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第四章 血刀 -4-


 朝の日差しが降り注ぐ、この島で唯一の展望台。

 《セントラル・ブルー》最上階・展望デッキ。

 いつもは大勢の人で朝から夜まで賑わっているその場所だが、今はほとんど人気(ひとけ)がなかった。

 いるのは、たったの三人――いや、二人と一匹の竜だ。


「六花六花! これでティアが仲間になるんだよね?」


「焦らないで、カレン。まだ気が早いよ。そういうことが小さな失敗を生むんだから」


 気を失った少女――奏の手を鎖で縛り、まるで聖者の(はりつけ)のように吊るしながら、六花はカレンデュラに笑みを向ける。


「むぅ……。でもでも、失敗したのは六花の方だよ」


 身を包むゴスロリ調のドレスの裾をはためかせて、退屈そうにうろうろしているカレンデュラだったが、頬を膨らませて立ち止まった。


「昨日の夜、アタシのことをカレンって呼んだ。他に人がいるときは他人のふりをするっていう約束だったのに」


「そうだね。おかげで今朝になって、サジに感づかれちゃったし。――でも、もうサジタリア(かくれみの)は必要ないから。殺せば何の問題もない」


 冷たく彼女はそう言った。今まで特課の一員として過ごして来た時間など、どこにもなかったかのように。


「私には、カレンだけいればいいもの」


 そう言って笑う彼女の姿を他者が見れば、あまりにも危うく見えただろう。けれど、この場にそれを告げる人物はいない。




 うっ、と息を詰まらせるような声が漏れた。

 瞼をうっすら開けると、誰かの手が奏の頬に触れた。


「お目覚めの気分はどう? 夏凪奏」


 状況が呑み込めていない奏は、辺りを見渡す。見覚えのある場所だった。確か《セントラル・ブルー》の展望台。そこまで把握したところで、頬に触れたその誰か――天宮六花は話を進めた。


「悪いけれど、君を餌にさせてもらってるの。君を助ける為に、ティアは来る。私たちはティアが仲間になりさえすればいいし、用が済んだら解放してあげるから安心して」


 徐々に事態への理解が追いついてきた奏は恐怖に顔を歪め、鎖をガシャガシャと鳴らす。しかしその程度で解けはしない。つま先もつくかどうかというこの体勢ではなおさらだ、


「もしも、ティアが来なかったら、わたしをどうするの……?」


 一度息を整えて、奏は問いかける。

 こんな状況でもなお喋る余裕があるのは、おそらく相手が六花とカレンデュラだからだろう。如何にもな大男ならまだしも、こんな少女二人ではたとえ縛られていたって実感が湧きづらい。


「殺しはしないから安心して。その可能性も考慮しての作戦だから」


 奏の頬から胸の中央まで指を這わせ、六花はくすりと笑う。


「昨日カレンから話を聞いてね。蒼汰がティアによって生み出された存在だって知ったんだ。すぐにピンと来たよ。君がティアの契約者なんだって」


 ビクっと奏は肩を震わせる。

 契約の内容は人の願望によって定まる。複雑で強力な力を使っているとなれば、それほど人の望みが深いところにあるということでもある。――言い換えればそれは、人のトラウマだ。

 それを分かっていながら、六花は踏み躙るように言葉を続けた。


「君がちゃんと理解しているかは知らないけれどね、これは凄い能力なの。だって、生み出された人形が願望を持ち、竜と契約を結んでいるんだよ? ――もしも効率化に成功して多くの人を生み出せて、なおかつその人形の願望までをも統制できれば、竜の戦力は大きく傾く」


 戦闘を望む契約者を得た竜は、ただの竜を遥かに凌ぐ力を得る。

 そして、青竜が共生する中で黒竜が身を潜めざるを得ないのは、竜の個々の能力は人に勝っていても、明らかに数で劣るからだ。


「君を解析してその能力を自在に操れれば、黒竜は一気に人類に対して戦争を仕掛けることだって出来るかもしれない。そうなればティアもこっち側につくしかない。結局、私とカレンの望みは叶えられるという訳だね」


 カレンデュラから話を聞いて、六花はすぐにそこまで思い至り、それさえ計画に組み込んだ。それはあまりに危険な香りを漂わせている。

 しかし、奏は笑っていた。

 それは六花を嘲るようなものではない。むしろ、自らを嘲笑していた。


「……何がおかしいの?」


「ティアは、来ないよ」


 奏ははっきりとそう答えた。


「わたしも昨日の夜、ティアから聞かされたんだよ。蒼汰くんがティアと契約して悪い竜と戦ってたんだって」


「なら、なおさら来るじゃない。正義の味方なんでしょう?」


「来る訳がないよ。ティアが来るには蒼汰くんが要る。だけど蒼汰くんは絶対に来ない……っ」


 涙を零し、奏は震えていた。


「あんなに酷いことを、全部わたしは蒼汰くんに押し付けた。辛い過去から目を逸らす為に、それを全部あの蒼汰くんの身体の中に押し込めたんだよ。蒼汰くんがわたしを憎むことはあっても、助けに来てくれるなんて絶対にない……っ」


 それは彼を信頼していないという話ではない。

 ただ奏は、自らの犯した罪の重さを知っているから。だからこそ、そう言うしかないのだ。自分が蒼汰に赦されることなどない、と。


「……そう。それならそれで、さっき言ったように君を解析するだけだから関係ないかな」


 六花は冷たくそう言い、奏の胸に触れていた指先を今度は額の中央に押し当てた。


「頭蓋を切り開いてでも、君とティアの契約の構造を暴くよ」


 六花は奏に笑みを向ける。――まるで、墓標に添える花のように。

 死が確実に近付いている。その感覚を奏は知っている。戦いの中に身を置かずとも、三年前にその恐怖は体も心も侵し崩すほどに思い知らされた。

 頭の中に、あのときの光景が蘇る。


 焼け焦げた大地。

 数え切れないほどの瓦礫の山。

 起きた炎は混じり合い、火災旋風となって街をさらに蹂躙していく。


 忘れられない、自分が全てを失った瞬間。

 そのトラウマが蘇って、けれど、奏にはもう震える力さえなかった。


「カレンの為に、死んでくれる?」


 冷たい声がした。――直後だった。



「なら僕は、全力でそれを阻止するよ」



 銃声が轟いた。

 瞬間、両腕を竜のそれに戻したカレンデュラが何かを弾いた。展望デッキを覆う強化ガラスの一枚に穴が開き、衝撃でその全体が真っ白にひび割れる。

 カラン、と薬莢の転がる音がした。


「……た、くん」


 奏の喉からは、小さく掠れたような声しか出なかった。ただ、目から零れる涙が止まらない。


「……来たね、ティア……!」


 カレンデュラは狂喜に顔を染め、その声の主を見つめていた。

 遠く、扉の開いたエレベーターの中で、その少年は硝煙たゆたう銃を構えていた。


「僕は奏を護る。それが僕自身で選んだ、僕の存在理由だ」


 右手には、光り輝く蒼い自動小銃。

 その顔はさながら騎士のように凛々しく、そして猛々しく。

 七峰蒼汰が、そこにいた。



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