第三章 人形 -3-
それから三十分後のこと。
七峰蒼汰は医務室にあった絆創膏のストックが切れる瞬間を見た。――それは、この一週間で彼が全てを消費した証だった。
「……流石に、使い過ぎだと思うわ」
「すいません……」
小言を漏らす医務室の女医さんに、蒼汰は申し訳なさげに頭を下げる。
こうまで絆創膏が消費された理由は一つ。六花との実戦形式の訓練で、毎度毎度、擦過傷を増やしているからだ。
本来はこんなペースで怪我を負う必要はないのだが、それもひとえに奏の為だった。
彼女と遊びに行く約束を果たす為には、どこかで必ず特課の仕事を休む必要がある。しかしまだ有給が取れるほど長く在籍してもいない。となれば、必然的にそれが許されるだけの努力を見せなければいけない。蒼汰にとって、奏の為というなら多少の怪我は許容範囲だ。――まぁ今回に限って言えば、想定外の怪我だった訳だが。
女医さんにぺこりと頭を下げて、治療を終えた蒼汰は医務室を出る。一人で備品を使い切ってしまい居心地が悪かったこともあって、外の空気は随分と軽く感じられた。
「大変そうだな」
その入口の傍に大きな影があった。サジだ。
「まぁ『休みたい』なんて言う僕が悪いんですしね。それに、故意ではないにしても、流石にさっきのは……」
「違いねぇな。新人で配属すぐに休暇申請した奴なんてほとんどいねぇし、上司の服をひん剥いた奴なんかもっと見たことねぇ」
からからとサジは笑ったかと思うと、親指で廊下の先を指し示した。
「さて。そろそろパトロールに行こうぜ」
「了解です。――ところで、六花さんとティアは?」
エントランスを目指して歩くサジの後ろをついて行きながら、蒼汰は問いかける。辺りにいる見知った顔は大柄なサジだけだ。あの特徴的な蒼い髪のティアも、黒いセーラー服の六花もいない。名前も知らない特課勤めの背広姿の人が行き来しているだけだ。
「六花もティアさんも忙しいからな。街で合流することになってる。その頃には六花の頭も冷えてるだろうし、蒸し返さないようにな。下手に謝る方が逆効果だってのは、長年六花と付き合ってる俺からのアドバイスだ」
いくつもあるエレベーターのうち、丁度来た下りのものに蒼汰たちは乗った。上層階ではないとは言え、ガラス張りの箱の中からは街並みが良く見える。そんな景色を見ているうちに微かな浮遊感が身体を包み、エレベーターは下り始めた。
無言になってしまいがちな空気は好みでないので、蒼汰は思いついたままサジに喋りかける。
「サジさんは、特課の青竜の中ではどれくらいに強いんですか?」
「何だ、暗に俺が弱いんじゃねぇかって話か? 失礼だな」
言葉とは裏腹に豪快に笑いながら、サジは答えてくれた。
「でも、残念ながら中の下だよ。ちなみにティアさんは上の上――のはずだが、どうにも本領を発揮できてないみたいだ。今のあの人は中の上ってところだな」
そこまで話したところで浮遊感は途切れ、エレベーターの重そうな扉が開く。そのまま歩いて街へと繰り出す。夏らしい暑い日差しが、エアコンの利いた屋内で冷えた体をすぐに温め、あっという間に汗を滲ませる。
「で、契約者の身体能力じゃ、六花は上の上。お前は下の上ってところだな」
「そうですか」
毎日頑張っているし今日なんかは六花になかなか迫ったはずなのだが、やはり一朝一夕では強くなれないと言うことだろう。サジの評価を蒼汰は真摯にそう受け止めた。
「だがティアさんとの相性がいい。総合的に言えば上の仲間入りくらいしてると思っていいぜ」
そう蒼汰を慰めるように言って、サジは歯を見せて笑っていた。
「まぁ、俺と六花ほどじゃないがな」
「はは……」
自らそう言ってのける彼の図太さに、蒼汰は呆れ半分感心半分の曖昧な笑顔で返した。
「そんな顔すんじゃねぇよ。それにな、自信ってのはお前が思ってるよりも大事なんだぜ。『出来る』と思わなきゃどんなことも出来やしない。やる気やガッツ、勇気なんてのは自信の類語だ。つまり、自信もない奴には街を護るヒーローサマなんてやってらんねぇんだよ」
バシバシと蒼汰の背中を叩きながら、サジはそう言った。
世界の外に干渉して世界を書き換えるという、無茶苦茶だが理屈的な力を持っているからこそ、竜たちは絶対に出来ないことを理解できてしまう。だからそれを知らず、そしていずれはやり遂げてさえしまう人の心の力のようなものを、サジは理解し信頼しているのだろう。
「……あの、そう言えば外でこんな話をしていていいんですか?」
そこで蒼汰はふと気付いてしまった。
黒竜の存在は、ブルー・アルカディアでも伏せられている。公になれば人と竜の戦争が起こりかねないからだ。それをこんな街中で堂々と話していい訳がない。
「大丈夫だって。それに、お前に初めて会ったときもパトロールしながら色々話しただろ?」
そんな蒼汰の心配をサジは笑い飛ばしていた。楽観的とは違う。ちゃんと理由があるようだ。
「俺たちの声が他人に聞こえないように、ちょっと周囲の空気を加工した。ま、簡単に言うと結界だ。竜なら少し頑張りゃ誰でも張れる。ティアさんはこれを張るの嫌いみたいだけどな」
そう言われてみると、こうしてサジが何度も豪快に笑っているのに、すれ違う人々はちらりとも視線を向けていなかったことに気付かされる。
「――さて。そんで、ここからが大事な話だ」
ふっ、と蝋燭の灯が消えるように、サジからさっきまでの明るく優しげな雰囲気が途絶えた。
「特課に入ってから、特課の人間や竜で誰に声をかけられた?」
「六花さんとサジさん、あと医務室の女医さんとかくらいですよ。それがどうかしましたか?」
蒼汰の問いに、サジは前を歩きながら何か考えるように間を開けて、ゆっくりと答えた。
「……もしかしたら、特課の中に裏切り者がいるかもしれないからだ」
大きな背中からでは、サジの顔を窺えない。しかしきっと、仲間を疑わなければならないことに苦悶の表情を浮かべているに違いない。
「俺たちはずっと、カレンデュラを追っている。けれど一度も発見できていない。つまり、巡回の経路を事前にリークされてる可能性もありうるってことだ」
「……だから、新人の僕なんですね?」
こんな話は誰にも出来やしない。話した相手がその裏切り者という可能性もあるからだ。
「俺がこれを話したのはお前で二人目。一人目は六花だ。――けど、ティアさんには黙っていてくれ。お前には悪いが、俺は確信がない以上その可能性も視野に入れている」
それは当たり前の予防線だ。こう言った極秘事項の場合は、誰まで話すかという線引きは明確かつ厳格でなければならない。蒼汰のパートナーだから、という理由だけでティアまで信用するのは早計が過ぎる。
「了解です。――新人の僕を引き込もうとしてる相手だったら、話に乗ったふりをしてサジさんに報告すればいいんですね?」
「そういうこと。そして、不用意に背中を見せるような真似はするな。いいな?」
はい、と力強く蒼汰が頷くと、サジはすぐに元の明るさを取り戻していた。
「まぁ気にすんな。こんな俺の役に立たない勘を信じる必要はねぇよ。そういうこともなくはないって話であって、確率は低いはずだから」
また力強く蒼汰の背中を叩いて、サジは大きく笑っていた。少し強張っている蒼汰を少しでもほぐそうとしてくれているのだろう。
素直にその行為に乗っかって、蒼汰は一度深呼吸していつものテンションに戻した。
「あそこにいる蒼い髪の子、ティアじゃないですか? 合流ポイントに着いたんですね」
「お、そうみたいだな」
蒼汰とサジは手を振りながら、視線の先にいるティアと六花に駆け寄るのだった。




