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第三章 人形 -7-


 声も出ない。頭が理解を拒み、全ての反応を途絶えさせる。

 ただ、周りの全部がやけにスローモーションのように見えた。


「蒼汰――ッ!」


 ティアの叫び声が、どこか遠くで聞こえる。

 痛みはない。ただ、紅い液体と共に身体から何かが流れ出ていく感覚があった。全身を襲うその寒気は、今まで感じたどれとも違う異質な恐怖だった。


 膝から崩れ落ちる。その動きに合わせて、ずるずると胸を貫通していた物体が抜けた。

 生物的な動きを見せたそれは黒い鱗に覆われ、地面と繋がっていた。視線の先のカレンデュラの足元にも穴が開き、鱗のついた棒が繋がっている。

 カレンデュラの竜としての尻尾が、地面を食い破って背中から自分の胸を貫いたのか。そう気付いたときには、もう蒼汰の思考の糸は千切れる寸前だった。


「ただの尻尾だよ? 爪でも牙でもないのに死んじゃうなんて、人間って脆いんだね」


 穴を通って短くそれらしい長さになった彼女の尻尾は、土と共に真っ赤な液体をぼたぼたと滴らせていた。それは紛れもなく、蒼汰の血液だ。

 右手から零れた銃が青い髪の少女の姿に戻る。けれど、その姿さえ霞んでしか見えない。

 心臓も肺も潰されている。もはや死体とさえ言っていいだろう。ここから助かる手段など、人間には存在しないのだから。


「ゴ、メン……」


 喉奥から真っ赤な液体を吐き散らしながら、蒼汰はそう呟く。

 死への恐怖よりもまず先に思い浮かんだのは、たった一人の少女の顔だった。


「奏……」


 最後の最後に彼女を想い、名前を呼んだ。

 その瞬間だった。

 蒼い光の粒子が、彼の胸で渦巻いた。


「ティア。なにをしているの……?」


 カレンデュラの声が、蒼汰の耳に届く。もう死んだはずなのに、確かに頭が働いていて、目も耳も情報を得ている。

 蒼い粒子が数を増し、蒼汰の胸の穴を塞いでいく。溢れ出ていた血は止まり、気付けば、綺麗な肌がそこに生まれている。


 ばくん、と。

 鼓動が取り戻される。


「――ッ!?」


 跳ねるように蒼汰は起き上がり、右手で胸の傷に触れる。だが、そこにあったはずの穴は完全に消え去り、赤子のように綺麗な皮膚で覆われていた。

 冷たい雨が身を叩く。生きている証とも言えるその感覚が戻ってきたことに喜びを感じると同時、何か、知ってはいけないことに気付いてしまったような絶望が穴のあった部分を満たしていく。


「何が、起きたの……?」


 こんな真似が出来るのは、竜であるティアだけだ。そう思って蒼汰は彼女を見つめるが、ティアはただ目を伏せていた。

 まるで傷を受けたことそのものを隠すように衣服が修復される。これはティアが竜の力で直したのだろう。

 きっと胸の傷も同様に治してくれたのか。そう考えて、すぐにそれがあり得ないのだと蒼汰は思い出した。


『いくら竜でも出来んことはある。傷を癒すことはもちろん、ましてや蘇らせることなど』


 他でもない。ティア自身がかつてそう言ったのだ。

 取り戻された鼓動が、早鐘のように打ち始める。


 カレンデュラを前にしたときとも、胸を貫かれ死を悟ったときとも違う。その身を包み、体温も感覚も、全てを根こそぎ奪い去っていくような恐怖があった。

 がたがたと震える指先は、やけに青白く見えた。


「あは。なるほどなるほど! そうか、三年前のあの凄いエネルギーの流れは、そういうことだったんだね!」


 一人納得したように、カレンデュラは声を上げて喜んでいた。まるで、クリスマスにプレゼントを貰った子供のように。

 これ以上、カレンデュラの言葉に耳を傾けてはいけない。

 脳髄のさらに奥から声が響く。けれど、蒼汰はただじっと彼女を見つめていた。

 聞いてはいけない。けれど、どうしても聞かなければいけない気がした。


「すごいよ、すごいよティア! だって――」


「黙れ!」


 噛みつくようにティアが激しい剣幕を見せた。

 だが、カレンデュラは一層楽しげに続けた。



「まさか、人を作るだなんて!」



 カレンデュラの言葉が、蒼汰の鼓膜の上を滑った。

 何を言っているんだろう。そんな風に思った。

 しかし目の前のティアの顔は、それを冗談などで済ませることを許さなかった。

 悲痛。そうとしか言い表しようのない表情で、ティアは口を閉ざしてしまっていたから。


「どう、いうこと……?」


 蒼汰の問いに答える者はいなかった。けれど、考えたくもないのに、自分の頭が勝手にその答えへ誘おうとする。


 ――どうして自分の肉体が再生したのか。

 サジの言葉が、叩きつけるように蘇る。


『まぁ、無機物とか()()()()()()()()()()()、壊れても大した労力もなく直せるぞ』


 信じたくもない可能性が、頭に浮かんだ。

 足元が崩れ落ちるような感覚があった。慌てて足に力を入れようとして、ぬかるんだ地面がぐちゃりと音を立てた。


「ティア……?」


 自分でもその声が震えているのが分かった。それでも、問わずにはいられなかった。答えを聞いてしまったら、もう、戻れないと分かっているのに。


「僕は、何なの……?」


 浮かび上がった可能性は、決して消えなかった。どんどん色濃く、周りの事情につじつまを合わせてしまう。恐ろしい事実が、形を持って蒼汰を呑みこむ。


「僕はティアに作られたの……?」


 蒼汰の泣きそうな声の問いに、しかしティアは唇を引き結んだままずっと目を逸らし続けている。それはどうしようもなく、肯定と同じだった。


 つまり。


 七峰蒼汰は、かつて、レシュノルティア・ブルーに生み出された存在だと。


 彼女はそう告げているのだ。


「流石ティアだよ! こんな完全な人間一人を生み出すだなんて、いったい誰とどんな契約を結んだの!?」


「うるさい!」


 カレンデュラの言葉を遮るように、蒼汰は叫ぶ。


「答えてよ、ティア」


 蒼汰の嘆願も空しく、ティアはただ雨に濡れたまま何も答えようとはしなかった。

 互いの命を預け戦った仲だというのに、降りしきる雨のように冷たい壁の向こうにしか、ティアの存在を感じられなかった。


「……答えは後じゃ。先に、カレンデュラを殺す」


「それこそ後でいいだろ!」


 泣きそうにぐちゃぐちゃに崩れた顔で、蒼汰は大声を出していた。震え始めた体を押さえつけるように自分で自分の肩を抱いていなければ、今すぐにでも消えてしまいそうだった。


「カレンデュラが、契約だって、言ってた。こんな、誰と契約を――……」


 そこまで問おうとして、蒼汰は気付いた。()()()()()()()()


 七峰蒼汰という人間を必要とし、それを生み出そうとして利益を得た人間など、この世でたった一人しか考えられないのだから。


 震える体で、蒼汰は小さく首を横に振った。


 信じたくなかった。

 けれど、もう、事実しかそこには残っていなくて。

 嘘でも何でも、すがれるようなものさえなかった。


「ま、さか……」


 それより先を、蒼汰には言葉にすることが出来なかった。

 頭に浮かんだ、否、ずっと頭の隅にいたその少女は、何よりも蒼汰が大事にしていた存在だ。彼女の為なら全てを捨ててもいい。自分の存在理由は彼女だと、そう、誓った相手なのだから。

 ティアと契約を結び、七峰蒼汰を生み出した者の名前は、



 ――夏凪奏だ。



「嘘、だ……」


 雨音にかき消されるほど掠れた声で、蒼汰は呟く。


 だってそれが本当なら、彼女はずっと、蒼汰を騙して来たということになる。

 しかし、蒼汰にはそれを否定できなかった。

 胸にそっと指を這わせる。そこにあった穴が塞がったという事実は、どうしたって覆らない。


 自分が蘇生したというのは本当で、竜には()()()()()を蘇生することは出来ない。


 だったらもう、この時点で七峰蒼汰は人間ではない。


 ()()()()()()


「……っ」


 喉がカラカラに乾いていた。胸の中で暴れる心臓は、鎖で締め上げられたみたいな激痛に悶え苦しんでいる。

 価値観の全てが消し飛ぶような事実を前に、蒼汰の思考は止まっていた。今なお叫び狂うこともせずに済んでいるのは、僥倖とさえ言えた。


「ねぇねぇねぇ! もういいでしょティア! 早くアタシと――」


「そこまでだぜ、カレンデュラ・ダーク」


 戦いに飢えたようなカレンデュラの言葉を食ったのは、聞き覚えのある男のものだった。


「じきに特課が大勢ここに押しかけるわ。両手を上げて地面に伏せなさい」


 ぐらぐらと揺れる頭でそちらを見れば、そこには、セーラー服に身を包み青い弓を構えた少女が立ってい

た。

 天宮六花と、六花との契約で弓と化したサジタリア・ブルーだった。


「新しいおもちゃかな?」


「退きなさいと言っているの、カレン」


 駄目押しの六花の言葉に、カレンデュラは子供のように舌打ちした。

 やがて興が醒めたと言わんばかりに尻尾が消え、両腕を覆っていた鱗は粒子となって剥がれるように元の華奢な少女の腕へと戻っていく。


「また来るからね、ティア。次は、ちゃんとした契約者を見せてよ?」


 カレンデュラは後ろへ跳び上がるとそのまま林の奥に落下し、闇の中へと姿を消した。


「無事だった、蒼汰くん?」


「怪我がなくて何よりだ」


 駆け付けたばかりで何も見ていないらしい六花とサジが、心配そうに声をかけてくれていた。胸を貫かれ、そして蘇生したことも、彼女たちは知らないようだ。

 けれど蒼汰はそれに答えることもなく、ただ空を見上げた。

 あれほど青く澄んでいた空は真っ黒に染まり、重苦しく汚い鉛の雲に覆われてしまっている。

 それが何かに似ているような気がして、どうしようもなく吐き気がした。


「何なんだよ……っ」


 小さく、呻くような蒼汰の声に答える者はいなかった。

 ただ、そのしゃがれた声だけが黒い空へと呑まれていく。



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