵意と殺意に満ち溢れたティアの声が、重く木霊する。

 ティアの返答にため息をついて、六花はカレンデュラの肩を叩く。


「カレン。ティアはまだ仲間にならないみたいだから――ここは叩き潰して、その後で夏凪奏の解析に移ろう。そうしたら、ティアは仲間になってくれるから」


「じゃあ今はティアと、戦っていいの? 本気のティアと、本気のアタシが、全力で!」


 嬉々とした様子でカレンデュラは叫ぶ。刹那の快楽に溺れるような、危うく、そして御しがたい力を滾らせて。


闇竜ノ刃(ダーカー・ブレイド)


 六花の呟きに呼応するように、カレンデュラの全身が黒い霧に覆われ、いつの間にか中身を失ったそれが彼女の手に吸い込まれていく。

 霧はそこで圧縮されるように形を作る。


 一振りの刀だった。

 漆黒の刀身に、闇色の拵え。全てを黒で塗り潰され、それは禍々しく輝いている。


「全てを断ち切るという願いを具現化した姿だよ。――さぁ、カレン。思い切り、好きなだけ切り刻んでいいよ」


 そっと撫でるように刀身に指を這わせてから、六花は正眼にその刀を構えた。


「ティア! ティアと戦えるなんて夢みたいだよ!」


「そうじゃな。貴様を屠る日が来ることを、わしも夢見ておったよ」


 ティアの声に合わせて蒼汰も引き金を引く。

 銃声が、そのまま開戦ののろしとなった。

 連なって放たれた弾丸は、吸い込まれるように六花の眉間と右肩へと向かう。

 しかし。

 六花が袈裟に一度斬っただけで、両の弾丸は真っ二つに断ち切られ、あらぬ方向へと飛んでいった。


「な――ッ!?」


 ティアが言葉を失くす。

 それも当然だ。蒼汰とティアの生み出した蒼竜ノ弾丸は、あらゆるものを撃ち抜く。横から弾かれたり躱されたりすることはあっても、正面から競り負けるなどあり得ない。


「だってだって、ティアが弱いんだもん」


 退屈そうな声が、六花の握る刀から聞こえる。


「どうしてそんなに弱くなったの? 昔はあんなに強かったのに!」


「貴様が人を喰らい過ぎただけじゃろうが……っ」


 ティアは呻く。それは、この一幕だけで彼我の実力差をはっきり理解してしまったからだ。


「それだけじゃない。サジも感じてたみたいだけれど、ティアは全盛期よりも遥かに力が落ちてる。――きっと、蒼汰くんを維持しているせいかな」


「――ッ」


 六花の言葉に、ティアが息を詰まらせたのを蒼汰は確かに感じた。


「契約で得られるエネルギー全てを消費して、誰にも見分けることの出来ない完全な『生きた人の肉体』を生成し、維持する。そんなふざけたこと、ティアほどの竜でなければ出来やしないよ。でもそれは、ティア自身を縛る枷になっている」


「――じゃあ、こいつを殺せばティアは全力を出せるの!?」


 狂気に満ちた声が蒼汰の鼓膜を叩く。


「そうだね。――蒼汰くんを退場させれば、色々楽になるかも」


 そう言った六花の瞳に映る殺気が、一瞬鋭さを増した。

 刹那、蒼汰の胸に六花の刃が突き刺さった。

 反応する余裕さえ与えず、一撃で絶命たらしめる。


「蒼汰くん!?」


 奏の悲鳴が聞こえる。

 ずるりと刃が胸を抜けると同時、まるで噴水のように血が噴き出した。

 ばちゃばちゃと辺りに紅く鉄臭い水たまりを作り、蒼汰が沈む。


 だが。

 銃口から溢れた光の粒子が蒼汰の胸に渦巻き、その傷を塞ぐ。まるで時間を巻き戻したかのように、貫かれたことで脈動ではなく痙攣をしていた心臓が、正しい鼓動を取り戻した。


「……大丈夫だよ、奏」


 胸に残る痛みの残滓に耐えながら、蒼汰は奏に笑みを向ける。

 立ち上がり、銃を構えた。


「僕は死なない。奏を、護るから」


 銃声とマズルフラッシュは、血流が戻ったばかりの脳にいやに響いた。

 流石に目の前で再生する様を見て動揺したか、六花はその銃弾を斬らずに後方へ蛇行しながら躱していた。


「不死身か。人を作るどころかその生死までをも操るだなんて、神を冒涜し過ぎじゃないかな」


「……それを、あなたが言うのか」


 歯をきつく食いしばる音が鼓膜を内側から震わせる。

 硝煙の向こうに映る六花の姿を、ただ睨み据える。


「自分の目的のために誰かを殺す。そのことに何も罪悪感を抱かないあなたが」


「あぁ、サジのことかな。――それとも、カレンがやった大災厄のこと?」


 どくん、と、心臓が胸の中で大きく跳ねる。

 平然とそう答えられる六花の神経に、蒼汰は怒りが溢れそうになるのを感じた。

 自分がティアによって生み出されたと知ったとき、奏に感じたものとはまるで異質だった。あの行き場のない苦しさはなく、ただ目の前の少女へ衝動的に弾丸を撃ち放ちたくなる。


「大災厄は関知の外。昨日、蒼汰くんがカレンに襲われたのと同じ、彼女の気まぐれだよ」


「……サジさんの胸を貫いたのは?」


「計画の邪魔だったからだよ。確かに、あまり誉められた行為ではないね。――でも、竜本来の在りようを忘れて人と馴れ合っているんだ。処刑されたって文句は言えないでしょ?」


「……黒竜と一緒にいるあなたが、よく言えるね」


「私は人じゃなくて、カレンの物だからね」


 一瞬、六花の声から温度が消えた。

 恐ろしいほどの寒気が蒼汰の背中を這い回る。その正体を、蒼汰は正しく理解していた。


 ――これは、同族嫌悪だ。


「どういう意味?」


 尋ねる蒼汰に、しかし六花は人差し指を唇に当てて答える。


「お喋りしに来た訳じゃあ、ないでしょう?」


「……確かにそうだね」


 小さく、呟くように蒼汰は言う。

 静寂。

 先に動いたのは、蒼汰だった。

 地面を駆け抜け、六花が刀を振り抜くと同時に宙へ跳び上がる。呼吸だけでタイミングを合わせ、ティアの力で足元に生み出された空気の盾を蹴って、頭上の死角を取る。


「――そんな小手先の技で、今さら私を止められるとでも?」


 しかし、照準を向けると同時に六花も垂直に跳んで迎撃に向かう。

 明らかに不利な体勢でありながら、六花のその斬撃は蒼汰に躱す余裕さえ与えなかった。

 ティアが生み出した透明な盾をまるで紙くずのように切り捨てて、その凶刃は威力を衰えさせることなく蒼汰の右腕を斬り飛ばした。

 血飛沫が舞う。しかし切り放された手は粒子となって消え、即座に再生が始まる。


「あなたこそ、これで終わりだと?」


 宙を舞う銃を左手で掴み、蒼汰はそのまま引き金を引いた。幻肢痛にも似た右手の痛みを無視して、片手だけで六花へ照準を定める。

 しかしカレンデュラは六花の意志を超えて動き、全ての銃弾を斬り伏せてみせた。


「最高だよティア! この血の臭い! 殺気! 戦ってるって感じがするよね!」


「ふざけおって……ッ」


 毒づくティアの声を聞きながら空中で一回転し、蒼汰は地面に足をつく。

 右手に残る幻の痛みを堪え、蒼汰は銃を左から右に持ち替える。両手で構えた方が命中率は上がるが、今は構えを崩してでも六花の動きに追い付く方が先決だ。


「じゃあ次は私から行かせてもらおうかな」


 トンと六花はつま先で地面を叩く。

 瞬間、一足飛びで彼女が間合いを詰めた。

 火花と共に激しく耳障りな金属音が響く。幾重にも重なり迫る斬撃を、蒼汰はどうにか銃身で刀の腹を弾くように往なしていた。


 蒼汰が契約によって得た能力は『撃ち貫く』ことに特化し、その弾丸は受け止められてもなお威力を衰えさせず突き進む。言うなれば、蒼汰の銃弾には『絶対貫通』能力が備わっている。

 同様に、おそらく六花の刀は『断ち切る』ことに特化している。『絶対切断』とも言えるその刃先に触れれば、いかに竜の肉体といえども銃となったティアは一刀両断される。

 だが、銃を持つ蒼汰が相手の刀の腹を払い続けるというのは、一切反撃の余地がなくなっていることを意味する。僅かな隙があっても、そこから銃を構え直して引き金を絞る時間はない。


 なす術のない蒼汰の背中が、ついに何かに当たる。壁の代わりの、強化ガラスだ。

 これでもう後ろにも下がれない。


「遅いよ」


 声と同時、何かが視界の端で宙を舞う。

 真っ赤な何かを散らせるそれは、二の腕から断ち切られた、蒼汰の左腕だった。

 遅れて、痛みが爆発した。


「――っがぁぁぁあああ!?」


 認識が遅れれば、再生が遅れる。そうなれば、幻ではない痛みが襲うのも道理だ。

 その場に膝をつき、蒼汰が痛みに絶叫する。ティアの力で再生されてもなお、その痛みは幻覚となって残り続けた。

 痛みが思考を遮ったせいか、ティアの銃化が解け、元の蒼い髪の少女の姿が現れる。心配そうに、そして庇うように、彼女は六花と蒼汰の間に割って入っていた。


「――ティア。もう分かったでしょう? 君と蒼汰くんじゃ、私とカレンには勝てない。大人しく諦めて、仲間になってくれないかな」


 六花の言うことは、何も驕りではなかった。

 事実、蒼汰はこの戦いで何度も死んでいる。ティアによる再生があるからどうにかなってはいるが、もしも蒼汰が本当に人間だったらとっくに終わっている。

 対して蒼汰は傷一つ与えられていない。力の差など火を見るより明らかだ。


「早くアタシと遊ぼうよティア! 人間を殺して、その数を競って! 前の世界じゃそうしてたじゃんか!」


 ティアに合わせるように刀から黒い少女へと姿を変え、カレンデュラは呼ぶ。


「……前の世界は、そうじゃったな。人と争うことが正しくて、彼らを殺すことに罪の意識を感じたことなど一度もなかった。あのときは、全ての人間が害悪だと思っておったよ」


 差し出されているカレンデュラの手を見つめたまま、ティアはそう言った。

 手に応えるでもなく、しかし、まだ拒みはしない。


「こちらの世界に来てわしは戸惑った。飢餓で苦しむわしらに、手を差し伸べてくれた人間に。異種族であるわしらに対し、敵対ではなく融和を持ちかけた人間に。――もしかしたら、わしが屠った者の中にも、そんな優しさに満ちた者がいたのではないか。そう思うと急に自分がしたことが恐ろしくなった」


 ティアの声が、微かに震える。


「じゃから、わしは人を護る道を選んだ。自らの罪と向き合い、これ以上の犠牲を出さぬ為に」


 握り締めたティアの拳から、一滴の血が零れる。食い込んだ爪が、そのやわらかな掌に傷を付けていた。


「――たとえ蒼汰や奏を危険な目に合わせるとしても。わしは貴様の手だけは取れんよ、カレンデュラ・ダーク。今なお血で染め続ける、その手だけは」


 差し出されたカレンデュラの手を、ティアは叩く。

 もう二度とその手に触れることはないという、明確な意思表示だ。


「……ねぇ、どういうことなの、ティア」


 しかしその事実を受け止められないのか、カレンデュラは呟くように言った。

 その顔からは、一切の感情が途絶えていた。

 叩かれた感触を確かめるように、その手を何度も握っては開いている。


「いつもいつもティアはアタシに笑ってくれてた。一緒にご飯を食べて、一緒に水浴びして、同じ戦場を駆け回ったじゃんか。取った首の数だって、アタシはまだ一度だって勝ってない。次は勝つってアタシが宣言する度に、『まだ負けんよ』って言ってたのは、ティアでしょ?」


 それは、カレンデュラにとっては信じがたいほどの裏切りだったのだろう。

 今は拒んでいるが、いずれは元に戻ってくれる。きっと彼女はそう信じていた。

 ただ誰よりも信頼していた友人が自らの元を離れ、牙を剥いているという事実を呑みこめない。その感情だけは、人だとか竜だとかは関係ない。


「貴様が、青竜の側に着いてくれれば良かったんじゃがな」


「意味が分からないよ。どうして、どうして人を殺さないの? じゃないとお腹が空くじゃない。向こうの世界みたいに普通にご飯が食べられるならまだしも、こっちじゃそれが出来ないんだよ? 強者が弱者を喰らうことに、何を躊躇っているの?」


 ピシリ、という音を蒼汰は確かに聞いた気がした。

 それは物質的なものではなかった。

 それは、決別の音だ。


「……分かった。今のままじゃ、ティアは仲間になってくれない」


 カレンデュラの姿が霧に包まれ、また六花の手元に集合して漆黒の刀を形作る。


「あぁもう、イライラするなぁ……っ。どうして、こんな風になっちゃったんだろうね」


 何かが壊れたような声だった。

 もうどうしようもない、火のついた爆弾にも似た手のつけられなさを感じた。


「――あぁ、そうかそうか。人と契約したせいで、変わっちゃったんだね」


 何か納得したような明るい声だった。けれど、どこか狂った様子は残されたままだった。

 その声に、ぞくりと背筋が凍るのを蒼汰は感じた。

 がくがくと、これまで幾度となく向き合ってきた相手を前にして、手が震え始める。


「なら解放してあげる。ティアを縛る鎖から、アタシが自由にしてあげる」


 彼我の実力差を感じ取ったとか、そんな理屈的なことではなかった。

 ただ、一匹の黒竜の逆鱗に触れたのだと知って、本能がけたたましいほどに警告を鳴らしているのだ。


「六花。ティアの契約者二人とも、殺すよ」


「いいよカレン。――私の全てはカレンの為に」


 直後。

 幾重にも血飛沫と火花が重なり合った。



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