第一章 弾丸 -1-
ブルー・アルカディア。
瀬戸内海に造られた美しき人工島。表向きには、海外への技術漏洩を防ぐべく、内外をまたぐ情報統制を徹底された、政府の作った技術開発保全特別区域である。
内部からの情報発信に制限を設け、島の出入りの検査を執念深く徹底することにより、エンジニアの引き抜きや重要データの窃盗などを完全に防いでいる。その結果、我こそが最先端と自負するいくつもの企業や研究機関、果ては教育施設までもがこのブルー・アルカディアに拠点を構えるようになった。
しかし、表があれば裏があるように。
本来の目的は技術の確保でなく、もう一つの顔が、この島にはあった――
*
季節は夏。
窓越しでもじりじりと肌を焼く陽は、傾いてはいるものの白く輝き続けている。もうとっくに放課後だと言うのに、オレンジ色に染まる気配はない。
そんな中、小走りで校内の階段を駆け降りる影があった。
線の細い小柄な少年だった。特に目立つ部分もないが、優しげで中性的な印象がある。――それが七峰蒼汰だった。
「ゴメン、日直の仕事のせいで遅くなっちゃって」
昇降口に着くや否や、蒼汰は頭を下げた。軽く息を切らしながら、少し不安げな面持ちで謝った相手の様子を窺い見る。
「あ、蒼汰くん」
その声に気付き振り返ったのは、夏凪奏だった。
色素の薄い髪は、肩にかかるくらいの長さでサイドテールにしている。黒く大きな瞳、薄桃色の唇、白磁のように透き通る肌。どれもがきらきらと輝いて見えた。
女子平均よりやや高い身体に威圧感はなく、むしろ折れそうなほど華奢だった。どことなく、脆くも美しいビスクドールにも似た雰囲気がある。
清楚にして可憐。そんな言葉がこんなにもぴったりと似合うのは彼女だけだろう。
「ううん、大丈夫。わたしもそんなに待ってないから」
奏の方に彼が遅れたことを気にした様子はなかった。そんな風にして、蒼汰はいつものように彼女との帰路に着いた。
昇降口を抜ければ、そこにはブルー・アルカディアの風景が広がっていた。とうに見なれたはずなのに、それでも蒼汰は美しいと感じる。
ほとんどの建物の高さは制限されていて、広がる空はどこまでも遠くて青い。何にも染まらない真っ白な雲が、その蒼穹にアクセントを添える。
人工島故の平坦な土地に、森の中のように澄んだ空気。工場や研究機関はあれどもどれもが『世界最先端』を自負するからこそ、大気も水質も一ミクロンだって汚しはしない。
この風景さえもが、技術の証なのだ。夜になれば、山奥で見上げるような満天の星々を見ることが出来る。この時期の天の川など絶景だ。
「――あ、そう言えばさ」
学校を出て少し歩くと、奏がそう言いながらカバンの中から何かのチラシを取り出した。
「駅前にアイスクリーム屋さんが出来るんだって。行ってみない?」
「……うーん、今月そんなにお金ないしなぁ……」
元々蒼汰に貯金などもなく、お金もある事情から供給される微々たるものだけだ。そうそう学校帰りに買い食いする余裕などない。
蒼汰たちは完全徒歩通学だが、家までの道のりとして駅前付近は通る。少し足を延ばせばいいだけではあるのだが……。
「ダメ、かな……?」
「……よし行こう」
しゅんとした様子で上目遣いになる奏に、蒼汰は気付けば首肯していた。――こういうところが月々の暮らしの首を絞めているという自覚はある。自覚はあるが、後悔はない。
「やっぱり、蒼汰くんは優しいね」
「ありがと。でも、そもそもお金の出所は奏も僕も一緒でしょ。そっちこそ大丈夫なの?」
満面の笑みを浮かべる奏に照れながらも、蒼汰は尋ねる。
蒼汰と奏は共に暮らしている。それは恋仲の同棲とかそういう意味ではなく、互いに身寄りを失くした故に支え合っているのだ。――ちなみにだが、もちろん奏も蒼汰も付き合ったりはしていないし、そういう関係性でもない。
財布が同じなのだから節約しなければいけないのは奏も同じ。蒼汰の心配ももっともだろう。
「大丈夫だよー。わたしだって無計画に使ってる訳じゃないし」
ほわほわと笑いながら答える奏の言葉では安心を得られなかったが、まぁいいかと蒼汰は少し諦めにも似た溜息をついた。
「シングルだけだからね、ダブルにしちゃダメだよ。夕ご飯も入らなくなるし」
「……何で蒼汰くんの方が年上っぽいのかなぁ。わたしの方が一個上のはずなんだけど」
どこか不満げに呟く奏にくすりと笑いながら、蒼汰は青空の下を歩く。
夕方とは言え、夏の日差しは歩くだけでもじわりと汗をにじませる。けれど、吹き抜ける風は心地いい。延々とこうして歩いていたいと思うほどに。
それからなんてことはない会話を奏と繰り返しながら、十五分ほど歩く。
先程までは周囲にいたのは同じく学校帰りの高校生ばかりだったが、もう駅に近づいたということもあって顔ぶれは変わってきている。駅に隣接したスーパーから出てきた主婦や、トレーディングカードのパックを握り締めた小学生の姿がかなりの割合を占めるようになってきた。
ただ、それでも島の外とは風景は少し違う。主婦は重そうに袋を抱えたりしていないし、小学生も財布は持っていない。高校生の姿が減っているのも、バス停で学生が長蛇の列を作ったりしないからだ。
その原因は、やはりここがブルー・アルカディアだからだ。無料の自動配送システムや、子供でも管理しやすい特殊な電子マネーの普及、携帯端末からの座席の予約とその数に応じたフレキシブルな交通ダイヤなど、島の外での運用に向けてこの島で様々な技術や手法が実験的に導入されているのだ。
「えっと、アイスクリーム屋さんは……あ、大道芸やってるね」
駅前に着くなり、奏は本来の目的を忘れているのか、人だかりを見つけてはしゃいでいた。それを生温かい目で見守りながら、蒼汰も続く。
奏を含めた群衆の視線の先で、アクアマリンのような色の火炎が吹く。
その元へ視線を落とせば、そこにいたのは、一匹の竜だった。
爬虫類のような体躯。しかし人体以上の巨躯を誇り、身に纏う分厚い鱗は光を受けてうっすらと青く輝いている。四肢はしっかりとアスファルトの地面を掴み、背にはコウモリにも似た薄く鋭い翼を携えている。
コスプレやきぐるみでもないし、この島のAR技術でもない。正真正銘、本物の竜である。
「あぁ、竜の大道芸ね」
蒼汰は特に驚くでもなくそう呟いた。――それは、最早この街では当然の光景だったからだ。
これが、この島――ブルー・アルカディアのもう一つの顔である。
異世界から来たという竜が現れたのは、もう十年以上も前のこと。
彼らは人類以上の知能を有していながら、しかし何故かこの世界でのエネルギーの供給を得られず、衰弱していった。
彼らがこの世界でエネルギーを得る手段は、たった二つ。体内に多くのエネルギーを蓄える人という種と『契約』し、彼らからエネルギーの一部を分けてもらうか。あるいは、そのまま人を『喰らい』全てを奪うか。
だが竜たちは自らの種が絶滅の危機に瀕していようと、後者を拒み続けた。理由は誰も知らない。だがそれでも、彼らは決して折れることはなかった。
だから、人はこの島を作った。異種族という驚異を隔離し隠蔽することで人々の安寧を保つと同時、竜と共生し助け合うことが出来るということを既成事実として作り上げる為に。
今では契約をせずとも、竜が最低限の生活は送れる程度のエネルギーを食料状にすることに、この島は成功している。故に竜はこの島に集まり他へ姿を現すことはなく、だからこの島は理想郷と呼ばれるのだ。
もちろん技術漏洩防止という表向きの理由がある以上、竜の情報が外部へ漏れる恐れもない。共生できるという事実を証明できるまで、不要な混乱を避けることが出来る。
この島だけが持つたった一つの大きな秘密。それが、この竜の存在だった。
「……ねぇ、蒼汰くん」
「はいはい、ちょっと見て行こうか」
キラキラと目を輝かせている奏に水を差す気にはなれず、蒼汰は少し苦笑いで答えた。
「うわぁ! 青い火だよ、ボォって! あ、今度は緑色だ! 虹色とかあるかな?」
この島では竜などもはや珍しくもない。しかし、奏の反応はどこか幼かった。
この島では人口の一割か二割は竜だとさえ言われているのだ。まして彼らはその身を人の姿に似せることも出来る。今は大道芸の為にこうして竜本来の姿を晒しているが、例えばいま後ろを通ったサラリーマン風の男が竜ではないとは言えない。
にもかかわらず奏は物珍しげに、そして楽しそうにそれを眺めていた。こうして外で楽しげな笑顔を見せるようになったのは、実は最近のことだ。
「ほら、奏。そろそろ行こう?」
あまり遅くなってもいけないし、寄り道好きな奏のこと。どうせ他にも見たいものが出てくるに決まっているのだから、この大道芸はここで切り上げるのが賢明だと蒼汰は判断した。
「そうだね。――あ、蒼汰くん。あのお店じゃない?」
少し残念そうにその場を離れた奏だったが、目当てのアイスクリーム屋らしき店を発見してすぐに意識はそちらへ向いていた。
流石に駅前に大きく構えられるほどの金はないようで、店の正面の窓口からアイスを受け渡しするというタイプの店だった。
店内は大方、持ち帰り用のドライアイスやそもそもの材料を保管する冷凍庫があるだけなのだろう。お客さんがアイスを食べるのは広場のベンチで、ということらしい。
「奏は何を食べるか決めてるの? なら買ってくるけど」
「チョコミントがいいなぁ。でもわたしも一緒に買うよ?」
「いいから。奏は先にそこのベンチで待ってて」
奏には座るように促して、蒼汰は駆け足でアイスクリーム屋に寄った。そのままさっと頼まれた物を購入して受け取り、奏の元へすぐに戻ってそれを渡す。
「ん。これ美味しいよ!」
「それは良かった」
ほっこりした様子で満足している奏に、蒼汰は心から答える。奏が楽しいと思っているなら多少の寄り道くらいはいいか。そう思えているくらいには、蒼汰は奏に甘い。
自分もバニラのアイスに口を付け舌鼓を打つ。甘く冷たい感覚を味わいながら、どこまでも広く広がる青空を眺めるのは、それなりにいいものだった。
平和で、平穏な日常だった。竜との共生を目指したこの島で、しかしそれは何の異常も抱えることなく、淀みなく回っている。
こんな日がずっと続くと、誰しもが思っていた。奏も、そして蒼汰も。
けれど。
それは一瞬にして瓦解する。
少し遠くで、爆炎と共に悲鳴が響き渡った。