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第三章 人形 -5-


 最初に訪れたファミレスでは「こういうときはもっといいお店にしないと」と笑いながらダメ出しをされたものの、滅多に出来ない外食とあって奏もかなり喜んでくれていた。今度は言われた通り《セントラル・ブルー》のレストランでも予約しようか、と蒼汰はその笑顔を見て真剣に考え込んだほどだった。


 次に訪れた場所は遊園地。何だか子供っぽい気もしたが、失礼ながら奏にはぴったりな気がした。ジェットコースターやお化け屋敷は、忘れがちなブルー・アルカディアの表向きの代表である先端技術を駆使したとあって、生半可なスリルではなく面白かった。「楽しかったね! もう一回来たい!」とはライド系のアトラクション後の奏の言葉で、「……もう来ない。絶対やだ」とはお化け屋敷を出た直後の彼女の言葉である。


 その後に訪れたのはカラオケだ。元々は来る予定ではないし似合わないとも思ったのだが、次の予定まで時間が余ってしまったのと、奏本人が「今度、美海ちゃんたちと行く約束したから練習したい」と言うので急遽取り入れた。一時間ほど歌った結果「奏は異様に歌が上手い」という今まで蒼汰も知らなかった事実が分かった。


 そうして散々、何時間も遊んだ後のこと。


「……ここが、最後?」


「そうだよ」


 そう言って蒼汰が連れてきたのは、《セントラル・ブルー》――ブルー・アルカディア唯一の高層ビルだ。軒並み低い建物の中に一つだけそびえ立つ巨大な塔の姿は、傍にいるだけで圧倒されるような迫力があった。


「時間もちょうど良いかな」


 そう言って蒼汰は奏を連れてエントランスを抜ける。いつもは特課に用のある蒼汰だが、今日は違う。小さなカウンターの受付けで入場料を払い、そのままエレベーターに乗る。奏はこのまま何があるのか分からない様子で、不思議そうな顔で蒼汰を見ている。

 高層ビルのエレベーターはガラス張りのイメージがあるかもしれないが、《セントラル・ブルー》の数台あるもののうち、この一台だけは蒼汰がしようとしているような()()()()()()()()の為に、ガラス張りにはされていない。

 奏をエレベーターの扉に向くようにさりげなく誘導しながら、蒼汰は開かれる瞬間を待つ。

 やがて軽い浮遊感が終わりを告げ扉が開くと、その狭い箱の中が橙色に染め上げられた。


「わぁ……っ!」


 奏の顔が驚愕と歓喜で満たされた。

 視界いっぱいに広がるのは、上空から見たブルー・アルカディアの街並みだ。それも、夕焼けの日差しが、その街全体を橙に照らしている。四角い島の端から広がる海が、夕日を反射してオレンジからコバルトブルーのグラデーションを作っていた。


「一回はここの展望デッキに連れて来たいなって思ってたんだ。何だかんだで来たことなかったけど、学校の屋上からでもかなり綺麗に見えたから、ここならもっと綺麗だろうなって」


 蒼汰の言葉が聞こえているのかいないのか、奏は子供のようにはしゃいで窓の傍に駆け寄っていた。きらきらとした目で、眼下の夕暮れの風景を眺めている。


 夜景や夜空ではなくわざわざこの夕暮れを選んだのには、訳がある。

 こんな真っ赤に色づいた空にしたのは、それが、奏が無意識に嫌っている色だったから。

 彼女が赤やオレンジと言った色のものを身に付けているのを、蒼汰は見た覚えがない。女性らしいピンクのものだって、かなり淡い色に限っている。

 きっと、三年前の東霞の大災厄のせいなのだと思う。あちこちで上がる火柱は奏の心に深いトラウマを刻みつけ、蒼汰は記憶さえ捨て去るほどの衝撃を受けた。


 もちろん、彼女が直接そういったことに怯えている訳ではない。普通にコンロを使って料理もしているから、生活に支障が出ているわけでもない。基本、彼女の怯えは対人関係のみだ。

 けれど彼女にとってこの色があまり好ましくないものだったのも確かだ。だから、蒼汰はここでその認識を払拭してあげたかった。

 少しでも奏が、元の生活に戻れるように。


「綺麗だね、蒼汰くん」


「喜んでくれて何よりだよ」


 奏の横に並んで、蒼汰は小さく安堵のため息をついた。

 自分が思っているよりも彼女が赤やオレンジのような色そのものに不快感を抱いていたら、負のイメージを拭ったりする前に恐怖が勝ってしまう。そうならなくて済んでほっとした。


「……昔はね」


 ぽつり、と。

 奏はこぼすように口を開いた。


「夕焼けを綺麗だなんて思ったことはなかったの。ううん、夕焼けだけじゃない。ただの街並み、ただの青い空、ただの友達。みんなそこにあって当たり前で、綺麗だとか大切だとか、そんな風に考えたことなんてなかったんだよ」


 そんなの、誰だってそうだろう。

 ただ普通に毎日を送ることが如何に大切で幸福かなど、理解している人間がいったいどれだけいるだろうか。まして言葉の表面ではなくて、その意味の深淵までを刻み込んだ者など。


「それが大事だったんだって、あの日に私は思い知らされた。そして、大事なものを失うことの辛さは、耐え切れない痛みだって。――だからわたしは、全部遠ざけたの」


 訥々と語る彼女の言葉を、蒼汰は黙って聞いていた。口を挟んではいけないような気がした。


「でもそれじゃあ駄目なんだって、蒼汰くんが教えてくれた。失う辛さを知っていても、それでもやっぱり大事なものは持ってなきゃいけないんだって。蒼汰くんのおかげで、わたしは大事なものを見失わずに済んでいるんだよ。蒼汰くんが傍にいてくれて、それだけでもわたしは救われているのにね」


 照れたように笑う彼女の顔には、少しの痛みがあった。こうして語るだけでも、きっと胸の中の茨は彼女の心を締め付けているのだろう。だから蒼汰は今まで一度だって、彼女の口から大災厄に少しでも関わる話を聞いていない。――それをさせたのは、他ならない蒼汰自身だ。


「ありがとう、蒼汰くん」


「……どういたしまして」


 こんなとき、いったい何を言えばいいのか。それが分からなくて、蒼汰は短く答えてぐっと唇を噛んでいた。


「そんな顔しないで。もっと笑顔でいよう?」


 そう言いながら、奏は蒼汰の頬に触れた。小さくて、温かくて、どうしようもないくらいに優しかった。けれど、彼女の笑みに隠れた小さな陰りは、やっぱり消えてはいなかった。

 何をしてあげられるんだろうか。

 何が足りないんだろうか。

 そんな想いが喉の奥で渦巻いて、何の声もかけられなかった。


「さぁ、もう日も沈みそうだし帰ろっか」


「……そうだね」


 そう言っていつもの笑顔に戻った奏に、蒼汰はただ頷いた。


「晩ご飯は、うちで食べようか。残念ながら《セントラル・ブルー》のレストランで食べられるほどお金はないから」


「蒼汰くんが腕を振るってくれるのかな? 楽しみだなぁ」


 奏に合わせるようにいつもの調子に切り替えて、蒼汰はゆっくりと歩き出した。

 彼女の顔にあった陰りが、妙に胸の中に波を立てていることには目を伏せて。



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