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第三章 人形 -2-


「――開始の合図はいつも通り、蒼汰くんが投げたコインが床に落ちたらでいいよ」


 六花の言葉に頷き、蒼汰はポケットからコインを取り出す。

 指でそれを弾くと同時、蒼汰は銃を握った。やや半身になって両手で持つ形――ウィ―バー・スタンスと言うらしい――を取る。正面に構えるよりも移動しやすい構えを選んだのは、六花との撃ち合いとなれば移動が必須だからだ。

 コインがゆっくりと放物線の頂点に到達する。その間、六花も弓を引き絞っていた。


 初撃をどこに撃つか。それは重要な問題だ。

 唯一自由に放てるのがこの一撃だ。そして当然、弾丸は矢よりも速い。たとえ竜が生み出した常識外れのものであっても、その前提条件が同じなら銃と弓矢としての格差が存在する。

 今まで読み合いで勝ったことはない。まるで見透かされているように避けられ、蒼汰は射抜かれている。ここ最近では、端から躱すことに全力を注いで自らの初撃は捨ててきたほどだ。


 ――どこに来る。躱しづらいところか、あるいは、意外なところか……。


 腰の辺りは重心があるせいで容易には動かない。衣服を傷つければ勝利なのだから狙う場所としても悪くないはずだ。――だからこそ、そこは警戒されて然るべき。

 相手の警戒を超えたところに撃つことにこそ、読み合いの意味がある。


 ゆっくりと、コインが地面に近づく。

 散々っぱらこうやってコインを投げてきた蒼汰には、最初に弾いた感覚から地面に着くタイミングが正確に分かる。

 引き金にかかる指に、力がこもる。


 キン、と澄んだ音がした。


 それと全く同時に、蒼い銃口が火を吹いた。

 狙ったのは、定石通りの六花の腰のあたりだ。しかしその弾丸は、届かない。

 六花から放たれた銀色の矢が、中空で弾け飛ぶ。――蒼汰の弾丸を相殺したのだ。


「――だと思ってましたよ」


 迎撃というスキルを見せつけて虚を突き、次の一矢で仕留める。読み合いの段階で、蒼汰はそこまで見越していた。

 次いで放たれた第二射を難なく躱し、移動速度を上げる為に片手持ちになったまま蒼汰は六花に向けて引き金を引く。

 とっさの判断でサジが防護壁を展開する。しかし、こちらは黒竜の分厚い鱗さえ撃ち抜く弾丸だ。僅かに軌道を逸らすことがせいぜいで、受け止めることなど出来なかった。軌道が逸れたことで六花は躱してこそいたが、矢を番える余裕はないはずだ。


「ティア。三連射って出来る?」


 もともとこちらの弾丸はティアの力で自動生成・装填される。残弾を気にする必要はない。とは言え、流石に弾倉に入れられる数を超えたフルオート射撃までは出来ないだろうが。


「お主がしたいと願えば、それくらいはしてやる。それがわしの役目じゃからな」


 右手の中で答えるティアに力強く頷き、蒼汰は走っていた足をざっと勢い良く止めて、引き金を引いた。セミオートから三点バーストに切り換わって飛んだ三発の弾丸は、全く同じ軌道を辿って六花に迫る。

 いくら六花でも、三発もの銃弾を躱すことは出来まい。仮に盾で弾道を逸らしたとしても、残りの二射は砕けた盾を素通りしていく。

 蒼汰の読み通り、一発目を躱した六花に、残された二発の弾丸が迫る――


「んー、及第点ではあるかな」


 しかし、六花はその弾丸を弓本体で薙ぎ払うように弾いてみせた。それも、一薙ぎで二発同時に、だ。

 竜の演算により無敵とも言える貫通力を持った正面ではなく、銃弾の側面だけを叩くという離れ業だ。しかも、蒼汰は完全に六花の裏を掻いたはずなのに。


「おい六花! 痛いだろうが!」


「男なんでしょ。ちょっとくらい我慢して」


 抗議するサジを一蹴し、六花はにっこりと蒼汰に笑顔を向ける。


「いい手ではあったけど、やっぱり残念賞だね。愛しの奏ちゃんとのデートはまたいずれね」


 六花は既に弦をめいっぱい引いていた。

 この状態から躱せたことは一度もない。まるで未来が見えているかのように蒼汰が避ける先を狙って矢が放たれるのだ。

 とりあえず銃口を向け返してはみたものの、六花の方に臆する様子はない。確実に蒼汰の攻撃を防いだ上で仕留める算段が立っているのだろう。

 反撃は無意味。前後左右、どこに避けたところで撃ち抜かれる。ならば、どうするか。


「――あ」


 突如浮かんだ突拍子もない発想に、蒼汰は思わず笑ってしまう。苦し紛れに放っていた弾丸は、あらぬ方向へ抜けていく。


「ティア――」


「終わりだね」


 蒼汰がティアに何かを語る間に、六花の矢羽にかけていた指から力が抜ける。

 それよりも刹那早く蒼汰は跳んだ。――真上へと。

 垂直跳びの世界記録を蒼汰は知らないが、立ち幅跳びなら三・五メートル前後だと聞く。重力がある以上、それよりも高い記録は出るまい。

 しかし蒼汰のそれは、そんな記録を遥かに超えた。

 五メートルを優に超えて跳び上がり、蒼汰の立っていた場所とその左右に放たれた三本の矢を上からゆっくりと眺める。


「な――ッ!?」


 ありえない。そんな反応が六花の顔を覆う。

 そんな当然のリアクションを無視して、更に蒼汰は空中を蹴った。堅い感触が靴底に返ってきたことに笑みを浮かべながら、そのまま六花の真上で、うつ伏せになるように銃を構える。

 弓の構えでは、頭上は絶対の死角。迎撃も出来ないが、しかし、銃と違って彼女は移動性を著しく欠いている。矢を放った直後に容易く回避する余裕などない。――ましてや、人間離れした蒼汰の動きを見せつけられていればなおさらだ。


「終わりですね、六花さん。僕の勝ちで」


 引き金を絞る。放たれた弾丸は、六花の頭上から彼女のセーラー服のリボンだけを掠めるように貫いた。

 くるりと一回転して蒼汰が着地する。もちろん、ティアによって緩衝されているので、五メートルから降りた衝撃など感じはしない。


「……やられた。ティアが反発力を増加させたんだね」


 六花の衣服の破損――つまり、蒼汰の勝利。ようやく何が起きたのか理解した六花は、どこか悔しそうに笑っていた。


「正解じゃ。蹴った反動だけを数倍に増幅させた上に、空中で盾を形成し、移動の手段にもした。まぁ滑りやすい故、タイミングが重要になってくるがな。これもわしと蒼汰の信頼があってこそじゃな! どこぞの筋肉馬鹿には出来ん芸当よ!」


 蒼汰の手を離れ、蒼髪の少女の姿へと戻ったティアが腰に手を当てて威張る。――何だかんだで、サジに全戦全敗だったことは彼女のプライドを傷つけていたようだ。


「しょうがない。約束だし、来週はお休みだね……」


 諦めたように言って、彼女は蒼汰に握手を求めてきた。蒼汰の成長を讃えるという意味だろう。弓からゴツいオッサンに変身したサジも、甲子園出場校の監督のように満足そうな笑顔を浮かべている。

 蒼汰が六花の柔らかな手を握り返した、そのときだった。


 ツ、という形容しがたい音を蒼汰の耳は捉えた。何だと思う間もなく、その答えは目の前に訪れた。


 唐突に、六花のセーラー服が中央から縦に裂けた。白く透き通るような肌が露わになり、彼女が身につけていた黒いレースのブラジャーもちらりと顔をのぞかせる。

 そんな状況に蒼汰も六花も目を瞬かせ、やがて六花は顔を真っ赤に染め、蒼汰は青ざめた。


 ――あぁ、そう言えば弾丸って衝撃波が……。


 呆然とそんな事実を思い出し、セーラー服が破れた理由を考察した蒼汰は、頬を赤く染めながらもこれから起こる事態を予感し絶望した。


「……サジ」


「了解した」


 目を覆ったままのサジが即座に弓の形に戻る。それと同時、サジの力か、破れたセーラー服は元通りになった。

 治療は行えないが、無機物や竜自身が生み出した物なら修復できると言っていた。サジなりに気を使って、ここは服くらい直すべきと判断したのだろう。

 しかし六花はゆっくりと弓を引きながら、にっこりと満面の笑みを浮かべていた。


「殺す」


「六花さんがキレた!? ティア、助けて!」


「いやぁ、これは女性であるわしが手を出す訳には……」


 高圧水流を噴き出す無数の矢から逃げ惑う蒼汰に、ティアは乾いた笑みを返すばかりで動こうとはしなかった。服を傷つけたら勝ち、というルールさえ無視して完全に命を取りに来ている。六花の顔にあるのは、真っ黒く染められ燃え上がる笑みだけだった。



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