第二章 友達 -5-
遅刻続きの授業をどうにか終えた、そんな放課後だった。さっさと荷物をまとめて部活へ足を運ぼうとする美海と光輝に、蒼汰はおずおずと声をかけた。
「……その、一緒に帰れるかな」
その声は、普段より何割も小さいものだった。無理な願いであることは、蒼汰も理解している。光輝はともかく、美海は一年のエースだ。部活をサボってくれ、というお願いをされて「はいそうですか」と頷けるとは思えない。
「……いいよ。奏さんと知り合ったばかりだしね。今日くらいは一緒に帰ってあげる。――そのかわり、今度何か奢りなさいよね」
「そりゃ何よりも美人と帰る方が優先だな」
しかし、蒼汰が逆に驚くくらい美海も光輝もあっさりと引き受けてくれた。
どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。そんな疑問が浮かぶほど、彼女たちは蒼汰の願いを聞き入れてくれる。
ただ元々彼らが優しいから、ではない気がした。蒼汰や奏の境遇に同情しているのとも違うだろう。彼らからそんな憐憫のようなものを感じたことは一度もない。
自惚れるようではあるが、きっとそれは、蒼汰の願いだからだろう。蒼汰の人間性と言うよりも、たった数年ではあるが培えた信頼関係ゆえだ。
しかし今の蒼汰は、特課に入り黒竜と戦おうとしている事実を隠している。自分が死んだときの為。そんな後ろ向きの思考で奏と友達になってほしいと頼んでいるとは、彼女たちは微塵も考えていないに違いない。
罪悪感は棘に似ていて、胸にチクリと痛みを残す。
けれどそれも奏の為だ。そして、そもそも蒼汰が無事に生き残れば済む話でもある。
ぐっと拳を握り締め、決意を押し固めるようにして、蒼汰は前を向く。
「奏はたぶんもう昇降口にいるかな。早く行こうか」
二人の前に立って蒼汰は歩く。下校や部活と人通りの多くなった廊下を抜け階段を下りていけば、いつも通り、蒼汰の下駄箱の前に色素の薄い綺麗な髪が垂れている。
「蒼汰くん。……と、葉月ちゃんと、日向くん」
足音で気付いたようで、ちらりと影から顔を出した奏はちゃんと二人にも気付いて、ぺこりと頭を下げた。昼休みの僅かな間だけでも、多少仲は進展してくれたらしい。
「どうもー、蒼汰に誘われちゃったんで一緒に帰りましょー」
努めて明るく美海は言って、さっさと上履きからローファーに履き替える。
「……蒼汰くんって、ひょっとして友達多い?」
四人で連れ立って歩き始めると、何か不安な様子で奏が蒼汰に尋ねてきた。どことなく拗ねているように見えなくもない。
「どうだろう。普通よりは少ないと思うけど……」
友達を作ろうと行動はしていないので多くはないが、美海や光輝のように自然と出来た者はいる。少なくとも、奏よりは多いだろう。さして驚くことではないはずだった。
「蒼汰くん、家じゃ友達の話とかしたことないよ。わたし、こんなに友達がいるなんて全然知らなかったんだから」
「そうなんですか? あ、蒼汰って家じゃどんな感じなんです?」
蒼汰と奏の間に美海が控え目に入り込む。せっかく共に帰るのだから、奏が蒼汰とだけ話す、なんてならないように気を使ってくれたのかもしれない。ただ、割とその目は興味津々と言った感じで輝いていたようにも見えるが。
「蒼汰くんは、家でもこんな感じだよ。料理も上手、だし」
つっかえがちではあるが、奏は頑張って美海に受け答えしていた。同じ女子で年下というのも、きっと話やすさの要因だろう。やっぱり美海に頼んで正解だったと蒼汰は思う。
「あんた料理できるんだ?」
「今日の弁当も僕が作ったやつだよ。家事は一応当番制だし。――まぁ、しょっちゅう奏の分の当番も勝手にやっちゃうんだけどね。それくらいしか趣味がないからさ」
そう答えると、美海は顎に手を当てて真面目な顔で呟いた。
「……どうしよう光輝。私、蒼汰に女子力で負けたかもしれない」
「むしろ何で勝ってると思ってたんだよ――うぐッ!」
素直に感想を漏らした光輝の鳩尾に、美海の渾身の貫手が決まる。一撃でノックアウトされた光輝は路上でうずくまっていた。
「少しは慰めようとか思いなさいよ。あんた一応モテるんでしょ?」
「じ、女子力の話がしたいんなら、まずはその格闘家のようなツッコミをやめようぜ……? ――あぁ、いや、そのレースの下着なら女子力は――」
「死になさい!」
膝をついた状態で美海を見上げていた光輝の顔面に、美海の踏みつけが炸裂する。盛大に悶える光輝を見て、奏がくすりと笑った。
「蒼汰くんの友達は、面白い人たちなんだね」
「ちょっと待って蒼汰。奏さんの中で私がこの馬鹿と同類になっている気がする」
心外だと表情筋の全てを使って訴える美海に、蒼汰は心ばかりの苦笑で返す。しかし何故か当の光輝まで普通に笑っていた。
それにまた腹を立てる美海をなだめつつ歩いていると、蒼汰のポケットの中の携帯端末が震えた。
すぐさま取ろうとして、ピタリとその手が止まる。
「……まさか」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、蒼汰は呟いていた。嫌な予感がして、周りにバレないよう取り出して確認すると、それは今朝蒼汰を呼び出した特課の一員、天宮六花からのメールだった。
内容はほとんど察しが付いていたが、案の定呼び出しだ。
この指示に従うか、あるいはメールを見なかったことにして奏と帰ることを優先するか。逡巡した結果、さっとポケットに端末を戻して、「あ!」と蒼汰は少々わざとらしく声を上げた。
「あー、ちょっと忘れ物したみたい」
本当は奏を一人で美海たちと一緒にさせておくのは不安で仕方がなかったが、特課の仕事を無視することも難しい。
ここで特課を選ぶことが、将来奏を護ることに繋がるのだ。その為に特課へ入る以上、その根底を覆してはいけない。ここで信用を失うことは、そのまま奏を危険に晒すことと同義なのだ。――そんな言い訳をまるで言い聞かせるように繰り返して、どうにか決心して蒼汰は踵を返した。
「ゴメン、先に帰ってて」
「え? 蒼汰、くん……っ」
裏切られたと言わんばかりの、捨て猫のような視線で見つめる奏に背を向けて、蒼汰は後ろ髪を引かれる思いの中、一旦学校へ向かって走り出した。