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婚約破棄されたので、秘密結社『黒薔薇の会』に入会しました

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/10/14

間違えて連載で投稿してしまったので、短編として、投稿し直します。


「セレスティーヌ・ベルモント! 君との婚約を破棄する!」


 王都の劇場で開かれた春の舞踏会。

 大勢の貴族が見守る中、私の婚約者であるエドガー伯爵令息は、堂々とそう宣言した。


 彼の隣には、淡い桃色のドレスを着た令嬢が寄り添っている。男爵家の令嬢、ミリアだ。


「私は真実の愛を見つけた。家同士の都合で結ばれた君との婚約を続けるつもりはない」


 あまりにも聞き覚えのある台詞だった。

 先月、隣国の舞台劇でまったく同じような台詞を聞いたばかりだったからだ。


 ただし、劇の主人公は婚約者を捨てた王子で、捨てられた令嬢は最後に素晴らしい騎士と結ばれていた。

 ……現実は、そんなに都合よくいかないだろうな。

 婚約破棄された令嬢の末路で、良いものはあまり聞いたことがない。

 何人かは上手く生活しているらしいけど。


 私はそこまで考えてから、彼に対して言葉を紡ぐ。

 もう既に心は決まっていたから、すぐに言葉が出てきてくれた。


「……承知いたしました」

「なに?」

「婚約破棄をお受けいたします、と申し上げました」


 エドガーは拍子抜けした顔をした。

 おそらく彼の予想では、私が泣き叫んだら、掴みかかったりすると思っていたのだろう。


 私は泣きもしなければ、彼にすがりつきもしなかった。


 だって、三年間の婚約生活で、私は彼に何度も失望していたのだから。


 約束した観劇に来なかったこともある。

 私の誕生日に贈ると言った花を、ミリアに渡してしまったこともある。

 私が嫌だと伝えたことを、彼はいつも笑って押し通した。


 それでも、いつかは変わってくれるのではないかと思っていた。


 けれど、今日、彼は大勢の前で私を捨てた。

 もう十分だ。


「待て。君は婚約破棄の意味を理解しているのか?」

「ええ。私とあなたは、これで他人です」

「そういうことではない! 君はベルモント侯爵家の娘だろう。もう少し、家の立場を考えて――」

「あなたは今、ご自分の立場を考えていらっしゃるの?」


 初めて、彼の言葉を遮った。


「私を捨てて、ミリア様を選ぶのでしょう? ならば、これからは彼女を大切になさってくださいませ」


 私は優雅に一礼し、踵を返した。

 背後から何か言われた気がしたけれど、振り返らなかった。


 こうして、私の三年間の婚約生活は終わった。

 そして、このときの私はまだ知らなかった。

 婚約破棄されたことが、私の人生で初めての幸運になるとは。







 ◇


 婚約破棄から十日後。

 私は王都の菓子店で、見知らぬ女性に声をかけられた。


「あなた、セレスティーヌ・ベルモント様ね?」

「そうですが……」

「少し、お時間をいただけるかしら」


 女性は三十歳前後だろうか。

 深い緑色のドレスを着こなし、落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 見覚えのない顔だった。


「わたくし、アデライドと申します。突然だけれど、婚約破棄された女性のための秘密結社――『黒薔薇の会』に興味はない?」

「……はい?」


 思わず聞き返してしまった。

 秘密結社?

 婚約破棄された女性?

 黒薔薇の会?

 突然この人は何を言っているのだろう。


 そんな様子を見て、彼女は更に口を開く。


「怪しい宗教ではないわよ。もちろん、犯罪組織でもないわ」

「それは、普通はご本人からおっしゃることではないと思いますけれど」

「あら、確かに」


 アデライド様は楽しそうに笑った。

 その後、真面目な表情でとある言葉を言う。


「わたくしも、婚約破棄された経験があるの」

「――!」


 彼女の話によると、その組織は五年前に結成されたらしい。

 婚約者の浮気、身勝手な心変わり、家の都合、そして一方的な責任転嫁。

 悪いことなど何もしていないのに、相手の都合で婚約を破棄された女性たちが集まり、互いを助け合っているのだという。


「わたくしたちの目的は三つ。傷ついた女性を慰めること。新しい人生を歩む手助けをすること。そして――」


 彼女の目が、きらりと光った。


「自分勝手な婚約破棄をした男に、相応の後悔を味わわせることよ」

「……最後のものだけ、ずいぶん楽しそうにおっしゃいますね」

「当然でしょう?」


 アデライド様は胸を張った。


「泣き寝入りだけが淑女の美徳だなんて、誰が決めたの?」


 私は言葉を失った。


 泣き寝入り。

 まさに、私がしようとしていたことだった。


 家族には心配をかけたくない。

 友人には同情されたくない。

 だから、婚約破棄など大したことではないと、自分に言い聞かせていた。


 けれど、本当は。

 悔しかった。

 悲しかった。

 あれほど私を振り回しておきながら、最後には自分だけが幸せになるつもりのエドガーが、許せなかった。


「……私にも、何かできるのでしょうか」

「もちろん。あなたに特別な才能なんて必要ないわ」


 アデライド様は、私の手を取った。


「あなたは、あなたの人生を取り戻せばいいの。そのお手伝いをするのが、わたくしたちよ」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。

 私は、小さく頷いた。


「ぜひ、参加させてください」








 ◇


 秘密結社の本拠地は、王都の一角にある古い仕立屋の二階だった。

 看板には、女性服の仕立てを示す刺繍が施されている。

 まさか、ここが秘密結社だとは誰も思わないだろう。


「ようこそ、婚約破棄された淑女の会へ!」


 扉を開けた瞬間、六人ほどの女性たちに出迎えられた。

 皆、身分も年齢も異なっていた。

 話を聞くと、子爵令嬢もいれば、伯爵夫人になり損ねた豪商の娘なんかもいらっしゃった。


 そして、全員が驚くほど明るかった。


「私は婚約者に妹を紹介したら、そのまま妹と婚約されたのよ!」

「私は『君は刺激が足りない』と言われて振られました。刺激って何よ、火薬でも詰めればよかったの?」

「私はね、婚約者が恋人に贈る指輪を選ぶのに付き合わされた挙げ句、婚約破棄されたの!――私の指輪だと思っていたのにね!」


 次々と飛び出す話に、私は目を丸くした。


 ひどい話ばかりなのに、彼女たちは笑っている。

 もちろん、傷がなかったわけではないだろう。

 ただ、傷つけられたことを恥じていないのだ。


「セレスティーヌ様は、どんな理由だったの?」


 尋ねられ、私はエドガーとの出来事を話した。

 すると、皆の表情が一斉に変わった。


「真実の愛?」

「家同士の都合?」

「大勢の前で宣言?」


 沈黙。

 そして。


「よし、やりましょう」


 アデライド様が立ち上がった。


「何を、ですか?」

「彼に後悔していただくのよ。ただし、こちらから嫌がらせをするわけではないわ」


 彼女は指を一本立てた。


「まず、あなたは今まで通りに生活する。彼に連絡しない。彼の様子を探らない。そして、彼のために空けていた時間を、自分のために使う」

「それだけですか?」

「ええ。それだけ」


 拍子抜けするほど、簡単だった。


「あなたが彼の顔色をうかがわず、彼の都合に合わせず、彼の機嫌を取らずに暮らす。それが第一歩よ」


 ――そもそも他人だしね。


 と、彼女は語った。

 それに対し、私は首を傾げた。


「それで、彼が後悔するのでしょうか」

「後悔するかどうかは、彼次第。でも、あなたが彼を必要としなくなることは、あなた自身で決められるわ」


 その言葉は、不思議なほど心に響いた。


 私はこの会に入ってから、エドガーを後悔させることばかり考えていた。


 彼に惜しまれたい。

 彼に間違いだったと認めさせたい。

 その上で、謝ってもらいたい。


 でも、それでは結局、彼の気持ちに自分の幸福を委ねているのと同じではないか。


 私は彼の婚約者ではなくなった。

 ならば、もう彼の評価など必要ないのだ。


「……やってみます」


 私は笑った。

 今度こそ、自分のために。







 ◇


 それから一か月が経った。


 私は友人と出かけ、好きだった刺繍を再開し、以前から気になっていた菓子店にも通うようになった。

 特別なことなど何もしていない。

 

 秘密結社の女性たちは、私をいろいろな場所へ連れ出してくれた。

 ある日は観劇。

 ある日はお茶会。

 またある日は、婚約破棄された女性だけが集まる夜会だった。


 そこでは、誰も私を哀れまなかった。

 私が婚約破棄された理由を聞いても、同情のため息をつく人はいなかった。

 代わりに、誰かが必ず言うのだ。


「そんな男、別れて正解よ!」


 私は、少しずつ笑えるようになった。



 そんなある日のこと。

 仕立屋を出たところで、エドガーに呼び止められた。

 偶然出会った所だった。


「セレスティーヌ!」


 振り返ると、彼はひどく疲れた顔をしていた。


「久しぶりだな。元気そうじゃないか」

「ええ。おかげさまで」

「……そうか」


 彼は何か言いたげに視線をさまよわせた。

 私は、彼の隣にミリアがいないことに気づいた。


「ミリア様はご一緒ではないのですか?」

「彼女とは……少し、うまくいっていない」


 予想通りの言葉だった。

 黒薔薇の会からもその情報は貰っていたし。


 ただ。

 彼は真実の愛を選んだのではなかったのだろうか。

 そう思った。


「ミリアは、私が思っていたような女性ではなかったんだ」

「そうなのですか」

「君なら、私の気持ちを理解してくれると思っていた。君はいつも私を支えてくれたから」


 私は、思わず笑いそうになった。


 この人は、まだ何も分かっていない。

 私が彼を支えていたのは、彼を愛していたからだ。

 彼が私を支えてくれたからではない。

 彼が私を大切にしてくれたからでもない。


 ただ、好きだったから。

 そして、その気持ちはもう終わったのだ。


「セレスティーヌ。もう一度、やり直せないだろうか」


 彼は私の手を取ろうとした。

 私は、そっと一歩下がった。


「お断りいたします」

「なっ……!」

「私は、あなたとの婚約を終えました。今さらやり直すつもりはありません」

「しかし、私たちは三年間も一緒にいたんだぞ!」

「ええ。三年間、一緒にいましたね」


 楽しい思い出もあった。

 初めて二人で訪れた劇場。

 庭園で交わした約束。

 彼が照れくさそうに花を差し出してくれた日。


 それらがすべて嘘だったとは思わない。

 だからこそ、私は彼を好きだったのだ。

 けれど、思い出があることと、もう一度彼を選ぶことは違う。


「あなたは、私があなたを理解していることを当然だと思っていらっしゃったのでしょうね」

「それは……」

「私が傷つくことより、ご自分の望みを優先なさった。最後には、私の気持ちを確かめることもなく、皆の前で婚約を破棄された」


 私は、静かに続けた。


「それでも私は、あなたを恨み続けたいとは思いません。ですが、あなたの寂しさを埋めるために、もう一度あなたの隣に立つつもりもありません」

「君は変わったな……」

「ええ。変わりました」


 私は微笑んだ。


「あなたがいなくても、幸せになれると知りましたから」


 エドガーは、何も言えなくなった。

 彼は私が泣いているところを見たかったのかもしれない。

 あるいは、いつまでも自分を待っていることを期待していたのかもしれない。


 けれど、もう遅い。


「それでは、ごきげんよう」


 私は一礼し、彼の横を通り過ぎた。

 背後から私を呼ぶ声がした。

 けれど、私は振り返らなかった。







 ◇


「お見事!」


 秘密結社の本拠地に戻ると、アデライド様が拍手で迎えてくれた。


「きっぱり断れたのね!」

「はい。皆様のおかげです」

「いいえ。最後に決めたのはあなたよ」


 アデライド様は、優しく微笑んだ。


「さて、次の段階に進みましょうか」

「次の段階?」

「ええ。新しい出会いよ」


 そう言って、彼女は一枚の肖像画を取り出した。


 そこに描かれていたのは、柔らかな茶色の髪と穏やかな目をした青年だった。


「こちらは、子爵家の次男であるルシアン様。読書と庭園散策がお好きで、穏やかな性格の方よ。婚約者を病気で亡くされたあと、しばらく縁談を控えていらしたのだけれど、最近になって新しい出会いを望まれるようになったの」

「……私に、紹介してくださるのですか?」

「もちろん。あなたと趣味が合いそうだと思ったの」


 私は肖像画を見つめた。

 知らない男性だ。

 どんな声で話すのかも、どんなふうに笑うのかも分からない。

 エドガーと婚約したとき、私は恋愛というものをよく知らなかった。

 好きになった人と結婚できれば、それで幸せになれると思っていた。


 けれど今は、少しだけ違う。

 自分を大切にしてくれる人と出会いたい。

 私も、その人を大切にしたい。

 そんな当たり前の願いを、初めて素直に口にできるようになった。


「……お会いしてみたいです」

「決まりね!」


 アデライド様は嬉しそうに手を叩いた。


「では、来週の日曜日。王都の中央公園にある喫茶店で待ち合わせをしましょう」









 ◇


 約束の日。

 私は淡い水色のワンピースに身を包み、鏡の前で髪を整えた。


 少し緊張している。

 けれど、不思議と怖くはなかった。


 以前の私なら、相手に気に入られることばかり考えていただろう。


 嫌われないように。

 迷惑をかけないように。

 相手の望む女性になれるように。


 でも、今度は違う。

 私も相手を知りたい。

 私も、この人と一緒にいたいと思えるかを確かめたい。

 そう思っていた。



 待ち合わせの喫茶店に着くと、入口のそばに一人の青年が立っていた。

 肖像画と同じ、柔らかな茶色の髪。


 彼は私に気づくと、少し緊張した様子で頭を下げた。


「セレスティーヌ様、でしょうか?」

「はい。ルシアン様ですね」

「お会いできて光栄です。……実は、少し緊張しておりまして」


 彼は照れくさそうに笑った。


「女性と二人でお茶をするのは、久しぶりなものですから」

「私もです」


 そう答えると、彼はほっとしたように表情を和らげた。


「それなら、お互い様ですね」


 私たちは顔を見合わせて笑った。


 窓際の席に案内され、二人でメニューを開く。

 まだ、恋が始まったわけではない。

 この人が運命の相手なのかどうかも分からない。

 けれど、少なくとも今、私は誰かの顔色をうかがってはいなかった。


「セレスティーヌ様は、どんなお菓子がお好きですか?」

「そうですね。最近は、レモンのタルトがお気に入りです」

「それはいいですね。実は私も、柑橘系のお菓子が好きなんです」


 彼の笑顔につられて、私も笑った。


 婚約破棄されたあの日、私は自分の未来まで失ったような気がしていた。

 けれど、そうではなかったのだ。


 終わったのは、たった一つの婚約。

 私の人生は、まだ続いている。

 そして今、私は自分の意思で、新しい一歩を踏み出そうとしていた。


 テーブルに運ばれてきた紅茶から、優しい香りが立ち上る。

 私はカップを手に取り、目の前の青年に微笑んだ。


「ルシアン様。今日は、どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。楽しい時間にしましょう」


 窓の外では、春の風に花びらが舞っていた。

 私はもう、誰かに選ばれるのを待つだけの令嬢ではない。


 これから誰と歩いていくのか。

 その相手を、自分で選んでいいのだから。


 ――婚約破棄された令嬢のための秘密結社『黒薔薇の会』


 そこに参加した私が手に入れたものは、元婚約者へのささやかな仕返しと、新しい出会い。

 そして何より、自分の幸せを自分で選ぶ自由だった。

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