表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/5

暴かれた心根

第三章 暴かれた心根


     一


――「惑星サン・マルティン地表基地でこれから行なわれることは、精神感応科兵の運用試験(テスト)と惑星サン・マルティンのUPO調査を兼ねている」

 基準時間で一ヶ月前、惑星メインランドの人類宇宙軍総本部――その形から通称六角形(ヘキサゴン)――に呼び出された際、告げられた言葉が重い。

 チャン・レイは、司令官席から補助席に座ったカヅラキ・ユウを見つめた。基地司令官の彼には、独自に判断して指令を下す責任があるため、〈表層共有〉はかけさせていない。今はただ、作業の進捗状況を見守っているだけだ。

――「精神感応科兵は、必ず上官の命令に従う。上官からの命令がない限り、或いは軍の非常事態宣言のレベルC以上が発令されない限り、テレパシー能力は、一切使えない。それは、入隊時の身体検査の折、彼らの潜在意識に、最強の精神攻略技〈催眠暗示〉で刻み込まれた命令だ。精神感応科兵は軍務に忠実な、安全且つ優秀なテレパスである。だが、一抹の不安がない訳ではない」

 人類宇宙軍総本部の中央区、通称中央(セントラル・)六角形(ヘキサゴン)にある総司令部ビル二十階の、己の執務室にチャン・レイを呼び出したマルセル・ミシェル・シュヴァリエ大将は、微笑みを浮かべながら、その口にする内容は深刻だった。

――「だからこそ、その運用試験をして貰う。カヅラキ・ユウ上等兵曹は、サン・マルティンの悲劇の生き残りだ。今のところ、連盟警察による内偵の結果は白だが、軍に対して、必ずしも、いい感情を持っているとは限らない。しかし、それでも上官の命令には絶対に忠実で、しかも有用だということを、わたしは証明したいのだ」

([精神感応科兵は、レベル特AからCの非常事態宣言が発令された場合、その任務達成のため、上級者の命令に反しない場合においてのみ、テレパシー能力を使うことを許可される]だったな……)

 人類宇宙軍法規第五章軍員規程第四節服務規定第二十一条の細則の文言も思い出しながら、それでもチャン・レイは不安を拭い切れない。シュヴァリエ大将は、軍内部でもテレパス優遇策推進派の急先鋒として知られる。テレパス優遇策に否定的なペドロ・エステベス大将などへの対抗策として、今回のことを立案したのだとしたら、少々無理のある計画になっている可能性は高い。

 〈一時的意識不明〉を使用した後、体調が回復して司令官室に来たカヅラキ・ユウは、報告した。

――「『敵』は、段々と強くなっています。じぶんがこの基地へ来る前の証言に拠れば、以前は『幽霊』くらいの現れ方しかしなかったということですから、恐らく精神感受や精神干渉しか使っていなかったのでしょう。けれど、整備班の兵士にキャタピラを壊させるというのは、余ほど上手い〈感化〉などの精神干渉技か、或いは、精神攻略技です。しかも、〈対象〉の数を、前回の四人から、今回は四十人に増やしました。次は、この基地にいる全兵士に対して、能力を使用してくることも考えられます」

 「敵」の動向や基地の状況について、緊急を要する時、カヅラキ・ユウはいつも精神感受という能力使用――軍公式の精神感受技〈通信〉――で、報告したり許可を求めたりしてくるが、特に緊急を要しない時には、いつも司令官室に出頭してくる。基本的には律儀なのだろう。

――「では、おまえも精神干渉ではなく、精神攻略で対抗できないのか? 『敵』の今回の襲撃時に使用したと報告した精神干渉技〈一時的意識不明〉は、一時凌ぎでしかないのだろう?」

 チャン・レイが問うと、カヅラキ・ユウは怪訝な顔をした。

――「じぶんは診療部隊所属であり、診療部隊兵はその訓練を受けていないので、基本的に精神攻略は使えません。司令官殿は御存知だと思いましたが……」

 当然、知っていた。知っていて、鎌を掛けたのだ。

――「使おうと思っても、無理なのか」

――「例え使えたとしても、診療部隊兵や諜報部隊兵が精神攻略を使うことは、人類宇宙軍法規第五章軍員規程第四節服務規定第二十二条の細則において、全面的に禁じられているので、軍規違反をしない限り、無理です。しかし、精神攻略でなくとも、じぶんの独自精神干渉技〈精神的半透膜(メンタル・セミパーミアブル・メンブレイン)〉なら、精神攻略に対抗することが可能です。それから、キャタピラ修復作業効率化のために、同じくじぶんの独自精神干渉技である〈表層共有〉も有効です。どうか、この二つの精神干渉技使用の許可と、合わせて、柔軟に『敵』に対応するためにも、非常事態宣言レベルCの発令をお願いします」

 〈精神的半透膜〉と〈表層共有〉について詳しく説明させて、チャン・レイはその使用を許可した。

(「敵」は、()()()()()()()()()()()()()()()()カヅラキ・アサで、ほぼ間違いないと、カヅラキ上等兵曹は言うが)

 カヅラキ・ユウが精神攻略技を使えないことが安心でもあり、不安でもある。

(この運用試験もUPO調査も、上手くいくのか……?)

 頭を抱えたいような気持ちになって、チャン・レイは司令官席から立ち上がった。

「少し、席を外す。その間のことは任せる」

 副司令官席に座るジャスミン・シュヴァリエ中尉に告げて、制御室を出た。副司令官の彼女にも、〈表層共有〉はかけさせていない。

――「きみと副司令官以外の兵士は、全員、カヅラキ・ユウより階級が下になるよう、人事は操作してある。そのほうが、カヅラキ・ユウも能力を使い易いだろうと考えてのことだ。つまり、万一の場合、カヅラキ・ユウを止められるのは、きみと副司令官だけだ。宜しく頼むよ」

 シュヴァリエ大将は気軽な口調で言っていた。その副司令官は、地表制圧科空戦部隊出身のジャスミン・アンヌ・シュヴァリエ中尉、即ち、シュヴァリエ大将の娘である。どう考えても、監視或いは、自分こそが試験をされているのだ。

(もし、何か問題が起これば、わたしが責任を取らされて、シュヴァリエ中尉が臨時に基地司令官となる……。それもまた、軍への奉仕だな……)

 つい、そこまで思考を巡らせてしまいながら、チャン・レイはトイレへ向かった。


          ○


 作戦開始から基準時間で九時間二十八分後。キャタピラの修理作業が完了した、その瞬間を、サン・マルティン地表基地の全兵士――司令官と副司令官を除く――が共有した。制御室でも、基地のあちこちと同じように歓声が上がる。

「やったな!」

 イルシンがほっとして声をかけると、隣に座ったユウは、疲れ切った顔で微笑み、補助席から立ち上がって、司令官へ向けて敬礼して言った。

「〈表層共有〉はここで終了します」

「許可する」

 チャン・レイの言葉を受けて、ユウは口の中で何事か呟いた。瞬間、ユウの体がまた数瞬間青白く光り、イルシンは、ずっと傍に感じていた基地中の兵士達の意識がふっと遠のき、同時に何か、意識に蓋をされたような感じを覚えた。〈表層共有〉が解かれたのだろう。ただ、ユウと繋がった感じだけは残っている。

 続けて、チャン・レイが命じた。

「零時の方向へ、微速前進」

「零時の方向へ、微速前進」

 復唱して、操縦席のエドウィンが操縦桿を押す。機関音が低く轟き、重々しく、ゆっくりと、基地が動き始めた。実に、一日と約九時間振りだ。

「夜前線まで、百三十キロメートル」

 副操縦席に座ったヴァシリの報告を受け、チャン・レイが指示する。

「方向固定、時速三十キロメートルで前進」

「方向固定、時速三十キロメートルで前進」

 エドウィンが復唱しつつ操縦桿を更に押し込む。ぐん、と基地全体が振動とともに加速した。

【これで、後は、待ちの一手です。恐らく、すぐ来ます。『アサ』の能力は全てじぶんが防ぐので、あなたは、物理攻撃にのみ、集中して下さい】

 隣の補助席に戻ってきたユウが精神感受でイルシンに伝えた途端、がくんと衝撃があって、基地が停まった。

「来ました」

 ユウが緊迫を孕んだ声で告げて、操縦席のほうを見えない視線で示しながら、補助席から立つ。

「一々キャタピラを破壊するより、こっちのほうが簡単だって、やっと気付いたらしいです」

 操縦席に座ったまま強張ったエドウィンの背後に、ワンピースを着た幼い少女の姿があった。彼女が、エドウィンを操って、基地を停めさせたのだ。

【何だかんだと邪魔ばかりして……! あんたがいつまでも、そいつらを守り続けるなら本当に殺すよ。殺して、その体を貰う】

 両眼に怒気を宿らせた少女の言葉に、ユウは淡々と答えた。

「だから、わたしが疲れ切ってるこの時を狙ったの……? おまえが本物のアサなら、それでもいい。でも、わたしは人類宇宙軍の一員として、死ぬまでは、この基地の(みんな)を守る」

【何言ってるの、ユウ? あんただって、あの一年間、人類宇宙軍を恨みながら過ごしたじゃない……!】

「今は、人類宇宙軍人だ。サン・マルティン封鎖だって、『サン・マルティン病』――UPOのせいで、仕方なかった」

【何も知らない訳? UPOのこと……!】

「UPOのことは、まだ何もはっきりとは解明されてない」

【本当に知らないの、UPOの正体? なら、あたしが教えてあげるわ! そっちの男にも、この基地中の奴らにも、ついでにね!】

 幼い少女は狂気を滲ませて笑う。ユウの冷ややかな表情が微妙に変わった。

「知ってるのか」

【知らない訳ないでしょう? UPOはね、――】

 幼い少女の「声」が、不意に途切れた。しかし、口は動き続けている。戸惑った様子もない。

「何故、そう言える?」

 すぐにユウが問うた。ユウには、幼い少女――アサの「声」が届いているのだ。

【何故も何も、そうだからよ! ――】

 答えるアサの「声」は、またも途中で聞こえなくなった。

(一体、何が起こってるんだ……?)

 アサが、イルシンには聞こえないような能力の使い方をしているのだろうか。だがアサは、「そっちの男にも、この基地中の奴らにも、ついでに」教えると言ったのではなかったか。

 アサは、今度は長々と話し続け、ユウの表情は、見る見る硬くなっていく。そこで、唐突にアサの「声」が聞こえた。

【――それから暫くして、サン・マルティン病が流行り始めた……】

「つまり、――」

 ユウの声まで途切れた。口はまだ動いている。

(何なんだ……!)

 イルシンが見つめる先で、ユウは口を閉じ、代わりにアサの「声」が脳内に響いた。

【そう! ――】

 「声」は断片的にしか聞こえず、内容はさっぱり分からないが、アサは、笑ったり怒ったり、ひっきりなしに顔を歪めながら話し続けている。ユウのほうは、対照的に、冷静に話を聞いているようだ。

【――よ……! それにしても、あんた、大して驚かないわね。もしかして、かなりのところを、知ってたんじゃないの?】

「それが真実だと、何故言える?」

 ユウは答えず、冷ややかに問いを重ねた。すると、アサは、今までで一番勝ち誇った顔で言った。

【あんたもいつか出会う、もしかしたらもう出会ってるかもしれない、UPOの――れたわ!】

【ディー――……】

【そう、――にして、――以来、初めて――「友」よ!】

【……それだけ聞ければ、充分だ】

【やっぱり、あんた、殆ど知ってたのね! だったら何で、軍になんかいるの?】

【知るためにいた。軍は全てを知ってるから、内部にいれば、いろいろ知ることができる。代償として、軍に絶対逆らえない装置の一つにされたけれど、それでも、知りたかった。知って、UPOの謎を解いて、二度と、同じことが起きないようにしたい】

【でも、あんたは、もう軍に逆らえないんでしょう?】

【だから、協力者が欲しいんだ。理解者が欲しいんだ。知識を持って貰いたいんだ。だから、わたしはこの基地の(みんな)を守るし、(みんな)の仲間になりたい】

 ユウが強い口調で言い、イルシンは、出会った時に聞いたユウの言葉を思い出した。

――「だから、じぶんが派遣されました。精神感応科と、他の科との連携を深めるというのが、軍のこれからの方針です。それと、テレパシー能力自体についても、協力して、理解を深め、知識を増やさないといけません」

 確か「謎」という言葉を最初に聞いたのも、あの時だったはずだ――。

【もういい! この基地の全員を殺す! 守れるものなら、守ってみなさい!】

 アサが言い放ち――、イルシンは、急に意識にされた蓋が分厚くなるのを感じた。そう、意識に「蓋」がされている――。

 はあ、はあ、とユウの息遣いが聞こえた。肩で息をしている。体力が限界なのだ。前屈みになった体が、淡く青白く光っている。と、アサが驚いたように問うた。

【あんた、この基地の全員に、何をしたの……?】

【〈精神的半透膜〉で、害となる精神感応(テレパシー)を、選択的に防いでる。気付くの、遅い……】

 荒い息の下からユウが答えると、アサは幼い眉を吊り上げた。

【全員に? そんなことしてたら死ぬわよ? 心臓が止まっちゃう!】

【かもしれない。でも、かなり長時間もたせられる。全てじゃなく、選択したのだけ、防ぐから……】

【馬鹿じゃないの? 何でそこまでするのよ! あんたまで死んだら、父様も母様も、(みんな)も、浮かばれないわ……! 浮かばれないじゃない……! あんたは、あんただけは、せっかく、生き残ったのに! あんたは、あたしも含めた、(みんな)の願いそのものなのに! あたしの代わりに、あんたには、幸せになってほしいのに……!】

 地団駄を踏んで涙を浮かべ、全身で叫んだ幼い少女に、ユウは笑顔を向けた。

【よかった……! 本当に本物の、本当は泣き虫のアサだ……】

 よろよろと幼い少女に歩み寄って、首を横に振りながら後退りする相手を逃すまいとするように、ユウは抱き締める。両眼を見開いたアサは、ユウの両腕が触れる瞬間、姿を消した。ユウはそのまま、両膝をつき、前のめりに倒れかける。イルシンは、慌てて駆け寄って、その華奢な体を支えた。

「……〈精神的半透膜〉解除」

 ユウは囁くように言うと、それきり動かなくなった。

【早く!】

 不意に間近で叫ばれて、イルシンは驚いて左右を見回し、背後にいるアサに気付いた。

「おまえ……!」

 ユウの腕の中から消えただけで、去った訳ではなかったのだ。まだ何かしてくるのかと身構えたイルシンに、アサは更に叫んだ。

【早くユウをお医者さんとこに連れてって! 心臓が止まっちゃうから早く!】

「分かってる! ってか、まだ心臓動いてるんだな?」

 変わり身の早い、と思いながらも、一刻を争うことは確かなので、イルシンはユウを抱きかかえて走りながら問うた。アサは浮遊してついて来ながら頷いた。

【まだ何とか。でも、動きがおかしいから、急いで……!】

 アサの「声」を聞きつつ、イルシンは制御室を飛び出し、大股で走って二十歩のところにある医務室へユウを担ぎ込んだ。



 自動扉が開くのを待てず、半ばこじ開ける勢いでカヅラキ・ユウを抱えて出て行ったイルシンを見送り、チャン・レイは口を開いた。

「各員無事か。各班の無事も確認せよ」

「了解。各班の無事を確認します」

 タイラ・ハルが復唱し、通信機を通して、基地中の作戦班に状況の報告を求めた。折り返し、続々と、各作戦班から報告が上がってくる。ものの二分ほどで、全ての作戦班から報告が来た。

「全ての作戦班、無事です」

 振り返って伝えたタイラ・ハルに頷き、チャン・レイは命じた。

「時速三十キロメートルで前進そのまま」

「了解」

 動けるようになったエドウィン・ローランドが操縦桿を動かすのを見届け、チャン・レイは更に命じた。

「現時点を以って、非常事態宣言をレベルEに引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。以上のことを全基地に通達」

「了解」

 タイラ・ハルは通信機に向き直って、マイクロフォンへ声を通す。

〈現時点を以って、非常事態宣言はレベルEへ引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。繰り返す。現時点を以って、非常事態宣言はレベルEへ引き下げる。特別の任務ある場合を除き、総員、通常任務に戻れ。以上〉

 全基地にタイラ・ハルの声が響き渡り、安堵の空気が広がった。


     二


 ユウは、心室細動を起こしかけていたが、除細動器によって電気ショックが与えられた結果、心臓が正常に動き出し、依然意識不明ながら、容態は落ち着いた。困るのは、いつまでもアサが消えないことだった。

(非常事態宣言がレベルEにされたってことは、こいつのこと、誰も知らねえんだろな……)

 イルシンはユウが寝かされた医務室の寝台脇の椅子に座り、横目でアサを見ながら眉間に皺を寄せる。周りにいる兵士達には、アサの姿は見えていないし、「声」も聞こえていないことは、観察していれば分かる。つまりこの事実を知っているのは、自分だけなのだ。何故アサがそうしているのかは分からないが……。

(おれは、これを、報告するべきなのか……?)

【したら、おまえもおまえの仲間達も殺すわよ】

 幼い少女は、寝台の端に腰掛けた格好で、ワンピースから覗いた両足をぶらぶらさせながら口を尖らせる。

【今は、ユウに免じてやめてあげてるけれど、あたし、おまえ達軍人のこと大っ嫌いなんだから】

(分かってるよ)

 イルシンは、幼い少女の大きな双眸を見つめ、うんざりとして答える。アサのほうは失明しなかったからだろう、ユウと違ってきらきらとした薄茶色の瞳をしている。

(けど、何で、おれにだけ姿見せて「声」聞かせてるんだ?)

 先刻から思っていたことを問うてみると、予想外の答えが返ってきた。

【おまえ、〈精神攻撃抗体〉持ってるから、勝手に見えて聞こえちゃうのよ】

(〈精神攻撃抗体〉?)

【そう、UPOに対する〈精神攻撃抗体〉。ちゃんと知らされてないのね?】

(知らねえ!)

【なら、教えてあげる。UPOと上手く付き合うためには、「友」じゃないと駄目なのよ。「敵」じゃ、攻撃されて殺されちゃうの。UPO自体に敵意を持っちゃ、駄目なのよ。そしておまえは、UPOに対する〈精神攻撃抗体〉を持ってる。それは今のところ、UPO患者に対する同情って感じだけれど、まずはそれでいいの。UPOを保有してるあたし達のことを嫌わなかったら、それでいいのよ】

(おれが、UPO患者に同情してる……?)

 確かに、叔父がUPO患者だったので、UPO患者に対して、同情している――というより、親近感を持っている。

【その気持ちを、ユウが刺激したことがあったはずよ。それで、ちゃんとした〈精神攻撃抗体〉ができ上がってるの】

(あれか……)

 ユウにサン・マルティン封鎖時の記憶を見せられた時、確かに、イルシンは自分の体験と重ね合わせていた。そして、自分の体験を上回る記憶に圧倒されたのだ。

(けど、何で、UPOの〈精神攻撃抗体〉持ってたら、おまえが見えるんだ?)

 イルシンは、話の核心と思えることを尋ねた。アサは、大きな双眸でイルシンを見上げ、頬を歪めて笑う。

【これ知ったら後戻りできないけれど、いいの?】

 イルシンは、ごくりと唾を飲み込んだ。そんなことは、アサ以上に分かっている。自分は軍人だ。故郷には、両親もいる。だが、ここで知ろうとしないことは、叔父を含む全てのUPO被害者を、裏切ることになる――。

(教えてくれ)

 覚悟してイルシンが請うと、アサは真顔で言った。

【UPOの元は、軍が、テレパスを創るために創ったナノマシン――人工ウイルスなのよ】

 一瞬、周りのものが、全て遠ざかった気がした。目の前の寝台に左手をついて体を支え、イルシンはアサを見つめる。

(じゃあ、何でUPOは、人間を殺した?)

【その人工ウイルスは、この惑星に元々いる生命体に不幸にして出会い、感染、つまり遺伝子を提供した。バクテリアに似てるけれど、巨大コロニーの状態では知性を持つ生命体に。結果、誕生したUPOは意思を持ってた。それが、深い青色(ディープ・ブルー)

 アサの言葉とともに、ちらりと掠めるように、映像がイルシンの脳裏を過ぎった。東アジア系に見える、やや長めの黒髪を首筋に垂らした、細身の小柄な少年――。

(今のが、ディープ・ブルー……?)

【ええ。あたし達の脳に干渉して、そんなふうに人間を装った姿さえ見せる、意思とテレパシー能力を持った生命体よ。そして、意思を持ってるからこそ、病原体にもなれば共生体にもなる……】

(こいつと、話はできるのか?)

【ええ】

 アサは嬉しそうに笑う。

【おまえ、話せるわね。ユウが気に入っただけのことはあるわ。とにかく、あたしとユウのさっきの会話、殆ど聞けてないんでしょう? それが全ての答えになるから、聞かせてあげるわ。あたし、記憶力はいいの】

 一瞬、どういうことか把握しかねたイルシンの首に透ける両腕を回し、触れることのできない少女は、少し重なり合うように身を寄せてきた。直後、「声」が流れ込んできた。

――【UPOはね、軍が創ったのよ!】

――「何故、そう言える?」

――【何故も何も、そうだからよ! 軍は、テレパスを人工的に創り出す研究をしてた。そもそも、地球生まれの生物にはテレパシー能力の素養がある。でも、強いテレパシー能力が発言する割合は僅かだし、それだけでコミュニケーションを成立させられるほど強いものじゃない。そこで、人類宇宙軍の研究者達は、強いテレパシー能力を生み出す遺伝子の塩基配列を解明し、それらをナノマシンに組み込んで人工ウイルスを創り、感染させればテレパスを創れると考えた。奴らは惑星エデンに研究所を作り、テレパシー能力の高い人間を人類宇宙中から集めた。勿論、極秘にね。集められたのは、圧倒的に孤児が多かったという話だわ。抗議する親もいないから、面倒がなくてよかったんでしょうね。とにかく、その子供達の遺伝子を調べて、研究者達は求める塩基配列を解明し、人工ウイルスを創った。その頃、あのエデン内戦が起こり、研究者達は、研究途中の人工ウイルスを持って、開拓途上だったこの惑星へ拠点を移した。何故ここだったかっていうと、自分達の研究が危険を伴ってることを知ってて、人口の多い、政府のしっかりしてる惑星には行きたくなかったから。ところが、研究の途中で、その人工ウイルスは、この惑星の生命体に感染した。ある種のバクテリアに似た自由生活性で浮遊性の、昼半球の海を覆うように幾つかの巨大コロニーを作ってる生命体。コロニーそれぞれが、一個の多細胞生物のような営みをして知性を持つ生命体に。人工ウイルスは、その生命体に自らを組み込み、リケッチアやミトコンドリアの祖先に似て非なる、テレパシー能力を持つ生命体を誕生させた。それから暫くして、サン・マルティン病が流行り始めた……】

――「つまり、軍が創った人工ウイルスが、この惑星の生命体に感染した結果生まれたのが、UPO……」

――【そう! 飲料水に入り込んだUPOは、人間に感染し、免疫機構に攻撃されたから反撃して、結果として(みんな)を殺した。でも、UPOは悪くない。悪いのは、UPOを創った軍……! サン・マルティンを封鎖した軍……! 真実を、何一つ公表しない連盟よ……! それにしても、あんた、大して驚かないわね。もしかして、かなりのところを、知ってたんじゃないの?】

――「それが真実だと、何故言える?」

――【あんたもいつか出会う、もしかしたらもう出会ってるかもしれない、UPOの意思そのものであるディープ・ブルーが教えてくれたわ!】

――「ディープ・ブルー……」

――【そう、意思とテレパシー能力を持つ知的生命体にして、ミトコンドリア以来、初めて細胞内で共生する「友」よ!】

 アサがそっと離れても、イルシンの脳裏には、暫くアサの最後の「声」が響いていた。

(「友」か……)

【そうよ。サン・マルティン封鎖を生き抜いた子供達の体内からUPOが検出されなかったなんて嘘。UPOは――ディープ・ブルーは、細胞小器官のようになって、その存在を受け入れた(みんな)と共生してるのよ。勿論、ユウの体内にもいる。あの子が、封鎖直後からテレパシー能力を使えたのは、UPOに感染して、受け入れたからよ。UPO――ディープ・ブルーは、意思を持ってるからこそ、肉体的感染と精神的感染が連結(リンク)してて、精神的に受け入れてくる相手のことは殺さずに、テレパシー能力で免疫機構も取り込んで共生の道を選ぶの。あたしや他の子供達も同じ頃に感染してたはずだけれど、個人差があるみたいで、ユウ以外の誰も封鎖中に能力を使えるようにはならなかったし、あたしは結局生き残れずに、精神的感染だけをして回る、こんな「幽霊」になった。まあ、だから〈精神攻撃抗体〉を持ってる――あたしのような存在を最初から受け入れてるおまえには、何もしなくても姿が見えて「声」が聞こえるのよ。何にしろ、あたしは、もうこうやって漂ってることしかできないけれど、おまえなら、あのディープ・ブルーと人類(みんな)が共生する未来を創っていける。〈精神攻撃抗体〉を持ってるっていうのは、精神的感染だけをして、ディープ・ブルーを受け入れ、その攻撃〈対象〉から外された状態だから。つまり、おまえはもう、ディープ・ブルーと分かり合える。人類とUPOとの架け橋になれるのよ】

 アサは真っ直ぐにイルシンを見て、羨ましげに言った。イルシンは、眉をひそめた。

(おまえ、まさか、やっぱり死んでるのか……?)

【生きてると思ってたの? こんな姿のまま? 体もないのに? サン・マルティンの悲劇で死んだに決まってるじゃない!】

 歪んだ笑みを浮かべて答えたアサに、イルシンは困って告げた。

(この基地の資料室に、おまえが救助されてる映像が残ってたんだ。だから、ユウは、おまえが「少なくとも、軍に救助され、どこかへ収容されたと、考えられます」って言ってたんだ。おまえが生きてるって、ユウは信じてるんだよ。おれにしたって、こんだけ生き生きしゃべってるおまえが死んでるようには、思えねえんだ……)

【あたしが、生きてる……?】

【うん、生きてるよ……】

 不意に、ユウの「声」が聞こえた。ユウの目は開いていないが、「声」は続く。

【体も、ちゃんとある……。自分の目で見た訳じゃないから、偽物の可能性も捨て切れなくて、イルシンにも言えてませんでしたが……、こっちのアサが本物だったから、きっとあの体も本物です……。アサの体は、惑星メインランドの、軍病院で生きてます……】

【本当……?】

【本当】

 力なく答えて、ユウは再び沈黙した。アサの両目からは、見る見る内に涙が溢れる。透けた少女の、透けた涙を、イルシンは眩しく見つめた。


          ○


【ユウ、あんた、怒ってるでしょう?】

 漸く涙の止まったアサに問われて、ユウは胸中で顔をしかめた。まだ、体は、これぽっちも動かせない。イルシンから見れば、眠り続けているも同然の状態だろう。精神感受を使うのさえ、億劫だ。

【あんたが、あんなに頑張ってこいつに知らせないようにしてたこと、全部あたしが教えちゃったんだものね。でも、途中から起きてた癖に、何であたしが教えるのを止めなかったの?】

【今止めても、いずれ、おまえはわたしの隙を突いて教える。それに、ここまで関わらせたら、イルシンが軍に不信感や疑念を持つのは止められない】

 だから、覚悟を決めたのだ。全てが終わった後、自分しか知らない、あの独自技を使う覚悟を――。

【そうね。こいつも、広い意味でUPOの被害者なんでしょう? ここまで来たら、真実を求めずにはいられないわ。危ない方法で真実に辿り着かせるより、今ここで安全に教えてあげるほうが親切ってものよ】

【軍人がUPOの真実を知ったら、普通には生きていけなくなる……】

【おまえもそうじゃない。自分だけは特別だなんて思い上がっちゃいけないわ】

【でも、イルシンには、まだ明るい未来が残されてる……】

【あんたにも未来はあるってあたしは言ってるの! 何で、いっつも自分は捨てるような、そういうものの考え方するのよ、あんたは!】

【わたしは、もう軍の装置の一つになった。選べる未来なんてない。でも、イルシンには、未来がある。アサにも、未来がある。わたしは、それを守りたい……】

【あんたは昔っからそう! いっつも自己完結して、周りには気付かせまいとして……! あんただって、ニコライのこと、好きだった癖に……!】

 本当にアサだ。全く変わっていない。そんなことばかり――周りの人間の気持ちばかり気にして――。生命維持装置のカプセル内に横たわった姉の現在の姿を()()()()()時は、素直に信じられなかった。軍が、自分を利用するために用意した嘘かもしれないと用心していた。だが、このアサを感じていると、あの体があるからこそ、これだけ生き生きしているのだと分かる。

【今はあんた、こいつのことが好きなんでしょう? だったら、こいつとあんたの未来をちゃんと守りなさいよ!】

 不意に言われて、ユウは、きょとんとした。自分が、イルシンのことを好きだなどと、アサはまた突飛なことを言う――。好きという感情は、きっと、もっと――。ふと検証し始めて、ユウはすぐにやめた。アサの言う通り、自分はニコライを好きなつもりでいた。だが、ニコライを失った時、アサのようには嘆けなかった。自分はきっと、アサのように一途に誰かを好きになったりはできないだろうし、もし、そんなことが証明されたとしても、最後にあの技をイルシンと、イルシンに関わった、この宙域にいる人間全てに使うと覚悟した今、意味のないことだ。

(とにかく「アサ」が本物のアサで、よかった)

 深く息をついたユウは、全身を支配する疲労に負けて、引きずり込まれるように、また眠りに落ちた。



 惑星サン・マルティンの海はただ一つ、南半球をほぼ覆う大洋だけである。(エル・マル)の海(・デル・スール)――(スール)海と呼ばれるその海以外に、海と呼ばれるものはない。北半球にも海のようなものはあるが、それらは全て小規模であり、大きな足(パタゴニア)湖や引き潮(バハ・マル)湖というように、押しなべて湖と呼ばれている。

 赤道付近を進むサン・マルティン地表基地は、スール海の岸に沿うように走る。その針路上には、最初にして最後の開拓場、あの悲劇の舞台となった新しい町(プエブロ・ヌエボ)開拓場がある。ユウは、プエブロ・ヌエボ開拓場到着に間に合わせる形で、この基地に配属されたのだ。

 海に面して造られた開拓場を思い起こす時、最初に心に浮かぶのは、平和だった頃の風景と、数々の惨劇の情景と、ともに過ごした仲間達との生活、そして次に浮かぶのは、何故か、砂地の海岸に立っている自分の姿だ。あの懐かしい海に向かって佇み、不思議なことに、背後にいる誰かを感じているのだ。

(わたしは、誰かに、話したい、語りたいと思ってるんだろうか……)

 生きていてほしいと願い続けてきたアサに、心の内に溜め込んできたことを吐露したいと思っているのか、物理的にも時間的にも置き去りにして過去の中にしかいないニコライに、懺悔をしたいと思っているのか、それとも――。

〈勤務中及び待機中の各員に告ぐ。当基地は、現在、夜前線まで三十キロメートルの地点を時速三十キロメートルで通過中。一時間後に夜前線を追い越し、昼半球へ至る予定。繰り返す。勤務中及び待機中の各員に告ぐ。当基地は、現在、夜前線まで三十キロメートルの地点を時速三十キロメートルで通過中。一時間後に夜前線を追い越し、昼半球へ至る予定。各員持ち場にて、夜前線到達へ備えよ。以上〉

 タイラ・ハルの声で基地内放送があり、医務室内でも、そこここに、控えめな歓声が上がった。

(あれから、約三時間経ったのか)

 もうアサに止められることはないので、このまま順調に基地は進むだろう。その辺りの兵士達の意識を精神感受で探って非常事態宣言が今だレベルEのままであることを知ると、ユウは、チャン・レイへ〈通信〉した。

【失礼します。カヅラキ・ユウ上等兵曹です。カヅラキ・アサは、先ほどのじぶんとの接触の中で、敵意を喪失しました。今後、当基地に危害を加えることはないと御報告致します。よって、非常事態宣言は解除して差し支えないかと意見具申するものであります】

(分かった。非常事態宣言は解除しよう。カヅラキ・アサについての詳しい報告は、体が回復し次第、いつものようにわたしの専用端末へ電子文書の形で送るように)

 チャン・レイは淡々と応じてから、続けた。

(先ほど放送させたが、当基地は現在順調に進んでいる。明日からは通常の進行速度に戻し、明明後日には、プエブロ・ヌエボ開拓場に到達するだろう。それまでに、動けるようになりそうか)

【問題ありません】

(では、明後日、プエブロ・ヌエボ開拓場へ先行偵察に出て貰う。そのつもりで準備しておくように)

【了解。失礼します】

 答えて、ユウは〈通信〉を切った。問題ないとは告げたが、たったこれだけの〈通信〉で、もう息が上がっている。しかし、プエブロ・ヌエボ開拓場へ行って、あの辺りの海に住み着いているであろうUPO――その意思たるディープ・ブルーに出会い、謎の答えを――真実を掴むまでは、死ねない。そのために、自分はここへ帰って来たのだから。

【あんた、何無茶してんのよ】

 冷ややかなアサの「声」がして、その「声」はもう一人にも届いたのだろう、ユウの右手に、温かく大きな手が触れた。

「起きてんのか?」

 空気振動を介した声に、まるで、悪夢から救い上げられるような心地がする。

「はい、目が覚めました。少し、外を見せて貰ってもいいですか?」

 我ながら、呆れるくらい掠れた小さな声しか出ない。同情を引いてしまったようだ。

「ああ。けどここに窓はないから、ちょっと動くぞ」

 間近で、驚くほど優しくイルシンは言い、直後に首の後ろと膝の裏に大きな手が触れて、毛布ごと抱き上げられた。

 外からの攻撃が届きにくいよう、基地の中央近くに設けられている医務室に窓はない。精神感受でそっとイルシンの視界を覗くと、自動扉から出て、通路を行き、突き当たりの展望室へ向かうのが分かった。

 東の空は紫色がかっていて、地平線は、もう白々としている。夜前線に後少しで追いつくのだ。あの向こうは夕季だが、夜半球から赴く者にとっては、朝季も同然だ。ユウは、思わず震えた。

「寒いか?」

 心配そうにイルシンが問うた声は、触れた体と空気の両方の振動を介して伝わってきた。

「いえ……、少し、感動しただけです」

 ユウは先ほどよりはましな声を出せるよう努力する。

「夜半球から昼半球へ出るのは、いつも、本当に、感動します……」

「そうだな。あの夜の深みを体験しちまうと、そうなるよな……。ほんの一日ちょっと体験したおれでさえ、そうだもんな……」

 しみじみと、イルシンが応じた。

(その感動くらいは、あなたに残していけるといいな……。うまくできるかは、分からないけれど……)

 胸中で呟いてから、ユウは声に出して言った。

「このまま順調に基地が進めば、明明後日には、プエブロ・ヌエボ開拓場に着きます。じぶんは、恐らく明後日、先行偵察を命じられるはずです。同行を、お願いできますか?」

「おまえ、まだ立てもしない癖に、行ける訳ないだろ……!」

 イルシンの焦りと苛立ちが、精神感受と空気と体、全てを介して伝わってくる。ユウは、無理矢理両眼を開いて、イルシンの視線に向けて、笑った。

「大丈夫ですよ。じぶん、これでも結構丈夫なんです。何しろ、サン・マルティンの悲劇の生き残りですから。それに、まだ、しなければならないことがあるので、死ねません」

「縁起でもないこと言うな」

 イルシンの本気で怒った声に、黙ってついて来ていたアサの、ふんと鼻を鳴らす「音」が重なった。


     三


 無事に昼半球へ出たサン・マルティン地表基地は、非常事態宣言も解除されて、通常通りに動き始めた。適当なところでまた夜前線に追いつかれ、追い抜かれて、それからまた夜前線を追いかけるのだ。ユウは、まだふらふらしているにも関わらず、報告書を作成しなければいけないからと、一時的に医務室から自室へ戻ってしまった。

「あんまり無茶すんなよ」

 イルシンは心底心配だったが、扉の前まで送っただけで、さすがに少女の部屋の中まで入り込む気にはなれなかった。

【大丈夫よ、ユウは、あたしが見張ってるわ。何かあったら、すぐに教えてあげるから】

 小さい体の胸を叩いて請け負ったアサの言葉に多少安堵し、イルシンもまた自室に戻った。通常任務から外れたイルシンには、ユウにくっついている以外、することがないのだ。

「さあ、これから、どうすっかな……」

 寝台に仰向けに寝転がり、天井を見つめて呟く。自分は、色々と知り過ぎてしまった。このまま軍に所属し続けるなら、そのことを周囲に悟られないようにしなければいけない。

(おれに、そんなことできるか……?)

 そもそも自分は、秘密が持てるような人間ではないのだ。その自覚はある。それに、カヅラキ・ユウに協力している今はいいが、これから先、軍のすることに、ただ盲目的に従うことなどできるだろうか。

(けど、おれは、おれ自身も、UPOのことがもっと知りたくて、何であんなことになったのか知りたくて、ここへ来たんだ。なら、これで良かったじゃねえか……!)

 大好きだった叔父の顔を思い浮かべ、その叔父を強制的に連れ去った精神感応科兵達を思い浮かべる。憎いとしか思っていなかった精神感応科兵達。けれど、きっと彼らにも何か、UPOと関わる事情があったのだ。UPOの元は、人工的にテレパスを創るための人工ウイルスだったのだから――。

「ああ、くそ!」

 一人でいると、気が滅入って仕方ない。このところ、ずっとユウやアサといたせいで、一人が駄目になってしまったのかもしれない。

(そう言や、この時間帯、ヴァシリの奴、待機中だな)

 基準時間時計で正確な時間を確かめると、〇七二四(まるななふたよん)時だった。〇八〇〇(まるはちまるまる)時からの全体礼と勤務開始に向けて、食堂で朝食を摂っている頃だろう。ついこの間まで、自分も入っていたシフトなので、間違えようがない。イルシンは、勢いよく寝台から降りた。ヴァシリと差し向かいで話すのは久し振りな気がする。自然、イルシンの足は速まった。

 予想通り、ヴァシリは食堂の、いつも使っている立食用卓にいた。だが、一人ではなかった。タイラ・ハルと、そして、イルシンの代わりに彼らと同じシフトに入ったエドウィン・ローランド一等兵も一緒にいる。

「あ、こんにちは!」

 真っ先に気付いたエドウィン・ローランドが、まだあどけない笑みを浮かべて、イルシンに一礼した。地表制圧科陸戦部隊所属にしては若い、イルシンやヴァシリより三つ下の十八歳だ。

「イルシン、久し振り」

 ヴァシリが嬉しそうに言って右手を上げ、ハルはウィンクして見せた。

「おお、久し振り」

 イルシンも応じて右手を上げ、三人に歩み寄った。

「子守りはもういいのかしら?」

 ハルがお得意の軽い皮肉を込めて問うてきた。

「今は報告書を作成するからって部屋に篭もってる。あんまり無茶すんなとは言ったんだが、さすがにずっとくっついてる訳にもいかねえしな」

「そりゃそうだ」

 ヴァシリがくすくすと笑いながら言い、しみじみとイルシンを見つめる。

「それにしても、随分と優しくなったね。この前まで、精神感応科兵は『くそ野郎』だって言ってたのに」

「あいつの事情も色々と分かってきたからな……」

 イルシンは決まり悪く頭を掻きながら答えて、卓の中央に据えてあるメニュー端末に視線を落とした。ユウと初めて会ったのも、この立食用卓にいる時だったと思うと、妙に懐かしく、そして、まるであれから随分と時間が経ったような気がする。そう、ユウと会ってからのこの四日間は、自分にとって、今までになく密度の高い時間で、恐らく自分は、大きく変わったのだ。

「ねえ、今のイルシンなら、あの噂聞いても、お皿ひっくり返さないんじゃない?」

 立食用卓に頬杖を突いたハルが、上目遣いにこちらを窺いながら、他の二人に言った。

「何のことだ?」

 イルシンが問うと、ヴァシリが苦笑いして答えた。

「また、噂が流れてるんだよ。精神感応科兵が、もう一人来るってね」

「もう一人?」

「しかも今度は、攻略部隊兵らしい。カヅラキ上等兵曹殿一人じゃ、手に負えない事態になってきたってことかもしれない」

「けど……」

 勢いよく反論しかけたイルシンは、「幽霊」の正体だったカヅラキ・アサはもう無害だ、とは説明できないと気付いて、尻すぼみに言った。

「……あいつだって、頑張ってんのに……」

「本格的に惚れた?」

 ハルがまた皮肉めいた口調で、面白そうに口を挟んだ。

「うるせえよ」

 不機嫌に言い返したイルシンに、ヴァシリが取り成すように言った。

「でも、カヅラキ上等兵曹殿、ここに来てからまだ四日なのに、もう二回も倒れてるし、これ以上無理させたらよくないんじゃない?」

「まあな……、けど、あの『幽霊』は、多分もう出ねえ、みたいなことを、あいつ言ってたし、大丈夫なんじゃねえかと思うんだが……」

 「本当は泣き虫のアサだ」という言葉は、そういう解釈ができるはずだ。苦しい言い訳のような言い方をして、イルシンはもう危険がないことを伝えようとした。だが、そこで、それまで控えめな態度で三人の会話を聞いていたエドウィン・ローランドが、おもむろに口を開いた。

「ぼくは、正直言って、攻略部隊兵に来てほしいです。あの幽霊に、後ろに立たれた時、本当に金縛りにあったみたいになって、体が自分の意思とは無関係に動いて操縦桿を引いて……。軍人がこんなこと言っちゃいけないとは思うんですが、物凄く怖かったですから。もう二度と、あんなのは御免です」

「そうよね。あたしも、幽霊が見えた訳じゃないけど、あの時は心臓がばくばく言って、心底震えが来たわ。戦場の怖さじゃないのよね。得体の知れない、抵抗しようのない怖さなのよね」

 ハルが珍しく真顔で同意する。

「もう二度と出ないなら、それに越したことはないけど、でも、やっぱりあの上等兵曹殿一人じゃ、心許ない気がするわ」

【こいつら、ユウがどれだけ頑張ったかも、どれだけ凄いかも知らない癖に!】

 不意に間近で幼い「声」が聞こえ、イルシンはぎょっとして、辺りを見回した。案の定、薄汚れた白いワンピースの裾をはためかせた幼い少女が、すぐ傍を漂って、ハルを睨み付けている。

(おまえ……、ユウを見張ってるんじゃなかったのかよ!)

【ちゃんと見張ってたわよ】

 アサは両手を腰に当てて、偉そうにイルシンを見上げる。

【でも、あの子が報告書を作り終わったから、寝台に入れて、子守唄歌って、寝かしつけて来たのよ。「ねんねんころりよ、おころりよ~」って。気持ち良さそうに寝てたから、暫くは大丈夫だと思うわ】

(そうか、寝たのか……)

 少し安堵して微笑んだイルシンは、ヴァシリと目が合って、ぎくりと笑みを強張らせた。

「何か、百面相してたけど、どうかした?」

 怪訝そうに問われて、イルシンは強張った笑みを浮かべたまま答えた。

「いや、ちょっと思い出し笑いだ」

「助平」

 ハルがぼそりと言った。



(全く、おまえが来たせいで、散々だ)

 食堂を出て、ユウの部屋へと通路を歩きながら文句を言ったイルシンに、アサは横を漂いながら、妙に深刻な顔で返した。

【ううん、あたしが行ってよかったわ。おまえじゃ、気付かないもの】

(何にだ?)

【あの、エドウィン・ローランドって奴、多分、あたしに気付いてたわよ】

「は?」

 思わず声を出してしまったイルシンに、アサは眉間に皺を寄せ、人差し指を立てて告げた。

【ほら、あいつ、「あの幽霊に、後ろに立たれた時」って言ってたでしょう? そんなの、あたしが見えてなきゃ、分からないことなのに。それにさっきも、あたしと目が合わないよう、不自然に視線を動かしてた。あたしのことが見えてるから、下手にこっちを見たら、目が合ってしまうのよ。あいつを操った時も、ちょっと変な感じはしたのよね。何か怯え方がわざとらしいっていうか……】

(つまり、どういうことだ?)

【あいつは、おまえと同じ、テレパスじゃないけれど〈精神攻撃抗体〉を持った者か、そうでなきゃ、テレパスかの、どっちかってこと。でも、テレパスで軍人なら、精神感応科兵になってる可能性が高いでしょう? だから、多分、〈精神攻撃抗体〉を持った者か、精神感応科兵かの、どちらかね】

(ちょっと待て。精神感応科兵なら、地表制圧科にいる訳ねえだろ? おれと同じ〈精神攻撃抗体〉を持った奴なんじゃねえのか?)

【それならいいんだけれど。何か、いろいろ隠してそうな奴だから、気になるのよ】

 アサは可愛らしい口を尖らせて言うと、イルシンへ鋭い眼差しを向けた。

【それから、おまえ、ユウにも用心しなきゃ駄目】

(ユウに?)

 意外な言葉に、イルシンはまた声を出しそうになって、こらえた。

【ええ】

 アサは真顔で哀しげに頷く。

【前にも言ったかもしれないけれど、ユウは、おまえにいろいろと隠し事をしてたわ。これからも、どんどん隠し事をしていくと思う。あたしが言うのも何だけれど、おまえ、あの子のこと、あんまり信じ過ぎないほうがいいかもしれないわよ?】

 そう言えば、最初に会った時、アサは「そんな子供を信じていいの?」「その子供は、嘘を吐いてるわ。その子供は、ずっと能力を使ってる。ずっとおまえ達の心を読んでるわよ」などと告げて、ユウの秘密を暴いたのだった。

(まだ何を隠す必要があるってんだ?)

【それはあたしにもはっきりとは分からない。あの子、あたしにも心を読まれないように隠してるから】

(あの野郎、「隠し事は、もうなしにしろ」って言ってやっても、ちっとも聞かねえのか)

【昔から、一人で抱え込んで、周りに悟らせないようにするのが得意な子なの】

(……けど、悪い奴じゃねえんだろ?)

 イルシンの問いに、幼い姿の少女は拗ねたように答えた。

【真面目な、いい子よ。だから、心配なの】


          ○


 カヅラキ・ユウからの報告書の内容は、驚くべきものだった。

(より) 惑星サン・マルティン地表基地配属精神感応科診療部隊所属カヅラキ・ユウ上等兵曹

 (いたる) 惑星サン・マルティン地表基地司令官チャン・レイ少佐

 (ひたい) 基準暦五五四年二月二十八日に惑星サン・マルティン地表基地の移動を妨げた現象に係る報告

 (むね) 一 サン・マルティン地表基地に出没し、その任務を妨害せし「幽霊」なる現象を、UPO患者たる葛木朝(カヅラキ・アサ)によるものと認む。

   二 カヅラキ・アサは、自身の生存を認知し、敵対行為を中断す。これにより、カヅラキ・アサより情報を得る。

   三 カヅラキ・アサより、UPOの意思の集合たる深い青色(ディープ・ブルー)の存在を知らさる。

(おわる)

(ディープ・ブルーとは……。名まであるのか……)

 張雷(チャン・レイ)は、カヅラキ・ユウから送られた電子媒体の報告書を読んで、戦慄した。シュヴァリエ派の極一部のサン・マルティン関係者の間では、その存在を囁かれながら、決して明るみには出されてこなかったモノ。そしてレイにとっては、消し去りたい過去。公表されれば、連盟や軍の罪の象徴となるに違いない、死神。もし、このディープ・ブルーが、UPOが誕生した経緯について知覚していて、誰かに語れば、大変なことになる。その相手となれる「誰か」は、今のところ、この基地で唯一の精神感応科兵であるカヅラキ・ユウか、〈精神攻撃抗体〉を持っているソク・イルシンに限定されるだろう。彼ら以外は、誰もディープ・ブルーとまともなコミュニケーションはできないだろうし、カヅラキ・アサはUPO誕生について既に知っているかもしれないが、今のところ「幽霊」に過ぎず、その発言が広まることはない。

(カヅラキ・ユウは〈催眠暗示〉に縛られている。だが、シュヴァリエ大将が仰った通り、その安全性は、検証されつつある途中だ。ソク・イルシンもまたUPOに肉親を奪われた被害者。彼は軍規に違反することになっても、真実を公表するかもしれん。ディープ・ブルーがUPO誕生の詳細をあの二人に語る危険性については、この報告書をこのまま転送して、シュヴァリエ大将の指示を仰ごう)

 人類宇宙は広大過ぎて、電波や光では、各宙域同士を同時刻で繋ぐことができない。だが、各惑星の静止衛星軌道上に設置されている宇宙港から、各宙域に一つずつある宇宙門(スペース・ゲート)を通し、更には精神感応科諜報部隊兵の〈通信〉を使うことで、ほぼ同時刻で繋ぐことができるのだ。シュヴァリエ大将からの返答はすぐに来るだろう。レイは、カヅラキ・ユウの報告書に近況と自分が想定する懸案事項とを添付して、軍総本部のシュヴァリエ大将宛てに送信した。


          ○


 ユウは、寝台に入ったまま目を閉じて、基地内の兵士達の意識を探っていた。広く、浅く、表層意識に明確に浮いてきたことだけを掬い上げていく。

(これは……噂……?)

 ユウは、眉をひそめた。

(精神感応科攻略部隊兵が来る……?)

 ユウが苦戦している状況を見て複数の人間が思いついたことなのか、それとも誰か一人の口から出たことなのか。噂の出所に的を絞って、もう一度探る。すぐに兵士達の表層意識の情報が集約される。

(地表制圧科陸戦部隊所属エドウィン・ローランド――)

 ただの思いつきか、故意か。そこまで詳細に調べるのは難しいが、噂の流され方は、とても巧妙で、絶対に立ち消えず、基地全体に広がることを意図されているような感じだった。

(どっちにしろ、信憑性の高い話だ……)

 軍総本部がこのサン・マルティン地表基地で起こっていることを知れば、精神感応科兵を派遣してくる可能性は高い。中でも、最強の攻略部隊兵を。

(攻略部隊兵なら、多分、彼が来る……)

 脳裏に浮かんだのは、他を圧倒するテレパシー能力を持つ一人の同期生の顔。

(《完全なる(パーフェクト・)(シールド)》――ホセ・デ・サン・マルティン(サン・マルティンの)・エステベス・高城(タカギ)

 艶やかな黒髪と澄んだ黒い双眸、浅黒い肌の整った顔立ちをした、同い年の少年。今や大将の一人であるペドロ・サンチョ・エステベス・マルティネスを父としてこの世に生を受けた少年。そして、この悲劇の惑星サン・マルティンの名を、その名の中に持つ因縁の少年。

(因縁を持つ者は誰も彼も、この惑星に引き寄せられる。ここに置いて行かれた(みんな)が、帰って来いと、呼んでるのか……)

 帰って来るのは、償いたいからか、懐かしいからか、逃げたくないからか。

(明後日には、先行偵察でプエブロ・ヌエボ開拓場に行ける。そこが、わたしの「約束の地」)

 ふう、と息をついて、ユウは寝返りを打った。アサとイルシンが戻ってくる。ばれるかもしれないが、とりあえずは、寝ていた振りをしていようと思った。


          ○


 レイの予想通り、シュヴァリエ大将からの返答は早かった。レイの待機時間の終わりに近い〇七五五(まるななごーごー)時に送った通信に対し、勤務時間の途中一二二八(ひとふたふたはち)時には、返事が来ていた。基地制御室から一時的に自室に戻り、端末を開いたレイは、急いで届いた文面に目を走らせる。内容は、基地内で最近囁かれ始めた噂の通りだったが、レイの予想を超えていた。

(攻略部隊兵の中でも、よりにもよって、エステベス大将の御子息が来るだと……!)

 ペドロ・エステベス大将は、テレパス優遇策に否定的な立場を取っており、マルセル・シュヴァリエ大将の政敵とも言うべき存在である。そのエステベス大将が、サン・マルティン地表基地で行なわれている精神感応科兵の運用試験と惑星サン・マルティンのUPO調査に興味を持ち、「幽霊」についての情報も掴んでいて、今回の運びとなったらしい。テレパス優遇策に否定的なエステベス大将の息子、ホセ・エステベス兵曹長が、精神感応科攻略部隊兵というのも納得しがたい話だが、事実だ。

(何故、そんなことになる……! ディープ・ブルーとコミュニケーションができる人間を、それもエステベス派の人間を着任させてどうしろというのだ……? 下手をすれば、UPO誕生の詳細が、全てエステベス大将に知られてしまう!)

 シュヴァリエ大将の指示は、簡潔だった。

[エステベス兵曹長が惑星サン・マルティンの大気圏内に入り次第、きみの指揮下に入ること、そこに一切の例外がないことは、エステベス大将とも確認済みだ。エステベス兵曹長もまた、カヅラキ上等兵曹と同様、精神感応科兵として軍規に縛られている。上官たるきみの命令に逆らうことはできない。安心して、彼を利用したまえ。彼の実力は精神感応科の中でも随一だ。彼ならば、きみの報告にあったディープ・ブルーにも対抗できるだろう]

 その指示は、レイからしてみれば、気軽に過ぎるように思えた。果たしてそんなに上手くいくだろうか。ホセ・エステベス兵曹長の到着予定は、基準時間で明日。この基地のプエブロ・ヌエボ開拓場到着予定日の前日だ。急に思えるが、恐らくは、以前から内々に進んでいたことが、ディープ・ブルーについて報せた今回の自分の報告で、早まったのだろう。

(一体、どうする……? ここが軍の政争の場になるぞ……!)

 上手く対応しなければ、今までシュヴァリエ大将が中心となって守秘してきた罪が、エステベス大将によって暴かれてしまうかもしれない。エステベス大将が、軍の不利益になることをするとは考えたくないが、政争は時に、争う両者が属する組織自体を危機に陥れる。

(人類宇宙軍を、弱体化などさせる訳にはいかない。どれほど汚い手を使おうとも……!)

 脳裏に、暗く波立つ海、そこに沈み行く建物や人々の光景が蘇る。あのような惨事は、人類宇宙軍によってしか止められない。

(だが、どうすればいい……?)

 レイは、眉間に皺を寄せ、司令官室の執務机に肘を突くと、組んだ両手に額を乗せた。

 と、そこへ、訪問を告げるチャイムが鳴った。机の端に置いた端末画面に、部屋の前の通路に立った、ほっそりとした人物の姿が映る。現在待機中の副司令官のジャスミン・シュヴァリエ中尉だ。レイは端末の接触式画面に手を伸ばして、扉を開けるアイコンに触れた。

 開いた扉から一歩入って、敬礼をしたシュヴァリエ中尉は、切り揃えた榛色の髪を揺らして部屋の中ほどまで歩み寄ってくると、口を開いた。

「父から私信があり、司令官閣下の御相談に乗るようにとのことでした。何かありましたか?」

 それは表向きのことで、シュヴァリエ中尉には既に、事の詳細が伝わっているのだろう。だが、情報を得る順序として、あくまで上官たるレイの顔を立ててくる辺りは、さすがだ。余計な問答は必要ない。レイは単刀直入に告げた。

「明日、当基地に、精神感応科攻略部隊所属ホセ・エステベス兵曹長が赴任してくるそうだ」

「それは……厄介ですね」

 驚いた演技まで自然にして、形のいい細い顎に手を当てたのも一瞬、ジャスミン・アンヌ・シュヴァリエは、すぐに目を上げて問うてきた。

「それで、シュヴァリエ大将の御指示は?」

 最早「父」ではなく「シュヴァリエ大将」と言う辺りもさすがと評すべきなのだろう。あくまで、彼女はレイの「補佐」なのだ。それも、とびきり優秀な。

「エステベス兵曹長も軍規に縛られているから安心して利用しろ、と。彼なら、ディープ・ブルーに対抗できるだろう、と。しかし、そう上手く事が運ぶものなのか……」

「成るほど……。御懸念は尤もです。では明日のカヅラキ上等兵曹、ソク上等兵の先行偵察が、エステベス兵曹長の到着よりも早く終わるように調整し、その後、閣下の指揮下に入ったエステベス兵曹長に、運用試験と称して軍規に抵触するような無理難題を与えて、運用試験に失敗したと御報告なさり、早々にエステベス兵曹長を送り返されては如何でしょうか」

 すらすらとジャスミン・シュヴァリエに提案される内、レイの中で、より早く難題を解決できる別の考えがまとまった。そう、運用試験に失敗した、ということにすればいいのだ――。

「いや、先行偵察を、エステベス兵曹長の到着時刻に合わせよう。兵曹長が先行偵察先に合流するようなタイミングで、先行偵察に出す」

「合流は……いつ指示なさるのですか?」

「無論、兵曹長が大気圏に入った後、この基地に向かう前だ」

 地表基地の司令官の権限は惑星の大気圏外には及ばない。逆に、大気圏内にさえ入って来れば、赴任してくる兵曹長は、自動的に地表基地司令官の指揮下に入るのだ。

「合流させて、どうなさるのですか?」

「厳しい『運用試験』を行なう。内容については、今はきみにも知らせないほうがいいだろう。この『運用試験』は、あくまで基地司令官たるわたしの一存で行なう。きみには、その時々で補佐を頼む」

「了解しました。では、失礼致します」

 ぴしりと敬礼して、回れ右し、シュヴァリエ中尉は退室していった。閉じた扉を見つめて、レイは口の中で呟いた。

「シュヴァリエ大将――おれの英雄マルセル・シュヴァリエは、この作戦を認めてくれるだろうか」

 答えは、事の成否によって決まるだろう。

 レイは、元のように司令官室の執務机に肘を突き、組んだ両手に額を乗せて、祈る形で、軍の罪を明るみに出さないための作戦の詳細を検討し始めた。


          ○


 地平線と水平線が眩しい。茜色、橙色、そして金色の陽光。夕季は、天空も地表も、全てが美しい。

「やっぱ、毎日『朝』が迎えられるって、いいもんだよな」

 展望室から、基地の移動によって訪れる、一五〇〇(ひとごーまるまる)時の通常の「日の出」を見ながら、イルシンは感慨深く言い、簡易車椅子に乗せてきたユウを見下ろした。

「はい」

 ユウは、顔を真っ直ぐ恒星エル・サルバドルに向けて、見えない両眼は当然細めもせず、全身で水平方向からの陽光を感じている。一日経って、昨日の二三〇〇(ふたさんまるまる)時頃にここで黎明の空を見た時よりも、元気になったようだ。

「じぶんの父と母も、この凪の大気を感じながら、じぶんとアサの名を考えたのかなと思います。ユウというのは、共通語で(ダスク)という意味で、アサというのは、共通語で(ドーン)という意味ですから」

「けど、おまえら双子だから、同じ日――少なくとも、同じ季節に生まれたんだろ? 何で、夕と朝って、違う季節の名が付けられたんだ?」

 イルシンがふと感じた疑問を口にすると、ユウはひどく自然にきょとんとした様子で、垂れ目気味の両眼を瞬いた。

「誕生日は同じです。この惑星サン・マルティンは、基準時間で言えば、二年をかけて漸く季節が一巡りしますから。じぶんとアサが生まれた日は夕季でしたが、一年後の次の誕生日は朝季でした。そういうことです」

「ああ、そうか。成るほど、ややこしいな」

 イルシンは頭を掻いた。少し考えれば分かることだった。ユウはしかし、大して気にしたふうもなく、話題を変えた。

「出発時刻等はまだ知らされてませんが、いよいよ明日、プエブロ・ヌエボ開拓場へ、先行偵察に行きます。同行、宜しくお願いします」

 硬い口調には、静かな決意が滲んでいる。細い首の上の横顔は、初めて会った四日前とは、全く違うように見える。あの頃は、油断がならないとしか思っていなかったカヅラキ・ユウが、今は、イルシンの生活の真ん中にいる。

「ああ、任せとけ」

 イルシンは、簡易車椅子に座ったユウの華奢な肩にそっと手を置いた。力付けようとしたその動きが、車椅子の背凭れが邪魔で、多少ぎこちなかったかもしれない。ユウが怪訝そうに顔を上げた。小さな顎が上がり、金色の陽光が、桜色の唇に当たる。ふとその桜色に見入ってしまって、イルシンははっとして視線を逸らした。ユウには、こんな思いまで筒抜けかもしれないのだ。恐る恐る、もう一度表情を窺うと、ユウはまだ怪訝そうな顔をしたままだったが、特に嫌悪を感じた様子もなく、また、昇り行くエル・サルバドルのほうを向いた――。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ