魔法界大使館にて
夢喰い襲われ、リオンという魔術使いの少女に助けられ、よくわからない魔法を掛けられていたことが発覚した俺は、言われるがままに、彼女の言う「本部」に同行することになった。
アスファルトに打ち付けた後頭部がまだジンジンと熱を持って痛んだが、リオンはお構いなしに俺の前を歩いていた。杖は持っていなかった。彼女によると、杖をはじめとする仕事道具は、自分で管理できる別の空間に保管できるらしく、巡回などの道具が不要な時は大抵そこにしまってあるそうだ。まあ確かに、杖を持って歩くと目立ってしょうがないだろう。それを避けるためでもあるのだろう。
自転車を押しつつ後からついていく俺の方は一瞥もせず、ただ黙々と歩くこと30分かそこらは経過しそうだった。既にあたりは暗くなり、ビルの明かりが煌々と光っていた。
「…あのさ、どこまで行くんだ?」
「本部だと言ったろ。」
「いや、そういうことじゃなくてさ…」
静寂に耐え切れなくなり、おずおずと話しかけてみたものの、けんもほろろ。ここまで無口な女性は見たことがない。元からこういう性格なのだろうか、本人は無駄話はあまり好きそうではなさそうだ。
とはいえ、そろそろあとどれくらいかは教えてくれてもいいんじゃ…。
「着いたぞ。あそこが、私たちの本部を兼ねている『魔法界大使館』だ。」
「お、ようやくか……。」
「…はい?」
簡潔に説明され、ほっとしてつい流されそうになるが、最後の方に聞こえた単語が脳で反芻されるにつれ、そして目の前に見えた大きなビルと門の近くにいる警備員、そして日本の国旗と魔法界を象徴するといわれている六芒星をあしらった旗を認識して、自分がだんだん冷や汗をかいてきたことを実感した。
「…た、大使館って、あの、外国の大使とかがいる、あの?」
「そうだ、私も一応、ここの職員となっている。」
またしてもさらりと言われたセリフに、俺は大きく目を見開いた。
大使館、しかも別の世界から来た存在が滞在している場所に案内されたことがある一般人は、きっと俺だけだ、絶対。断言できる。
「何突っ立っているんだ、行くぞ。」
「へ?あ、ちょっ、ちょっと、待てって!」
そんな俺を置いてさっさと門をくぐって入り口前の階段を上がるリオンを追うために、門の警備員に駐輪場所をそれとなく聞き、預かってくれるというので感謝の言葉を述べながら門の近くに自転車を停めて、階段を駆け上がった。
駆け上がった勢いで入ってしまった魔法界の大使館は、人間の大使館と完全に逸脱していた。
貴族の屋敷と似たようなインテリアはあるが、明かりは電気で点く電球ではなく、火のような暖かさが感じられるような、実体を持たない光の球だった。それが燭台の上でフワフワと浮いている。天井を見ると、豪華なシャンデリアの電球の部分にも、光の球が灯されていた。内装はリフォームしたのだろうか、外観の雰囲気には合わない、白黒のチェック柄のタイルとグレーの壁といったシックな感じだった。
そうやってあたりを見回していると目の前を積み重なった数冊の本が宙を浮いて通り過ぎていった。ギョッとしてそれを視線で追うと、一番下の本の更に下に、掌サイズの何かが懸命にバランスをとりながら本を運んでいるのが分かった。よくよく見ると、童話に出てきそうな小人に見えたが、薄く透き通った翅が背中についていたので、妖精だと分かった。もっとよく見てみたいと思ったが、「何をしている、早く来い。」というリオンの冷たくともよく通る声が飛んできたので、名残惜しいが諦めて彼女の後をついていった。
エレベーターホールで昇りのボタンを押したリオンを見て、「機械に慣れているんだな」という密かな発見をしているうちに、扉があいた。
「乗れ。」
殆ど脅迫のように聞こえる指示に従うしかない俺は、リオンと一緒にエレベーターに乗り込んだ。リオンが6階のボタンを押し、閉まろうとした時だった。
「わーっ、タンマタンマ!そのエレベーター待ってくれ‼」
そう言いながら、走ってくる人影が見えた。リオンの方を見ると、毎度の事なのだろうか、半ば呆れながら「開」のボタンを押していた。
そうして乗り込んできたのは、声で分かっていたが、男だった。扉が閉まっていくなか、「は~助かった、どうもな。」と息を切らしながらいう彼の身長は俺より少し高いくらいで、180cmだろうか。髪は濃い茶髪で少し長く、後ろで短く纏めて結んでいた。魔法界のスーツみたいなものだろうか、漫画とかにでてきそうな白い制服を着ている。肩幅は割とがっちりとしていて、たくましく見える体型をしている。目は猫のように細く、瞳の色は見えないが、格好と場所から考えて、恐らく彼も赤瞳族だと考えると、赤いのだろう。
息を整えながら、扉を開けてくれた人に改めてお礼を言おうとしたのだろう。リオンの方に顔を向けた。
「や~、ラッキーだったわ。どうもありが…。」
そこまで言って、彼は言葉を切った。俺からは顔が見えないが、微かに息をのむ音が聞こえた気がする。
「またお前か。なんでいつも私がエレベーターに乗る時に限って滑り込んでくるんだ。」
リオンは嫌悪感をそのままあらわしたような声で彼に言った。どうやら、よくあることらしい。
「さ、さあ…、なんでだろうな…。」
言葉に詰まりながら答える彼の視線が俺の方に向いた。数秒の沈黙が降りた後、彼の口があんぐりと開いた。まあ、当然だろう。異なるものしかいないはずの自身の職場に人間が、しかも政界の人間ではない一般人がこの大使館のエレベーターに乗っているんだ。驚かない方が変だ。
「えぇっ!人間!?なんでここに!?」
そのセリフと共に視線は再びリオンの方に向けられた。少し芝居がかったような口調だったが、説明してくれと言わんばかりのそれに、リオンはため息をつきながらも口を開いた。
「そいつは被害者だ。住宅街で十数体の夢喰いに襲撃されてな。手首に〝呪印〟もあるし、指名手配者と思われる奴からも接触があったらしい。狩りの現場も見られたしな。」
「うわ~、それはまた、ツイてないね、君。」
そう言いながら俺を見た彼の目は、同情というより、俺に興味があるように見えたような気がしたが、気のせいだろうか、それはすぐ消えてしまった。
「で、君の名前は?」
「あ、藍澤秀です。初めまして。」
「秀君か。初めまして、俺はキース・コルト。宜しく。」
そう言いながら、手を差し伸べてきたので、俺も手を出して握手した。
「で?お前は魔法界に仕事だったんじゃないか?」
リオンが自分より頭2個分くらい高いキースさん(年上に見えたから一応敬称を…)を見上げるようにして尋ねた。
「あー、まあね。けど、一応区切りがついたから戻ってきたんだ。人間界の仕事の方が山積みだしね。」
キースさんが伸びをしながら答え終わると同時に、6階に着いた。どうやらキースさんも6階に用があるらしく、俺達と一緒に降りた。
「じゃあ、これからクロウさんのところに?」
「ああ、報告とコイツの今後についてな。」
ここに来る前に名前を聞いてきたのに、俺の事を一切それで呼んでないことに気づいた俺は、じゃあどうして名前を聞いたんだと内心軽くツッコミをいれた。
クロウさん、とは上司の名前だろうか。どうもあの時、緊急事態とはいえ、夢喰いを撃退するところは見られてはいけないらしく、その事も報告するようだ。実際には、目をつぶったのでほとんど何も見てはいないのだが。そう思っていると、「あれ?」とキースさんが首を傾げた。
「でもさ、クロウさんも魔法界に行っているんじゃなかったっけ?」
「え?」
俺は思わず聞き返してしまった。リオンがついて来いと言ったのは、ここにいるという前提でだと思っていたからだ。しかし、リオンはその無表情を変えることはなく、「ああ。」と答えた。
「だが、さっき簡単に報告したら、一度戻ってきてくれる言った。」
「それって、秀君に接近した例の指名手配者のことがあるから?」
「そうだ。」
指名手配者。それは恐らく図書館であったアイツの事だろう。左右で色の違う瞳、緑の髪。あれがコスプレではないとしたら、多分魔法界の住人なのだろう。だとすれば、向こうで犯罪でもやって、指名手配されたのだろうか。
キースさんは、その指名手配者に興味を持ったようだ。
「それ、誰だかわかってるの?」
「ああ。コイツの証言が正しければな。」
「けどさ、それって魔法でわざわざそういう変装をしたってことは?たまにいるじゃん、模倣犯って奴が。」
「それはない。その経歴を知っていれば、アイツに化けようとは誰も思わないはずだ。」
リオンがそう言い終わると同時に、キースさんは歩を止めた。
その顔は緊張しきっていて、目もわずかに見開いていた。
「…?」
俺が首をかしげると同時に彼は口を開いた。
「おい、まさか…」
「……タクトだ。奴は、今、人間界側にいる。」
『タクト』。その名前が出た途端に2人の間に緊張が走った。が、さっぱり意味が分からない俺は、「あの…」とキースさんに聞いてみた。
「そんなにやばい奴なんですか。」
「うん…、かなりね。」
エレベーターの中とは打って変わった声のトーンに少し緊張した俺の耳に、とんでもないセリフが突き刺さった。リオンは、それを聞くなとは言わず、改めて確認するように、眉をひそめて聞いていた。
「彼はね、悪魔喰いという、悪魔を喰らって魔力を得た存在。元は…人間だったんだよ。」