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第四章 血刀 -2-


 ありがたく頂いた豪華な朝食を全て平らげて、深々と美海とそのお母さんに頭を下げてから蒼汰は帰路に着いた。あれだけ降っていた雨も、一晩明けたらあっさりと晴れていた。


 蒼汰の足取りは、決して軽くはない。奏と話をするというだけでこれほどに緊張する日が来ることなど、蒼汰は考えたこともなかった。

 けれど、不思議と鼓動は落ち着いていた。まったく何の問題も解決してはいないけれど、思考もクリアな部分を確かに残している。


 奏が自分を生み出した理由は分かっている。大災厄で大事なもの全てを失い、その痛みから逃れる為だ。そうしなければ、きっと今頃彼女の心は粉々に砕け散っていたはずだ。

 何より、彼女がそう願わなければ自分は存在さえしていない。生みの親という表現は年齢的にそぐわないが、仮初とは言え蒼汰が奏に命を与えられたという事実は変わらない。


 だから、蒼汰が抱くのは彼女に対する怒りなどではない。奏にあるのは、感謝だけだ。


 蒼汰の中に怒りがあるとすれば、それはこの理不尽に対するものだろう。

 何故、自分は人間ではないのか。何故、大災厄の日に奏に出会っただけの記憶喪失の少年ではないのか。そうであれば、ずっと幸せでいられたのに。

 事実はあまりに残酷で、無慈悲だ。偽られた過去の方にすがりたいと思ってしまうほどに、自分一人ではどうしようもない。


 だけど。

 きっと、それだけではない。

 自分はただの人形なんかじゃない。ただ奏に作られただけの、可哀想な道化の人形なんかじゃない。


「……だから、証明する」


 そう言葉にして、ぎゅっと蒼汰は小さく拳を握る。

 この胸の奥にある感情が。いつだって、一時だって消えることのなかったこの想いが。決して誰に染められたわけでもない、彼が『七峰蒼汰』である証なのだと。


 そんなことを考えていたときだった。

 撫でるように柔らかな風が吹いた。

 朝とは言え夏らしい暑い日差しの中だ。風が吹けば涼しく心地よく感じるものだ。けれど、蒼汰はその中にきな臭い何かを感じ取った。それは、不快とさえ言っていい。


「ん……?」


 よく注意して、また風が来るのを待つ。

 さほど待たずにもう一陣の風が吹く。

 そして、蒼汰は目を剥いた。



 これは、血の臭いだ。



「――ッ!?」


 唐突な事態に、しかし蒼汰の思考は止まることなくむしろ回転数を上げた。

 風に乗って届くということは風上――それもそう遠くないところにその原因がある。そして騒ぎになっていないということはまだ時間が経っていないか、隠されているかのどちらか。

 慌てて風を辿るように蒼汰は走り出した。

 少し走っては立ち止り、臭いが薄れれば引き返す。そんなことを繰り返した。


 五分ほど走って、蒼汰が辿り着いたのは昨日、カレンデュラと戦った公園だった。意識しなければ分からないかもしれないが、ここまでくれば風がなくとも血の臭いを嗅ぎ取ることが出来た。まだ朝ということもあって、人がいないのも幸いしている。

 より臭気が強くなる方へ探るように足を動かし、周囲の林の中に踏み入った。

 それと同時、ぐにゃりとした感触が返ってきた。何かの草木を踏んだにしては固く、しかし地面を踏み締めたとも思えなかった。

 がさがさと目の前の枝を掻き分け、足元に視線を落とす。


「――ッ!」


 そこにいたのは、一匹の青い竜だった。

 数週間前に襲ってきた黒竜よりもさらに一回り大きく、手足は鉄筋コンクリートの柱のように太い。しかし水面のような青い鱗からはどこか光は失われて見えた。そして、背と胸の中央からだくだくと今なお鮮血を垂れ流している。何かによって貫通されているのだ。

 生々しい傷跡を前にせり上がる吐き気を封じるように、蒼汰は口元を手で覆った。

 竜の姿に見覚えはない。そもそも人の姿に化けていない状態で見た竜など、駅前で大道芸をしているやつか、襲ってきた黒竜しかいない。


 しかしその青い竜の目元に蒼汰は何かを感じた。

 爬虫類らしい眼で、個々を判別できるほどの違いが蒼汰には見出せない。そのはずだったのに、どこかでその眼を見た覚えがあった。

 結果的にただ立ち尽くしている蒼汰に気付いたらしく、その竜は血を吐きながらもどうにか口を開いた。掠れた声で、息をする音と同じくらいに小さな声で。


「蒼、汰……」


 その声を聞いた瞬間、蒼汰はその竜の正体に気付かされた。どんなにか細くとも、その声は聞き覚えのあるものだったから。


「サジさん……ッ!?」


 それは間違いなく、六花の契約竜――サジタリア・ブルーだった。眼元に見覚えがあるのも当然だ。あの豪快に笑う人の顔と、この竜の顔もどこか似ているのだ。

 何かを伝えようと口を動かすが、サジはもう声も出せず、喀血を繰り返した。


「いったい誰が……ッ!」


 何か手当てをしたいのに、どうすればいいのか蒼汰には分からない。手足などの末端であればそこに繋がる動脈の根元を押さえれば済むが、胸を貫通している時点で、体表的な止血はもう意味がないだろう。あるいは、心臓そのものを貫かれてしまっているかもしれない。

 途方に暮れる蒼汰は、そこで気付く。気付いてしまう。


 ――傷が、一つしかない……?


 サジに見受けられる傷は、胸に付けられたそのたった一つの傷だ。溢れ出た血で傷口までは見えないが、おそらく一撃だろう。

 サジは強い。彼自身が自己評価を中の下としていたが、それでも六花と共に何度も手合わせした蒼汰からすれば、彼がたった一撃で敗北するなどにわかには信じられない。

 だとすれば、不意打ちか。しかしサジがそもそもそんな隙を見せるだろうか。

 特課の身内の中にカレンデュラと通じている何者かがいることに気付き、誰よりも警戒していた彼だ。背中は見せるなと蒼汰にアドバイスしたのは、他でもないサジなのだ。

 もしも、そんな彼を背中から刺すことが出来る者がいるとすれば、それは――……



「六花、さん……」



 自分で導き出した答えに、蒼汰は全身が震えるのを感じた。

 昨日からいったい何度蒼汰は驚愕にその顔を染めただろうか。どうにか美海のおかげでパンクした状態から抜け出せたというのに、もう処理するのは限界だった。


 そんな訳ない、と蒼汰は音もなく呟いた。


 自分を特課へ連れていき、六花は毎日のように特訓に付き合ってくれたのだ。先輩らしく優しく蒼汰を導いてくれて、いつもずっと無邪気に笑っていたのだ。

 そんな彼女がカレンデュラの契約者で、もう一人の契約竜であったサジを討ったと言うのか。


「……本当に、六花さんなの……?」


 蒼汰の問いに、サジは小さく、しかし確かに頷いた。


「そんな、そんな訳――」


「気を、付けろ……っ」


 蒼汰の言葉を遮ってまで、サジは言った。

 力も入らず震える腕をどうにか持ち上げて、鋭い爪の一つで蒼汰の後ろを指差した。

 自分の後ろにあったその方角を向いて、蒼汰は言葉を失くした。

 彼が指差したのは、蒼汰のマンションだった。


「六花と、カレンデュラが――……」


 そこでサジは力尽き、意識を失った。

 けれど、その言葉は最後まで聞かずとも問題はなかった。何故なら、その答えはもう視界の中にあったから。

 最上階の角――蒼汰と奏の部屋から、爆炎が吹き荒れた。



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