第3次世界大戦と第4次世界大戦
※作者注
第四話は、西暦二〇七四年から二一二二年までの歴史を紹介する話ですが、長いのでごく短く要約しました。
テンポ良く読みたい方は、要約部分だけ読んで次の話に進んでいただいても、とりあえず差し支えありません。
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要約
全面核戦争でもある第三次世界大戦を生き残った地下都市神戸は、人工知能体MCPUの操る多数の無人兵器群に遭遇した。
戦前に発明品を生み出すために作られたこのMCPUは、なぜか人間達を襲う。
ジオフロント軍はMCPUに戦いを挑むも敗北し、地下都市の勢力圏は都市中心部から半径一〇〇キロメートルの地下領土のみとなった。
現在の機械兵器軍との戦争は第四次世界大戦と呼ばれる。
要約ここまで
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今から四八年前の西暦二〇七四年、二つの核保有大国の権益争いをきっかけとして、第三次世界大戦が勃発した。互いの敵国の大都市や同盟国を標的として飛び交った数千発の大陸間弾道弾《I C B M》は、人類の約4割を即死させた。
分裂する多弾頭ミサイルや、探知の困難なステルスミサイル、発射位置を自在に決められる潜水艦の海中発射ミサイルに対して、どの国の防空体制も無力に等しかった。
かろうじて生き残った者達も、”核の冬”と呼ばれる人為的災害によってほとんどが死に追いやられた。強力な核爆発によって空に吹き上げられた大量の塵が、太陽光を何年間にも渡って遮り、世界的な気温の低下を引き起こしたのだ。太陽光の遮断と冷害のために、農作物は収穫量が激減し、大量の餓死者を生んだ。
放射性物質を含んだ塵は、ジェット気流に乗って世界中に拡散していた。そこから舞い降りた、いわゆる”死の灰”で人々は放射能に被曝し、さらに死亡者が増加した。
地上に住む人間は絶無となった。
全面核戦争の勝者は存在せず、ただ大量の死者のみが残された。二〇世紀半ば頃に開発された核反応兵器は、二一世紀後半においても、いまだ有効な大量殺戮手段であることが証明されたのだった。
しかし、人類は絶滅したわけではなかった。核シェルターに避難した者や、ジオフロントと呼ばれる巨大地下都市の居住者達が、熱衝撃波と地表を覆う放射性物質から、隔離されて生き延びたのだ。
地上に広がった様々な放射性物質が、人体に無害なレベルまで弱まるまでの時間は、甘く見積もっても数百年、慎重に見積もれば十万年以上とされたから、地下の生存者達は、地上の復興をきっぱりとあきらめた。
人間達は地下で生きていくための努力を始めた。
世界各地の地下都市は、消滅した中央政府の役割を担うべく、司法・立法・行政機関の再構築に着手した。こうして、都市そのものが小さな国として機能する、都市国家が誕生した。生存者達は、まずそうしなければ、無秩序と混乱の内に人類は滅亡してしまうだろう、と恐れたのだ。実際に、弱肉強食のもとで相争い、衰亡してしまった地下都市もいくつかあった。
神戸ジオフロントでも、地下生活を自己完結するための、様々な施策が採られた。地下施設の拡張、多産の奨励、清浄な水の確保、人工照射光を利用した地下農業、人工タンパク質と部分細胞複製による食肉生産、配給制度の確立、科学技術知識の集約と記録と教育、下水やゴミの徹底した分解と再利用など、市民達は多大な労力と時間を費やして絶滅を回避しようとした。
電力供給は、二一世紀中盤にすでに実用化されていた、レーザー核融合炉によって補われた。核融合炉はクリーンで、動力も水さえあれば、エネルギー供給が続けられる。神戸港近くに建設された神戸ジオフロントには、無尽蔵と言えるほどに水があった。
空気は多重のナノフィルターを通して、地上から取りこんだ。地下の栽培植物や水の分子分解による酸素生産も併用され、分解された水の水素の方は、備蓄されて機械の動力源として使われた。
都市国家の内政が安定してくると、高高度無人航空機が作られ、生き残った他都市の捜索がおこなわれた。光学カメラだと地上の廃墟しか映らないが、地下都市から排気される二酸化炭素や熱源の探知をしたり、発信される電波を拾った。
そうして世界に散在し、存続する事が確認された地下都市は、ウラジオストク、ボストン、サンパウロ、ヘルシンキ、カナン、トゥールーズ、などの一五都市だった。
放射能汚染され、荒廃した地上を長時間移動できないために、直接の行き来は非常に困難だったが、ともあれ、自分たちの住む街が人類最後の都市でないことを知って、互いそれぞれが安堵した。
人類の再興に力を尽くしたのは人間だけではなかった。当時すでに実用段階に入っていた高知脳ロボット達が、危険地帯での作業や、効率的な工業・農業生産に大きく貢献し、人類の生存率を飛躍的に高めたのだった。
都市国家の内、神戸、ネオシリコンバレー、台北、バンガロール、ミュンヘンなどの元ハイテク都市には、ロボット生産企業の工場が技術者と共に残っていた。ロボット達は慢性的な人手不足を解消するために、有効に活用された。
そして各都市の努力によって世界人口は増加傾向に転じた。
全面核戦争から二五年たった西暦二〇九九年。地下に住む世界の総人口は、一九五万八〇〇〇人にまで回復していた。核戦争直前の一一〇億人の人口に比べれば微々《びび》たるものであったが。
人間とロボットの共存(主従)関係が暗転したのは、この年だった。
生産食料に余剰が生まれ、配給制度を廃止するほどのゆとりができた神戸ジオフロントは、多産奨励政策も効果を発揮して、人口は一四万七〇〇〇人にまで増加していた。
そんな折に、神戸ジオフロントの、無人航空機で中継した他都市との連絡が突然とだえた。相手の都市が消えたのではない。無線中継の航空機が何者かによって撃墜されたのだ。それも複数飛ばしていた全てがだった。
危険をおかして汚染された地上に出、新たな無人機を飛ばしたが、それと同じ数だけやはり撃墜された。
無人機にぶつかってきた高速飛行物体は、最後に残っていた記録映像から、対空ミサイルと思われた。神戸は連絡を取り合っていた外国の都市国家とは友好的な関係を保っており、何者が何の目的でこのような事をするのか見当も付かず、市民は不安を感じ始めた。
そして、同じ事が地下でも起こり始めた。神戸から名古屋方面へ送られた地質調査隊が消息を絶ったのだ。
ジオフロント政府は、生存者の捜索のために、有線通信の途絶えた場所へ、軍の機動歩兵部隊を二個小隊派遣した。そして、彼ら六〇名の兵士達もまた、そのまま帰ってこなかった。
派遣部隊の消失に驚いた軍総司令部が、続いて偵察ドローンを送りこんだ所、そこで友軍兵士達の遺体と、多数の昆虫型ロボット兵器を発見した。
なぜ、旧名古屋市の辺りに正体不明の無人兵器がいるのか?
名古屋に生存者がいて、それを防衛用に配置したのか?
それとも外国の都市国家が送りこんだ侵略兵器なのか?
映像情報を元に、過去知識保存の目的で作った情報ライブラリを検索して調査が進められた。しかし、どこの国の兵器にも該当、あるいは類似する物は見あたらない。
次に、無人兵器の捕獲作戦が実行された。作り出した者の正体をつきとめるため、鹵獲したロボット兵器から制御プログラムが吸い出され、走査がおこなわれた。
そして黒幕が判明した。
戦前には、コンピュータプログラムの著作権を保護するために、制作企業やプログラマーのデジタル署名が、プログラムの中に埋めこまれていた。機械兵器の制御プログラムを作成した者も、今や無意味となった戦前の習慣を踏襲し、律儀に署名をしていたのだ。
ただし、それは人間でなかった。
人工知能体MCPUの仕業だった。
ジオフロント当局は、MCPUの情報を詳しく調べた。
MCPUは、核戦争ほぼ直前の二〇七二年、名古屋の学術機関を拠点にして国際共同開発された、人脳模作AIだ。人間の脳細胞と同じ働きをする極小構造体を、微細加工技術で量産し、連結して人工知能体として作り上げたものだった。
人間の脳でいう、情動や本能を司る大脳辺緑系の部分は、作られなかった。人工知能に感情を持たせるのは危険だし、やる気の有無で作業にムラができては研究の邪魔になる、と思われたのだ。そもそも人間の脳を再現する事が目的ではなかった事もある。
MCPUに与えられた命令は、知識を自力で集め、自己学習し、新たな発明を生み出すことだった。知能指数は、常人の倍である二〇〇に設定された。情報収集のためにネットに繋がれ(ウイルス対策はもちろん施された)、制作用ロボットアームと作業台も与えられた。
感情を排し、24時間発明に没頭する人工の天才知能は、なにを生み出すのか。
発想の過程を観察研究すると同時に、新しく生み出される発明品を期待されて、MCPUは起動された。
MCPUは人間に監視されつつ、民間技術から軍事技術にいたるまで知識を吸収した。そして、人間が思いもしなかった既存技術の組み合わせや改良で、様々な発明品を作り出した。
中には費用対効果が低すぎて人間に没案にされた物もたくさんあった。それでも人工知能の自由な発想を妨げないように、研究者達は禁止事項を設けず二年間作動させ続けた。物によってはMCPUの発明の原案を取り入れ、コスト削減などの改良は人間の方がすればいい、と考えられたからだ。
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しかし、二〇七四年の第三次世界大戦開戦によって、研究は中断された。MCPUを誰も停止させなかったのは、当時の戦争による混乱のためと思われた。研究過程の報告記録は途中で終わっていた。
ジオフロント当局は困惑した。
発明品を生み出すだけの人工知能が、起動から二五年経った今、なぜ人間を襲うのか。MCPUはさらに誰かから操られてるのか。謎は深まるだけだった。
MCPUが設置されていた学術研究所は、地下にあったおかげで核ミサイルによる破壊を免れたが、そこにもその周辺にも、人間を何十年も養えるような施設はないはずだった。よって、現在のMCPUは人間に操作されず、自立して行動していると結論づけられた。
人間に危害を与える物は脅威と見なし、排除するしかない。神戸ジオフロント市議会でMCPU攻撃の決議がなされた。
ジオフロント政府は、MCPU制圧のために、一個大隊規模、都市人口の四%にあたる六〇〇名の兵力を攻撃作戦に投入した。都市防衛の兵力を差し引いて、当時投入できる最大規模の遠征戦力だった。二五年の間に一度も外敵に襲われる事のなかった神戸ジオフロントは、小さな防衛軍を維持していただけだったのだ。
そしてジオフロント防衛軍は敗北した。
MCPUの根拠地に結びつく地下道に侵入し、電磁パルス兵器で攻撃をしかける作戦だったが、行軍中に分岐路から奇襲を受け、部隊間の連携を分断された。攻撃部隊は多数の死傷者を出して、撤退を余儀なくされた。
敵拠点に攻撃をしかけるのは最初から不可能だった。そこに至るまでの地下道には、無人兵器が無数に配置され、防衛に有利な戦略的縦深を確保されてしまっていたのだ。
放射能に汚染された地上もまた、進軍は不可能だった。防護処置をして地上に出たとしても、水陸を浮揚移動する大小の無人兵器が睨みをきかせていた。無人機を離発艦させる航空母艦や、ミサイル駆逐艦の役割をする大型空中機動兵器が混じっていたことから、人間達からは制空艦隊と呼ばれ、恐れられた。
ジオフロント軍がMCPU本拠地の攻撃に失敗した後、市民達は昆虫や動物の姿を模した無人兵器が、報復攻撃で都市に押し寄せてくるのを想像してパニック寸前になった。しかし、都市への襲撃はいつまでたっても起こらなかった。その後何十年も。
敵の気味の悪さは、兵器の見た目だけではない。その戦略もまた、不気味だった。大量の機械兵器をどこかで生産しているはずなのに、それを人間が居住する都市の攻略に投入してこない。広い地域に分散させて、都市から離れようとする人間だけを狩るのだ。
ジオフロント防衛軍は長年かけて、MCPU軍の動向を探った。過去二三年の間に、犠牲を出しつつ偵察を繰り返した結果、機械兵器に襲われる場所とそうでない場所が徐々に判明していった。
それらの境界地点を立体地図上で結びつけると、都市を中心として、地上を除いた地下半径約一〇〇キロメートルの、サラダボウルのような半球形が出来上がった。敵から一方的に、領土の境界線を決められてしまっていたのだ。
しかし、こちらの居場所を把握しておきながら、なぜ攻めこんでこないのか?MCPUは平和協定を申し出てくるわけでもないのだ。
神戸ジオフロント軍は、小さな安心と、絶えない恐怖の入り交じった心境で対策を講じている。都市の中心部の防御隔壁をさらに厚くし、防衛軍の編成数を増やし、兵器の備蓄を進め、兵の訓練をたゆまず行い、地下道路に迎撃兵器を設置し、ケンの率いる分隊がしていたように、防衛線の外縁ぎりぎりに早期警戒部隊を送りこんでいた。
成功率は低かったが、領土外域の探索も根気よくおこなわれていた。偵察には主にジオフロント軍の小型無人車と、それを母機にする飛行ドローン達が敵勢力圏に送られ、可能な限り地下道の捜索を続けた。破壊を免れて帰ってきたいくつかのドローンは、MCPUが掘削した、未知の長距離トンネルを多数発見していた。中には海底の下をくぐる物すらあった。
MCPUは、地理的には旧名古屋の位置に根拠地を置いていたが、二〇年以上かけて世界の他地域にも勢力圏を伸ばしていった、と推測された。人間を敵と見なし、他方面に長距離トンネルを掘ったMCPUが、神戸ジオフロントだけを標的にする事はあるまい、と思われたのだ。
他都市との連絡は取れず、警告すらも送れなかったが、おそらく外国の都市国家もMCPU軍と交戦中であるとされていた。
現在二三年間続いている人類とMCPUの戦争は、第四次世界大戦と呼ばれている。