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龍馬は突然右頬に生じた痛みで目を覚ました。何が起こったのか確認する間も無く、立て続けに今度は左頬を叩かれた。
「ぐ…」
カメラのフラッシュを焚いた時のように視界が瞬きぼやけている。顔に手を当てようと動かそうとするが、腰辺りで引っかかりを感じ動かすことができない。
「な、縄…?」
両手は後手に縛られていた。外そうと身じろぐが、しっかりと結ばれているのかビクともしない。
「何がどうなって…」
るんだ、と声に出す前に再び右頬を叩かれた。
「お前、どうやってここを見つけた」
いつからそこにいたのか、頭上から聞こえてきたその声は声質から女性だとわかった。視界は未だにぼやけているためその姿をはっきりと見ることはできない。
「おい、さっさと答えろ」
髪の毛を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。目の焦点がだんだんと合い、そして目の前の女性と目があった。
目の前で睨みつける女性は短い茶髪に紅い瞳、口元には鋭い牙を覗かせ、そして綺麗に揃えられた前髪ののその上、ふわふわと柔らかそうな髪の中に三角形の物が左右対称にぴょこんと生えていた。
俺はそれを良く知っている。幼い頃から動物が好きで、四六時中動物と触れ合っていた。その中でも一番好きだったのが…
「猫...?」
「…ッ! だから何だ! 猫で悪いか!」
「何も言って、ぶっ!」
目の前で火花が散った。頭の中が真っ白に、或いは真っ黒にもなったような気がして、一瞬遅れてジンジンとした痛みが右頬を襲った。先程はビンタだったが今度はグーだった。何倍も強い衝撃が右頬を襲い、顔が左側に吹っ飛んだ。
「いいからさっさと答えろ!どこから入ってきた!仲間はどこにいる!」
喋らないならまた殴ると、言わんばかりにその固く握り締められた拳を弓のように引き絞る。
「ちょ、ちょっと待って!自分にも何が何だか、目が覚めたらここで縛られてたんだよ」
「それはお前らがこの場所を嗅ぎつけてきたからだろ!くそっどれだけ追いかけてくるつもりだ」
悪態をつきながら近くにあった椅子を蹴飛ばすと、ガタタッと木製のドアが動き、何かが引っ込んだ。じっとその場所を注視していると、恐る恐るといった様子で覗き込んでくる人影が見る限りでは3つ。いずれも子供のようだった。
「お前ら覗くなって言っただろ!」
「やべばれたっ!」「おこられる!」「にげろー」
拳の矛先が自分達に向いたことがわかり、子供達がドタドタと廊下を走って逃げていった。
全くあいつらは…と小言を漏らしているが、そこに不平や不満はないようで、どこか暖かく母性のような物を感じた。
そしてこっちを向き直った時、その表情は何かを覚悟したようだった。
「…あいつらは見逃してやってくれないか。私はどうなっても構わない、だけどあいつらだけは!」
その女性からは藁に縋るような、僅かでも可能性があるならばどうにかしたい、という必死さがひしひしと伝わってきた。此方に向き直り頭を下げているため、その表情は伺えない。だがその背中はとても小さく小刻みに震えているようだった。
その姿を見るにまだ二十歳にもなっていないだろう。それなのにも関わらず、この少女は自らを犠牲に何かを守ろうとしている。
そんな姿を見て尚、自分がかけてやれる言葉は決まっていた。
「え、えーっと 一体なんの話しかな?」
「え?」
「「……」」
彼女は顔を上げるなりキョトンとした顔で声の主を凝視する。呆ける龍馬を見て、何を勘違いしたのかその視線が絶対零度の如く冷たく、鋭いものに変わった。
背筋に薄ら寒いものを感じたが、この時その誤解に気がつくことができなかった
「…わかりました」
声の主はさっきの人と同一人物なのか。そう思えるほど彼女から出た声は先程の弱々しいものではなく、低いドスが効いたものに変わっていた。それに何がわかったのか全く分からない。
頭に疑問符を浮かべていると、突然彼女が上着を脱ぎ始めた。
「…ッ!!ちょ、ちょっと何やってんの。なんで脱ぐの。やめろって。脱ぐな!脱ぐのやめい!」
その後も龍馬の真意は伝わらず、そんな二人の姿を見て子供達は二人が楽しそうに戯れているように見えたという。